「魔の沼」

ジョルジュ・サンド/宮崎嶺雄訳

ドットブック 195KB/テキストファイル 114KB

300円

サンドは郷里ノアン付近の平和な農村を舞台とする、のどかな牧歌風の小説を4編書いた。これが「田園小説」と呼ばれているもので、『魔の沼』はその第一作にあたる。物語の筋立ての巧みさにおいて無比と称せられる彼女が、幼時の豊富な思い出と親しい観察とを駆使しつつ、簡素な心の美しさと安らかさとを描き出したこれらの作品は、彼女の才能が初めてその本領を発揮したものとして、今日でも広く愛読されている。

ジョルジュ・サンド(1804〜76) パリ生まれ。本名オロール・デュパン。4歳の時ベリ地方の祖母に預けられ、祖母の死後は知人宅のもとで育った。18歳のときデュドヴァン男爵と結婚するが、性格の不一致からノイローゼになりまもなく離婚。28歳、ジョルジュ・サンドの名で『アンディアナ』を発表し、一躍文名をたかめる。多くの男性と浮き名を流し、結婚と離婚を繰り返しながらおびただしい著作を発表した。ショパンのパトロンであり理解者であったことは有名。72歳、ノアンで亡くなった。

立ち読みフロア

「おい、ジェルマン」と、ある日、舅《しゅうと》がジェルマンに言った。「お前、やっぱり、もう一度女房をもらう気にならなきゃだめだぜ。お前があの娘のやつに死に別れてから、もうかれこれ二年になるし、総領息子はもう七つだ。お前もそろそろ三十になるんだぜ。なにしろこの土地じゃ、男が三十の坂を越すと、もう一度世帯をもつのにゃ、年をとりすぎてるってことになるんだからな。お前にゃ立派な子供が三人もあるわけだが、今までのところは、それで別に困らされるってこともなかった。婆さんと嫁がせいぜいあの子たちの面倒をみて、ちゃんと可愛がってもいたしな。ピエールのやつはもうすっかり手が放れたようなもんだ。今じゃもうなかなか器用に牛も追う。おとなしく牧場で羊の番もするようになったし、馬を水飲み場へ連れて行くぐらいの仕事はできるようになった。だから、困るのはあの子のことじゃない。だが、あとの二人の方が――これもみんな可愛く思ってることにゃ決して違いはないんだが、あの頑是ない二人の子が今年は相当気苦労の種になって来る。嫁はもうすぐお産だし、おまけにまだもう一人小さいのをかかえてる始末だ。今度生れるのが生れたら、嫁はもうお前んとこのソランジュの世話なんかみてられなくなっちまうし、ましてシルヴァンの世話なんかとてもみられやしない。なにしろまだ四つにもならないし、昼も夜もちっともじっとしてないんだからな。お前に似て元気のいいたちなのさ。いずれ立派な働きものになるこったろうが、しかし今のところはどうにも手に負えない子供だからな。肥溜《こえだめ》の方へ駆けだしたり、馬や牛の足もとへ跳びだしたりする時なんか、婆さんがつかまえようにも、足が追っつかない始末だ。それに、嫁が今度もう一人生み落したとなると、そのすぐ上のやつが、少くみてもその先一年ぐらいは、婆さんの手をふさぐことになって来るわけだ。そこで、お前の子供たちのことが心配になって来るし、どうも手に余るってわけなんだ。おれたちとしちゃ、子供の世話が届かないっていうのは、いやだしな。それに、目が届かないために、あの子たちの身にひょっと間違いでも起こった時のことを考えると、それこそ気の休まる時がない。そこで、どうしても、お前には二度目の女房、おれにはもう一人の嫁ってものが、入用になって来るというわけだ。まあ、ひとつ、考えてみてくれ。もう何度も言ったことだが、時はたつばかりだし、月日は待っちゃくれないからな。お前の子供たちのためにも、せっかく家のなかがうまく行くようにと思ってるおれたちのためにも、一日も早く女房をもらうのが、お前のつとめってもんだぜ」
「そりゃあね、お父っつぁん」と婿の方は答えた。「お父っつぁんがどうしてもっていうんなら、まあ、お父っつぁんの気のすむように、そうするより仕方があるまいがね。だが、わしは隠す気にもなれないんだが、こいつはわしとしちゃとてもつらいことで、それこそ身投げをしろって言われるのとおんなじくらい、ちっとも気の進まないことなんだ。なにしろ、どんな女をなくしたかはわかっていても、どんな女が見つかるかはわかったもんじゃないんだから。わしの女房は、まったく立派な女房だった。器量よしで、やさしくて、けなげで、お父っつぁんおっ母さんにもよくすりゃ、亭主にもよく、子供にもよくするし、野良でも家のなかでもよく働いて、針仕事も上手だし、とにかく何をやらしてもよくできる女だった。しかも、お父っつぁんの方ではあいつをくれるし、わしの方ではあいつをもらうってことになった時にゃ、万一死に別れるようなことがあったら、あいつを忘れちまうなんてことは、お互い約束した覚えがないんだからね」
「お前がそう言うのは、やさしい心から言ってくれることさ、ジェルマン」と、モーリス爺さんは言葉を続けた。「お前があの娘のやつを可愛がって、仕合せにしてやってくれたことは、おれもよく知ってるし、お前があいつの身代りになって死神を納得させることができるものなら、それこそ現在カトリーヌは生きていて、お前の方が墓のなかにはいってたに違いないさ。あいつは確かに、それぐらいお前に可愛がられてもいい女だったし、お前があきらめきれない気持なら、おれたちにしたってあきらめきれない気持なんだ。だが、おれはなにもあいつのことを忘れちまえと言ってるんじゃない。神様のおぼしめしで、あいつはおれたちのそばを離れて行っちまったが、おれたちは一日としてあいつにその気持を知らせないことはないくらいに、お祈りをしたり、心のなかで思ったり、言葉や行いに表わしたり、みんなであいつの思い出を大事にしながら、あいつが行っちまったことを悔み続けてるんだ。だが、もしあいつがあの世からお前にものをいうことができて、あいつの気持を伝えるとすりゃ、きっと、あとに残された子供たちのために、母親を捜してやってくれと言うだろう。だから、つまりは、立派にあいつの代りになれるような、そういう女を捜し当てりゃいいんだ。こいつはなかなかなまやさしいことじゃあるまい。だが、まるで見込みのないことでもないわけだ。そこで、おれたちがそういう女を見つけてやったら、きっとお前はおれの娘を可愛がったとおんなじに、その女を可愛がるようになるさ。なにしろ、お前は律儀な人間だし、その女がおれたちのために尽して、お前の子供たちを可愛がってくれりゃ、きっとそいつを有難く思うはずだからな」
「わかったよ、お父っつぁん」と、ジェルマンは言った。「お父っつぁんの考え通りにするよ、これまでだっていつもそうして来たんだがね」
「いや、まったく、そいつは確かにその通りだ。お前は、こっちが家のかしらに立つ人間として親切気と分別から言うことを、いつでもよく聞いてくれたよ。だからまあ、今度の女房はどんな女がいいか、一緒によく考えてみようじゃないか。まず第一に、若い娘をもらうってことは、おれは反対だな。こいつはお前の場合には不向きだよ。若い娘ってやつはどうしても性根がしっかりしてないもんだ。それになにしろ、三人の子供を育てるっていうのは大変な仕事だし、ましてそれが自分の腹を痛めた子じゃないとなるとなおさらのこったから、こいつはどうしてもよっぽど利口で、やさしくて、働きものの女でなくちゃだめだ。女房も大体お前と同じくらいの年恰好でなけりゃ。とてもそれだけの分別はあるまいし、そんな務めを喜んで引受けやしまい。向うにしてみりゃ、お前は年をとりすぎてるし、子供たちは年がいかなすぎると思うだろう。そこで女房はぶつぶついうし、子供たちは子供たちで苦労するってことになる」
「そこなんだ、わしの心配するのは」と、ジェルマンは言った。「万一、あの子たちが、邪慳にされたり、嫌われたり、ぶたれたりするようなことにでもなったら、それこそ……」

……「三 モーリス爺さん」より


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