「ウィンダミア卿夫人の扇」

オスカー・ワイルド/中田耕治訳

ドットブック版 284KB/テキストファイル 52KB

300円

ウィンダミア卿は評判のよくない年輩の女性、アーリン夫人に入れあげているという噂があり、妻は心穏やかでない。銀行の通帳を見ると、確かに大金が支出されている。妻の誕生日のパーティに、妻の反対を押し切って、卿はアーリン夫人を招待する。その夜、ダーリントン卿から口説かれたウィンダミア夫人の心は揺れ、決心の置き手紙をしてダーリントン邸へおもむく。その手紙を最初に発見したアーリン夫人は、いそぎ跡を追った。……「扇」が巧みな狂言まわしを演じるワイルドの喜劇の代表作。

オスカー・ワイルド(1856〜1900)アイルランド生まれ。ダブリンのトリニティ・カレッジを経てオックスフォード大学へ。在学当時から詩才を見せ、耽美主義へ傾斜。小説「ドリアン・グレイの肖像」、フランス語の悲劇「サロメ」、喜劇「ウィンダミア卿夫人の扇」など、代表作を発表。時代の寵児となるが、男色罪で投獄され、出獄後は失意のうちに没した。

立ち読みフロア
第一幕

場面――ロンドンのほぼ中央にあたるカールトン・ハウス・テラスにあるウィンダミア卿邸の居間(モーニング・ルーム)。ドアは、中央と右(日本の舞台では下手)。右手に、本や新聞などを置いた引き出し机。左手(日本の舞台では上手)に小さなティー・テーブル、ソファ。左手にバルコニーにむかって開いた窓。右手にテーブル。
右のテーブルに、ウィンダミア卿夫人。バラの花を青いボウルにいけている。

〔パーカー、登場〕
【パーカー】 ご来客でございますが、お会いなさいますか、奥さま?
【ウィンダミア卿夫人】 あ――どなたかしら?
【パーカー】 ダーリントン卿でございますが、奥さま。
【ウィンダミア卿夫人】〔ちょっと躊躇して〕ご案内なさい――この夕方は、どなたにでもおめにかかるから。
【パーカー】 かしこまりました、奥さま。〔パーカー、中央から退場〕
【ウィンダミア卿夫人】 夜にならないうちにおめにかかりたいと思っていたわ。きてくださって、よかった。
〔パーカー、中央から姿を見せる〕
【パーカー】 ダーリントン卿でございます。
〔ダーリントン卿、登場。パーカー、退場〕
【ダーリントン卿】 いかがですか、レイディ・ウィンダミア。
【ウィンダミア卿夫人】 あら、いらっしゃいませ、ロード・ダーリントン。あ、握手できませんのよ。バラで手が濡れてしまって。綺麗でしょう? 今朝、セルビーの邸から届いてきましたの。
【ダーリントン卿】 やあ、みごとですねえ。〔テーブルの上の扇を見て〕それに、すばらしい扇だ! 拝見してもいいですか?
【ウィンダミア卿夫人】 ええ。かわいいでしょう? わたくしの名前が彫ってあって、とても大切なの。わたくしも、ついさっき見たばかり。誕生日のお祝いに主人が贈ってくれましたの。今日がわたくしの誕生日なものですから。
【ダーリントン卿】 あ。そうでしたか。
【ウィンダミア卿夫人】 そうなの、今日が成人式というわけね。生涯でいちばん大切な日じゃないかしら? だから、今夜はパーティを致しますのよ。さあ、そこにかけてちょうだい。〔そのままバラをそろえている〕
【ダーリントン卿】〔腰をおろしながら〕今日がお誕生日だったんですねえ、レイディ・ウィンダミア。(そうと知っていたら)お邸の前の道いっぱいに花をしきつめて、あなたに歩いていただくところだったのに。花はあなたのために咲いているのですから。〔短い間〕
【ウィンダミア卿夫人】 ロード・ダーリントン。あなたは昨夜、外務省でわたくしに意地わるをなさいましたわ。また、意地わるをなさるおつもりね。
【ダーリントン卿】 ぼくが、ですか、レイディ・ウィンダミア?
〔パーカーと召使いが、トレイにお茶のセットをもって登場〕
【ウィンダミア卿夫人】 そこに置いて、パーカー。それでいいわ。〔ハンカチーフで手をふき、左のティー・テーブルに行って腰をおろす〕こっちにいらっしゃいません、ロード・ダーリントン?〔パーカー、中央より退場〕
【ダーリントン卿】〔椅子をとって、左手中央に移る〕どうも困りましたね、レイディ・ウィンダミア。ぼくが何をしたとおっしゃるんです?〔テーブルにつく〕
【ウィンダミア卿夫人】 だって、一晩じゅう、すばらしいお世辞ばかりでしたもの。
【ダーリントン卿】〔微笑しながら〕ああ、近頃の男性は、ろくにふところの余裕もないので、せめて、そのぶんお世辞をふりまこう、というわけ。出せるものといったらお世辞くらいのものですよ。
【ウィンダミア卿夫人】〔頭をふってみせる〕あら、まじめにお話していますのに。笑ったりなさってはいけません。わたくし、大まじめですのよ。お世辞なんてきらいですし、男のかたときたら、心にもない出まかせをいって、女がすっかりうれしがっていると思っていらっしゃるなんて、気が知れません。
【ダーリントン卿】 いや、ぼくは本気で申しあげたんですよ。〔彼女のさし出すティーをうけとる〕
【ウィンダミア卿夫人】〔きりっとして〕そんなことをおっしゃって。あなたと、いい争うなんて、いやなんです、ロード・ダーリントン。あなたが大好きですもの、それはご存じでしょう。だけど、あなたが、ごくあたり前のかただったら、あなたを好きになったりしません。ほんとうよ、あなたはふつうの人よりすぐれたかたですわ。それなのに、わざとワルぶっていらっしゃる、ときどきそんなふうに思ったりしますわ。
【ダーリントン卿】 男はみんな、多少、虚栄心がありますからね、レイディ・ウィンダミア。
【ウィンダミア卿夫人】 どうして、そんなものをとくべつの虚栄になさるのかしら?〔まだ、左のテーブルにすわっている〕
【ダーリントン卿】〔これも左手、中央にすわったままで〕いや、近頃は、うぬぼれのつよい連中がやたらに善人ぶった顔つきで、社交界をのし歩いていますからね、悪人ぶって見せるほうが、かえって奥ゆかしく謙遜な性質に見えると思うんです。しかも、こんなことまでいわれていますよ。善人らしく見せかけると、世間は大まじめにうけとってくれる。悪人らしく見せかけると、そうはとらない。このあたり、オプティミズムというやつのやけにバカげたところなんです。
【ウィンダミア卿夫人】 それじゃ、世間から、まじめにうけとられなくてもいいんですの、ロード・ダーリントン?
【ダーリントン卿】 ええ、世間なんてどうでもいい。世間がまじめにとる人間というと、どんな連中です? およそ、くだらない連中ばかりですよ、上は僧正さまから下は退屈なやつに至るまで。ぼくはただ、あなたにだけまじめにとっていただければいいんですよ、レイディ・ウィンダミア。この世の誰よりも、ただ、あなただけに。
【ウィンダミア卿夫人】 なぜ――なぜ、わたくしだけに?
【ダーリントン卿】〔かすかに躊躇のいろを見せるが〕ぼくたちはほんとうに親しいおつきあいができると思うからです。ほんとうの親友になりましょう。あなたも、いつか、お友だちが欲しくなりますよ。
【ウィンダミア卿夫人】 どうしてそんなことをおっしゃるの?
【ダーリントン卿】 いや、誰しもときどき友だちが欲しくなりますよ。
【ウィンダミア卿夫人】 だって、わたくしたち、もうとっくに仲のよいお友だちでしょう、ロード・ダーリントン。いつまでもいつまでもお友だちでいられますわ、あなたさえ何しなければ――
【ダーリントン卿】 何しないって?
【ウィンダミア卿夫人】 あっと驚くような、バカげたことをおっしゃって、わたくしたちの友情をだいなしになさらなければ。あなた、あたしをピューリタンだと思ってるんでしょう? そうね、いくらかピューリタンみたいなところがあるわ、わたくしって。そんなふうに育てられてきましたもの。いまでも、よかったと思っています。母は、わたくしがまだ子どもの頃に亡くなりましたの。父のいちばん上の姉にあたる、ほら、伯母のレイディ・ジューリアにずっと育てられましたのよ、わたくし。とても厳格でしたけれど、世間のひとが忘れかけている、ただしいこと、ただしくないことの区別をはっきり教えてくれましたわ。妥協というものを許さないひとでした。わたくしも、そうなのです。
【ダーリントン卿】 ああ、レイディ・ウィンダミア。
【ウィンダミア卿夫人】〔ソファによりかかりながら〕時代おくれな女だと思っていらっしゃるのね――どうせ、そうよ! こんな時代とおなじ基準で判断されたくないんですもの。
【ダーリントン卿】 いまの時代は、いいところが少しもない、と思っていらっしゃる?
【ウィンダミア卿夫人】 ええ。いまの人びとは、人生を投機みたいなものと見ているふうですもの。投機なんかじゃありません。人生は、とても神聖なもの。生きることの理想は愛なのよ。人生を浄(きよ)めるものは、犠牲ですもの。
【ダーリントン卿】〔微笑しながら〕うわぁ、犠牲にされるなんて、つまらないなあ!
【ウィンダミア卿夫人】〔前にかがみながら〕また、そんなことを。
【ダーリントン卿】 いいますよ。その、感じるんです――わかっているんです。
〔パーカー、中央から登場〕
【パーカー】 今晩のお仕度に、テラスに絨毯をしきますかどうか、いかがいたしましょうか、奥さま?
【ウィンダミア卿夫人】 雨は大丈夫かしら、ロード・ダーリントン?
【ダーリントン卿】 あなたのお誕生日に、雨を降らしたくないなあ!
【ウィンダミア卿夫人】 さっそく、しくように手配してね、パーカー。〔パーカー、中央から退場〕
【ダーリントン卿】〔まだ腰かけたまま〕で、どうお思いなのです――むろん、あくまで仮定として考えるだけですが――たとえば、結婚して、そう、二年ばかりたっている若いカップルがいて、その夫がふとしたことから、別の女と――そう、ずいぶんといかがわしい噂のある女としますが――この女のところに入りびたって、いっしょに食事をしたり、おそらく買いものの支払いまでしてやる、といった場合でも――その奥さんのほうは自分を慰めたりしてはいけない、とお思いですか?
【ウィンダミア卿夫人】〔眉をひそめる〕自分を慰める、ですって?
【ダーリントン卿】 ええ、そうすべきだとぼくは思いますね――そうしていい権利があると思うんです。
【ウィンダミア卿夫人】 夫が低劣だからといって――妻までが低劣であっていいのかしら?
【ダーリントン卿】 低劣というのはひどいことばですよ、レイディ・ウィンダミア。
【ウィンダミア卿夫人】 ひどいことですもの、ロード・ダーリントン。
【ダーリントン卿】 そこで、いわゆる善良な人びとが、世間にずいぶん害をおよぼしている、と思うんですよ。なんといってもいちばんの害は、悪というものをこのうえもなく重要なものにしてしまう。だいたい、人間を善玉と悪玉にわけること自体が不条理なんです。人間は、魅力があるか、退屈か、のどちらかです。ぼくは魅力のあるほうだと思っていますし、あなたも、レイディ・ウィンダミア、どうしてもそのおひとりですね。
【ウィンダミア卿夫人】 あのう、ロード・ダーリントン。〔立ちあがって、彼の前をクロスして右に行く〕どうぞ、そのまま、ちょっとお花を片づけてしまいますわ。〔右手中央のテーブルに行く〕
【ダーリントン卿】〔立ちあがって椅子を移しながら〕それにしても、あなたは現代生活にずいぶん手きびしい態度をとっていらっしゃる、と申しあげましょうか、レイディ・ウィンダミア。むろん、ずいぶんいかがわしいところもある、それはぼくも認めます。たとえば、たいていの女性は、近頃ではかなり金づくですからね。
【ウィンダミア卿夫人】 そんな人たちのことはおっしゃらないで。
【ダーリントン卿】 いや、金づくの女たち、これは話が別です、なにしろ下劣ですからね。ですが、世間のいわゆるあやまちを犯した女性は絶対に許されるべきではないと、本気でそうお思いですか?
【ウィンダミア卿夫人】〔テーブルにむかって立っている〕それは絶対に許されるべきではないと思いますわ。
【ダーリントン卿】 では、ぼくは? 女性に対してとおなじように、男性に対してもおなじ法律がなければならないとお思いですか?
【ウィンダミア卿夫人】 当然でしょう!
【ダーリントン卿】 人生なんて、そんな堅苦しい、きびしい規則できめられるほど、単純なものじゃないと思うけど。
【ウィンダミア卿夫人】 そういう「きびしい規則」があれば、人生はもっとずっと簡単なものになると思いますわ。
【ダーリントン卿】 例外は認めない?
【ウィンダミア卿夫人】 いっさい!
【ダーリントン卿】 ああ、あなたはなんという可愛らしいピューリタンだろう、レイディ・ウィンダミア。
【ウィンダミア卿夫人】 可愛らしいは、余計でしょう、ロード・ダーリントン。
【ダーリントン卿】 そういわずにいられなかった。ぼくは何でも我慢できるけれど、誘惑だけには弱いもので。
【ウィンダミア卿夫人】 わざと弱虫ぶる現代青年というところね。
【ダーリントン卿】〔彼女を見る〕そういうふりをしているだけですよ、レイディ・ウィンダミア。
〔パーカー、中央より登場〕
【パーカー】 ベリック公爵夫人、およびご令嬢、レイディ・アガサ・カーライルがお見えでございます。

……「冒頭」より


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