「さまよえる湖」

スウェン・ヘディン/岩村忍訳

ドットブック 1.07MB/テキストファイル 151KB

500円

スウェーデン生まれのスウェン・ヘディンは1890年代から回数にして5度の中央アジア探検を試み、40年以上にわたって中央アジアの地理学的疑問の解明に取り組んだ。なかでも、インダス、ブラマプトラ両大河の源流をつきとめ、ヒマラヤ山脈とコンロン山脈の間に横たわるトランス・ヒマラヤ山脈を発見したこと、シルクロードに横たわる楼蘭の遺跡を見つけたことは最も重要な業績に数えられる。
だが同時に、タクラマカン砂漠東方に位置するロプ湖の地理学上の謎を解くことは彼の長年の夢であった。「さまよえる湖」は幸運にも自らの目でそれを確認することができたときの、稀有の探検の記録である。 ドットブック版にはヘディンの多くのスケッチのほか、当時の写真と多くの地図を収録した。

スウェン・ヘディン(1865〜1952)スウェーデンの探検家・地理学者。ベルリン大学で地理学をリヒトホーフェンに学んだ。1893〜1937年の間に5回にわたって中央アジアの探検を企てた。楼蘭の遺跡の発見、トランス・ヒマラヤ山脈の発見などともに、ロプ湖の周期的移動を確認する地理学上の画期的な業績をのこした。「中央アジア探検記」「シルクロード」「さまよえる湖」はヘディンの探検記を代表する3部作となっている。

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  五月十一日、目がさめてみると時速三十三キロの強い北東風が吹いていた。夜の最低気温は十三度。午後二時には三十三度C、水温は十八度。湖も入江もまっ白に波が立っている。舟はアシの奥につないだ。そこでは比較的、波が穏やかであった。もうもうたる砂塵が吹き飛び、テントにばらばらぶつかって、いまにも吹き飛ばされはしないかと、ひやひやした。風速はしだいに増し、午後八時には時速六十二キロに達した。激しい突風が、たびたび灯火を吹き消した。寝袋にはいって寝るには暑すぎるので、その上に寝ころんだ。細かな黄色いほこりが、テントのなかいっぱいに立ちこめている。
 翌朝もまたひどい風であった。時速約四十八キロ。
 嵐は夜通し荒れた。しかし十三日の朝になって、風波を無視して出発した。できるだけ風陰を通った。ところが二、三日まえにタマリスクを集めた島まで行くと東と東南東が広く開けているために波が高く、カヌーで行くには無理であった。しかし島に上陸し、ヤルダンとアシのあいだに、ぐあいよく囲まれている船着場を見つけた。四人の船頭が薪を集めてくる。風がなぐのを待った。しかしまる一日過ぎても風はやまない。
 嵐のために三日をむだにしてしまった。五月十一日と十二日と十三日とを。そのうえ十四日には、あたり一帯、一メートル先も見えない濃霧におおわれてしまった。それは暗く陰鬱(いんうつ)に、南方から、もうもうと吹いてきた。二時間たって風は南西に変わったが、霧は吹き払われなかった。なにもかも、まるでロンドンのスモッグに包まれているようである。湖面は百メートルそこそこしか見えない。厚い霧でおおわれた薄黒い灰色の湖面に、もうろうとアシ叢(むら)が浮かび上がっている気味の悪いながめであった。にわか雨が落ちてきた。午後一時半には本降りになり、一時間降りつづいた。しかしもう雨もおさまり、たそがれのとばりが降りてきた。第八十号キャンプのすぐ近くにいたので、夕方、あとに残してきた人たちの歌声が聞こえた。
 夜中、どしゃ降りになったが、長くは続かなかった。翌朝、太陽がまっさおな空にのぼった。ロプ湖(ノール)への曲がりくねった水路を求めて、ふたたび出発した。高いメサから、ロプ三角州の珍しい眺望をもう一度見わたした。北東岸にトゥ・ケンの堡(とりで)のある湖が、袋のように広がっている。これでは三角州に運びこまれる水は、ロプ湖へ出て行く口をどこかほかに見つけなければなるまい。がいったいどこだろう。南東へ向かう分流をためしてみたが、そこには水流はなかった。水は水晶のように澄み、メサの影を映し出している、そして前にもたびたびそうであったように、柩(ひつぎ)の形を連想させる一連のヤルダンの影をも。
 われわれはアシのあいだの水流について行った。流速はだんだんと増した。また、もう一度高いメサから偵察する。深いアシ叢が方々にあって、その中の一つに広い水路が見えた。おそらく、われわれが進んできた流れの続きであろう。春の新しい緑のアシが、水面から一メートルほどの高さに萌(も)えでて、藁(わら)のように黄色い去年のアシにまじりながら、ひときわ目立っている。タマリスクは目もさめるように新しい緑でよそおわれていた。魚は水面にはね、水鳥も多くなった。
 六時には、しだいにアシが密生している、かたい粘土の両岸のあいだを進んでいた。両岸はアシのためにほとんど隠れているが、あちらこちら、秋の増水のときに推積した泥が長く突き出ているところもあった。
 水路はますます広くなり、百三十メートルから百六十メートルになった。ワシが二羽しげしげと一行を見まもっていた。カモメとアジサシが周囲に舞っており、小鳥はアシ叢の上でさえずっていた。カモの群れが一度、二度飛び立った。いままでよりは生物が多い。ここまでクム河(ダリヤ)から流れてきた新鮮な水は、生命を与えるというその使命をさらに活発に果たしている。
 しかし、まもなくアシの生えかたは薄くなって、ついにほとんどなくなってしまい、右も左もまる裸な、黒ずんだ粘土の岸になった。もうメサ一つ見えず、川からかなりのあいだ、孤立したヤルダンさえほとんど見えない。ここはヤルダンと塩分のある粘土、すなわち、トルコ人がショールとよんでいる塩気のある古い軟泥とのかわり目なのだ。分流はますます広く、浅くなっていく。アシのあいだでは三メートルも深かったのに、いまではたった一メートルしかない。舟はしばしば川底に触れ、そのたびに船頭たちはオールで突いたり、押したりしなければならなかった。
 日はかたむき、夕暮れが近づく。私は一同に上陸してテントを張るように命じた。われわれの位置は川の中央、南岸から等距離のところにあった。日は沈み、夕やみがおり始めた。サディクは左岸に舟を着けようとした。いけない。右にやってみた。どこも同じように浅い。暗くなる。細長い新月はのぼったが、淡い光がさしているのみである。
 方向を変えて、ふたたび流れを溯(さかのぼ)ったが、座礁してしまった。さわやかな夕べのそよかぜが出て、さっきまで鏡のようになめらかであった川が小波をたて、カヌーにあたって快い音を立てた。西に行き、南に行こうとしてみた。どこも同じように浅い。いよいよまっ暗になってきた。しかしいろいろと押したり、もがいたりしたあげく、とうとう右岸に着き、練瓦のように堅い岸に上陸した。そこには草の葉一つなく、流木一本も打ち上げられていなかった。やっとのことで、テントを張れるだけの平たい地面を見つけた。甲板を一枚、夜のたき火と夕飯の支度のために犠牲(ぎせい)にする。これが第八十二号キャンプで、ここからわれわれは「さまよえる湖」へ向かって最後の前進をするのだ。
 五月十六日の朝、テントのそとに一歩ふみ出した。われわれは、クム河すなわち三角州の主流がロプ湖に流れこむ地点――南東に入江のように広がっている、ロプ湖の最北端のすぐ近くにいるのだ。カモメが、平和なえさ場へやってきた闖入者(ちんにゅうしゃ)に驚いたのか、テントや川の上を鳴き叫びながら飛んだ。カモメがいるので、あたかも海岸にいるような幻想を受けた。視界には一木、一草もない。ただ死と荒廃があるだけだ。
 さわやかなそよかぜが吹いている。しかしやがて出発の準備は完了した。二人のこぎ手を連れ、いちばん大きいカヌーで行くことにした。小さい方のカヌー二隻には食糧品と水二鑵と毛皮の外套(がいとう)を積んで、それぞれ一人ずつのこぎ手をつけた。テントは持って行かない。それは第八十二号キャンプに残した。
 一時四十五分湖へ出たが、なんだか岸が遠のいたように思えた。ぼんやりした東岸の岬に向かって南南西に舵(かじ)をとったが、水が浅いために進路からしょっちゅうはずれないわけにはいかない。この聖なる湖へはじめて乗り出して、なんだかお伽(とぎ)の国にでもいるように感じた。いままでただ一隻の舟も、この湖上をこぎまわったことはないのだ。いまもやはりそれは死んでいるかのように寒々としている。湖面は鏡のように静かだ。少し離れたところにカモが泳いでいる。カモメやそのほかの水鳥が警戒の叫びを上げた。南東には一列の黒いかたまりが連らなっていた。明らかに桟橋型に突き出ている岬の小丘である。しかし実は蜃気楼(しんきろう)が水平線上に浮かび上がって、そう見えているのだ。ま南と南西の水平線は非常にはっきりしていた。そこでは空と水とが、まるで大海のように一つに溶けあっていた。南西に近づくと、騎馬隊のような形をした黒いものが現われ出た。草を食べているウシとラクダである。暖められた空気の上昇による震えでちらちらしている。
 南に行くにしたがって、水はますます浅くなった。二人の従者はカヌーを引きながら徒渉し、二人の船頭は、自分たちの舟を座礁させてしまったので、そのあとから押して行った。舟の通ったあとには、水面に黒い泥のすじが現われた。日は強く照りつけ、目がくらむほど、まぶしかった。水は西の方では蛋白石(たんぱくせき)のように、また鋼(はがね)のように灰色に輝いていたが、南と東とでは海のように青く輝いていた。
 夕暮れが近づいていた。太陽はまさに沈もうとし、その壮麗な光景は、どんな言葉でも表現することはできない。南西は全部鋼青色で、どこで空が終わり、どこで陸地が始まっているかわからない。太陽は赤、黄、紫、白などの雲の層の上にあり、西方の湖上には鮮紅色の光が広がっている。船頭たちは、汗をたらしながら、堅い泥底の上をカヌーを引きずって行った。沈殿層の下は堅く結晶した塩の層で、足は傷ついた。
 

……「ロプ湖への旅」

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