「シェイクスピア物語」

チャールズ&メアリー・ラム/本多顕彰訳

ドットブック 303KB/テキストファイル 180KB

600円

名随筆家チャールズ・ラムが、病身の姉メアリーとともに書いた「シェイクスピア作品のダイジェスト版」。ダイジェストとはいっても、原作の雰囲気が忠実に活かされていて、欧米で昔から名作として親しまれてきた。本書には、四大悲劇をはじめとして、以下の15の作品を収録してある。
「テンペスト」「真夏の夜の夢」「冬の物語」「空さわぎ」「お気に召すまま」「ヴェローナの二紳士」「ヴェニスの商人」「シンベリーン」「リア王」「マクベス」「まちがいつづき」「十二夜」「ロミオとジュリエット」「ハムレット」「オセロー」

チャールズ・ラム(1775〜1834)イギリスの随筆家。生粋のロンドンっ子で名門クライスツ・ホスピタル学院に学ぶが、中途退学。17歳のとき東インド商会に会計係として就職、51歳で定年退職するまでサラリーマン生活を送った。学院時代の3歳年上の詩人コールリッジとは終生の友であった。姉メアリーが狂気の発作から母を刺殺する事件があり、この姉の面倒をみる必要もあって結婚はしなかった。「エリア随筆」のほか、姉との共著「シェイクスピア物語」が有名。

立ち読みフロア
 デンマークの女王ガートルードはハムレット王の急死によって寡婦になったが、夫の死後二カ月もたたないうちに夫の弟クローディアスと結婚した。それについて当時、すべての人々は、納得のゆかぬ不謹慎な、不人情な、いや、それよりもさらに悪い行ないであると評判した。というのは、このクローディアスは人柄も心も先王とはまったく似たところがなく、性質がいやしく陋劣(ろうれつ)なように、外見も見下げはてた人間だったからである。それで、ある人々の心には、彼が、兄の寡婦と結婚して、先王の子息で正統な後継者であるハムレット王子をしりぞけてデンマーク王の位につくために、ひそかに兄を殺したのではないかという疑惑がおこったのであった。
 しかし女王のこの心ない行ないを誰よりも強く感じたのは若い王子であった。彼は死んだ父の記憶をほとんど偶像のように愛し尊んでいた。彼は名誉を重んじ、きわめて慎重におのれを持する青年であったから、母ガートルードの恥ずべき行ないを痛切に感じ、父の死を悲しむ心と母の結婚を恥じる気持にはさまれて深い憂愁におおわれ、すべての楽しみを忘れて、その美貌は精彩を失った。そして、好きな読書も楽しくなくなり、若者にふさわしい運動や競技にも興味を失った。彼は世の中がいやになった、それはすべての健康な花が枯れて雑草だけしか茂らない庭のように思われた。
 彼が正統に継承すべき王座から排除されるという見通しは、若い気高い心の持主である王子には、もちろんひどい痛手であり、はげしい侮辱ではあったが、それほど彼の心を傷つけなかった。彼を苦しめ、彼の明るい心をうばったのは、母が父の記憶をすっかり忘れたように見えることであった。あのような父を! 母はあれほど愛し、あれほどやさしかった父を! しかも、母も、いつもあんなにやさしい従順な妻にみえ、彼女の愛情はまるで彼と一体であるかのように彼に頼りきっていたのに、いま、二カ月もたたないうちに(ハムレットには二カ月よりも短く感じられたが)、母が再婚したのだ――死んだ夫の弟である彼の叔父と。近親者という点から、それ自体非常に不都合な、不法な結婚だが、その結婚が不穏当なほどあわただしくとり行なわれたことと、彼女が、王として、また、夫として選んだ男が王にふさわしくない性格であったために、その印象がますます強められた。恥を知る若き王子の心をくもらせ、その気持をうちくだいたのは、十の王国を失うことよりも、このことが原因であった。
 母ガートルードや王が彼の気持をまぎらわせようとしたが、すべてそれは空しかった。彼はまだ父王の死をいたむ黒い服を着て宮廷にあらわれた。彼は母の結婚を祝う日でさえ、その服を脱がなかったし、その恥ずべき日(と彼には思われた)のお祭りさわぎにも加わろうとしなかった。
 彼をもっとも苦しめたのは、父がどうして死んだのかはっきりしないことであった。クローディアスは、蛇が彼を刺したのだと発表した。だが、ハムレットはクローディアス自身がその蛇ではなかったのかとするどい疑惑をいだいていた。わかりやすい言葉で言えば、クローディアスは王冠のために兄を殺したのであって、彼の父を刺した蛇は、いま王の座にすわっているのであった。
 この推測がどこまで正しいか、また、母のことをどう考えたらいいか――母はこの殺害のことをどこまで知っていたのか、また、母が知っていて、あるいは、承知して、この殺害が行われたのか、それとも、母は知りもしなければ、承知もしていなかったのか――そういう疑いがたえず彼を苦しめ、彼の心を乱したのであった。
 このころ、ある噂がハムレットの耳に入った。死んだ父王にそっくりの亡霊が真夜中に二、三夜つづけて城の前の歩廊にあらわれたのを夜警の兵士たちが見たというのである。その幽霊はいつも、頭から足まで死んだ王様が身につけていたのと同じよろいを着てあらわれた。そしてそれを見た人々は――ハムレットの親友ホレイシオもその一人だが――幽霊があらわれる時と様子について同じ証言をした。すなわち、それは、時計がちょうど十二時を打ったときにあらわれること、怒りというよりは悲しみに蒼ざめた顔をしていること、その髭は灰色がかり、生前彼らが見たように銀髪まじりの黒色であったこと、彼らが話しかけても返事はしなかったが、一度だけ頭をあげていまにも口をききそうな様子をした。ところが、そのとき一番鶏(どり)が鳴いたので、幽霊はあわてて身を引き、消えてしまったこと、などであった。
 彼らの話をきいて若い王子は奇異な驚きにうたれ、皆の言うことが一致してつじつまが合っていたので、信じないわけにはいかなかったから、彼らが見たのは父の亡霊であると彼は断定した。そして彼もそれを見ようと思い、その夜、兵士たちといっしょに夜警に出ようと決心した、というのは、彼は、そのような亡霊は理由なくあらわれるものではなく、なにか知らせたいことがあるからにちがいない、いままでは何も言わなかったが、彼には口をきくだろう、と考えたからであった。そして夜がくるのをもどかしく待ちうけた。

……「ハムレット」冒頭より


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