「カナリヤの爪」

E・S・ガードナー/阿部主計訳

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500円

二十代も後半とみえる若い女に依頼の件を聞いてみたとき、どうやらその中身は離婚問題と思われたので、メイスンは気が進まなかった。だが、女はカナリヤを入れた籠を持参していて、しかも、そのカナリヤは「びっこ」だった。しかも女はカナリヤから話題をそらそうとした。「謎のカナリヤ」に惹かれてメイスンは結局、事件を引き受けた……。ありきたりの民事事件の背後から浮かび上る不可解な殺人事件。カナリヤの爪に秘められた秘密とは? メイスンものの中でも本格味濃厚な好編。

アール・スタンリー・ガードナー(米、1889〜1970)鉱山技師の息子に生まれ、正統な教育は受けなかったが、のち法律に志し、21歳で弁護士事務所をカリフォルニアに開いた。22年間の刑事弁護士生活の経験を生かしてペリイ・メイスンものの処女作「ビロードの爪」を発表、見せ場の法廷場面とハードボイルド・タッチで一躍人気作家に。メイスンものだけでも80作にのぼる。レイモンド・バー主演のテレビのメイスン・シリーズは有名。

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 人間の性格についての研究家なら誰でも、一つの種類の性格のきわ立った例が必ずその人の風采とまったく反対であることがわかるものだ。よき探偵は一見店員のごとく、よき賭博師は銀行家のように見える。そこでわがペリイ・メイスンの風貌にも、彼がそのすばしこい頭脳、独特な方策、思い切ったテクニックで、このロサンゼルス市で最も恐れられ、また尊敬されている弁護士であることを示す何物もない、のは当然である。
 今、メイスンは事務所の椅子に坐して、目の前の大きな革椅子に腰を下した若い婦人の様子を見つめている。女は膝の上にカナリヤの籠をのせている。メイスンの落ちついた目つきには、訊問ずれのした法律家によくある突き刺すような鋭さなど、少しもなく、かえって、同情をやどした忍耐があふれている。がっしりした体つきは花崗岩を刻み上げたようだ。
「そのカナリヤは」とメイスンは、事をはっきりさせるまで一つ言葉をくり返し続ける時の、静かな強さでいった。「足の先が不ぞろいですね」
 女は籠を、あまり見られたくないかのように膝から床へ移した。「そんなことありませんわ」といいわけのように、「少しおびえているんですわ」
 メイスンは女の若々しい体つき、形のよい足、手袋をはめた長いしなやかな指などを讃美の眼で眺めた。「ところでと、ご用件は、たいそう緊急なことらしいですが」
 女は反抗的にあごを曲げて、「重大なことですの。さしせまったことで、私も気がせいて」
「なるほど」メイスンは面白そうに、
「あなたは忍耐の美徳はお持ちにならない方でしょうな」
「あら、我慢することが美徳かしら?」
「あなたにはそうでないらしい。お名前は?」
「リタ・スウェイン」
「お年は?」
「二十七です」
「ご住所は?」
「チェスナット街一三八八番地」といって、しきりに速記をとっている秘書のデラ・ストリートの方を横目で見る。
「ご心配なく。この人はミス・ストリート。私の秘書です。で、お住まいはアパートですか?」
「はあ。四〇八号室です」
「電話は?」
「個人では持ちません。ビルの交換が内線でつないでくれます」
「で、ご用件は、どういうことです?」
 女は眼を伏せて、ためらった。
「カナリヤに関することですか?」
「いいえ、ちがいます」
「あなたはいつもカナリヤをそうやって持ち歩きなさるのですか?」
 女は神経質に笑って、「まさか。でもどうしてそんなにカナリヤを気になさるんでしょう」
「カナリヤを持ってこの事務所に来る依頼者はめったにありませんからな」
 女はそれに対して何か言おうとして、こらえた。メイスンが腕時計を見たので、急いで用件を話し出した。
「私の姉のロシーのためにお願いに上ったのです。ロザリンド、という名をつめてロシーというんですの。六ヵ月ほど前にウォルター・プレスコットという者と結婚しました。男は保険清算引受の計理士でして、姉の金が目あてで結婚したんです。何もかもごまかして自分のものにしてしまって、――それから今、ロシーとの間に悶着を起こそうとしているんです」
「どんな悶着を?」
 女はちょっとためらったが、「ジミーのことでです」
「ジミーとは?」
「ジミー・ドリスコルといって、姉がウォルターと結婚する前に仲がよかった人です」
「その人は今でも姉さんを愛しているのですか?」
 女は激しく首を振って、「いいえ、今は私と愛し合っているんです」
「じゃあ、なぜ姉さんの夫が――」
「それが、ジミーからロシーへ手紙が行きました、友人としての手紙ですけれど」
「どんな手紙です?」
「ロシーが先に手紙を出したんです。不幸だと書いて。それでジミーは友人として、ロシーに、夫と別れるように忠告した手紙を書き送ったのです。ウォルターは金のために、投資事業のような結婚をしたのだ、ロシーの最初の損失は、生涯のための良い経験と思えばいい、といって」女は神経的な笑いを続けながら、「ジミーは仲買人をしていますので、ロシーの結婚前には、ロシーの投資を全部引き受けて扱っていましたので、そんな言い方も姉によく通じるわけなんです」
「結婚後は姉さんの株は、ドリスコル氏が扱わないことになったのですな?」
「はい」
「で、ウォルター・プレスコット氏がそのドリスコル氏からの手紙を手に入れた、というわけで?」
「そうですの」
 メイスンの顔に興味が浮んだ。
「それで」と銀鼠色のスーツの女は早口に続ける。「たぶん、ロシーは、今のジミーの私に対する気持を知らないと思いますの。私たちはジミーのことを口に出して話し合いません。でも、ロシーの結婚後、ジミーは今度は私のお金の投資を上手に扱ってくれるようになって、二人でちょいちょい外出したりするようになりました」
「ロシーさんはそのことをご存じない?」
「ええ――全然知らないと思います」
「その手紙でプレスコット氏はどうしようというのです?」
「ロシーがジミーとの昔の関係を続けていたと主張して離婚訴訟を起こそうとし、ジミーに対しては、ウォルターの結婚を金のためだといい、ロシーに離婚をすすめて夫婦の間を引きはなそうとしたという理由で、訴えようとしているんです」
 メイスンは頭を振った。「私は離婚問題は扱いません」
「おお、でもこれだけは扱っていただかなければなりません。まだすっかりお話してないんです」
 メイスンはデラ・ストリートの方に問いかけるように目をやったが、微笑して言った。「では、まあすっかりうかがうことにしますかな」
「ウォルターはロシーから結婚後一万二千ドルほどまき上げました。自分の保険の仕事に投資すれば、一割以上の利益がロシーの手に入り他の持ち株も殖やせるといったんです。そして今では一セントもロシーから受け取ったことはないと言っています。」
「たしかにウォルターに渡したということをロシーさんは証明できますか?」
「さあ――そういう場合の受け渡しは、いいかげんなものでございますものね。夫に向って領収書をくれなどと申す女はありませんわ。ロシーは手持ちの証券をウォルターに渡して、それを金に替えて事業に使うように言ったんです。ウォルターはロシーの証券を頼まれて売ったことは認めていますが、その金はみなロシーに渡して、自分は一文ももらっていないと言い張っています。事業の協同経営者のジョージ・レイという人は――プレスコット・レイ保険清算事務所といって、ドーラン・ビルディングの中にあるんですの――ウォルターがそんな大金を自分の事業につぎこむなんて、考えても馬鹿らしい、つぎこむどころか、事業から金を外して持ち出すことに苦労している状態なんだと言っています。
 そこで、事情はおわかりでございましょう。ウォルターはロシーのとがを言い立てて離婚し、そのお金と一緒に逃げ出すつもりなんですわ」
「なるほど」とメイスン。「誰かほかに、家庭関係の民事を得意とするよい弁護士をお探しになって――」
「いえ、いえ。ぜひあなたに。と申すのは、実は今朝、大変なことが起こりましたんです」
 メイスンはほほえんで、「まあ、お聞きなさい、お嬢さん、私は離婚訴訟に興味はないのです。私が好きなのは刑事裁判です。殺人事件が専門です。謎の解決を好むのです。お姉さんに同情はしますが、その事件に興味は持てません。この市内に適当な弁護士はいくらでもあって引き受けてくれますから――」
 女の唇はふるえた。「私、せ、せめて話だけでも、聞いていただきたいと思って、ま、まいりましたのに」と涙をまばたきで抑えながらも、その嘆願ぶりが相手の心を打たないことをさとって、右手の中指をカナリヤ籠のあたまの釣り輪にかけて、大きな革椅子から立ち上ろうとした。
「ちょっとお待ちなさい」とメイスンが言った。「そのカナリヤには興味がある。そういう妙なものはどうも気になる性質でして。さて、なぜそのカナリヤをここへ持っておいでになったのか、うかがいたいものですな」
「私、それを、お、お話しするつもりで、お話を進めて、い、いましたのに」

……
冒頭より

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