「ある詩人への挽歌」

マイクル・イネス/桐藤ゆき子訳

ドットブック版 214KB/テキストファイル 215KB

700円

舞台は寒風吹きすさぶスコットランドの人里はなれたエルカニー城。そこの当主で異常な吝嗇家ラナルド・ガスリーが、クリスマスの朝に胸壁から墜死しているのが発見される。ガスリーはかなり前から死に瀕した詩人ウィリアム・ダンバーの「詩人への挽歌」を憑かれたように口ずさんでいるところを目撃され、近くのキンケイグ村ではもっぱら気がふれたという噂が流れていた…やはり自殺なのか? 全体を圧倒するゴシック・ロマンの雰囲気のなかに展開する謎につぐ謎、そしてどんでん返し。いち早く江戸川乱歩が第一級の名作として紹介しながら、翻訳されなかった古典ミステリ期の代表作。最初の一章は少し堅苦しいが、その後、テンポは軽快になり、クライマックスまで一挙に読ませる。

マイクル・イネス(1906〜95)コナン・ドイルと同じスコットランドのエディンバラ生まれ。オックスフォード大学卒。英文学研究で知られ、リーズ大学やのちにはアデレード大学で教壇にたったが、かたわら多くのミステリーを書いて人気を得た。それらは「キャビアの極上品」と評されている。代表作「学長の死」「ハムレット復讐せよ」など。

立ち読みフロア

第一部 イーワン・ベルの記述

第一章

 このわしの記述でお分かりの如く、エディンバラの弁護士ウェダーバーン氏は、物腰はやわらかいくせに、術策にたけていることは明々白々――まあ、同業者にまじって仕事をしていくということは、蛇に術策をさずけられたイヴもかくやという風でなければ、やっていけないことは当然ながら、氏は抜け目のない男であった。わし、キンケイグ村の靴作り、イーワン・ベルが筆をとり、この本の最初の記述を書くはめになったのも、ウェダーバーン氏にのせられてしまったということだ。
 我々二人は、アームス館の氏の部屋で、きびしい寒さに対抗するべくトディ〔ホットウィスキーに砂糖、レモン等を加えたもの〕のグラスを手に座っていた。あの時は、きびしい十二月の雪と風以上のものを通りぬけ、二度と再びトディと暖かい暖炉の火に恵まれることなどないのではないかと思ったほどだったが。我々二人はそれぞれ、この奇妙な出来事に思いをはせながら座っていた――まったく、この地方では前代未聞の出来事であったのは確かだった。その時、ウェダーバーン氏はグラスから目を上げ、いった。
「ベルさん、とにかく事実は小説より奇なりとはこのことですな」
「まったくです。最初から最後まで、悪魔の仕業としかいいようがありませんです」
 これをきいて氏は独得の笑みをうかべた。他の人がおかしいとは思わないことに、ニヤッとするようなことをみつけた時のような笑みだった。氏は重々しくわしをみつめ、いった。
「素晴らしく面白い物語を作り上げることができるんじゃありませんか、ベルさん。お書きになったらどうですか」
 わしもこれには仰天した。丁寧な口調ながら、キンケイグ村の教会の長老に向かって、弁護士がこういうことをいうとは、世も変わったもんだ。創作力というものは、啓示に満ちた祈りという神聖な目的に用いられる以外には、悪魔の誘惑に等しい。にもかかわらず、ウェダーバーン氏は、わしが生まれついての物語作者であるかのようにほのめかし、さらにこの冒険に関して書けという。しかも高尚な道徳的目的のためというのではなく、ちょっとした話になるだろうからときた! このウェダーバーンという人は、必要な時にはごく厳しい態度もとれるのに、どっか気まぐれなところがあって、まったくこの提案ときたら、気違いじみてさえいる。そこでわしは、年寄りの靴屋の自分には、そんなことができるわけがないといってやった。
 彼は答えた。
「これは、これは。ベルさん、牧師と学校の教師の次に物知りなのは靴直しであることはこの教区ではよく知られたことじゃありませんか」
「不信心でもあるそうですよ。それにどんな規則にも例外ってもんがあるでしょうが」


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