「息がつまりそう」

リング・ラードナー/加島祥造訳

ドットブック版 247KB/テキストファイル 169KB

600円

この集には、婚約時代の若いカップル、長年連れそった夫婦間の機微など、男と女のお話を、苦味のきいたユーモアで描き出した作品を中心に、私達の周囲によく見かける典型的庶民の笑いと哀歓を描いた作品――「息がつまりそう」「大都会」「お食事」「一方的陳述」「結婚記念日」「憩いの館」「愛の巣 」「金婚旅行」の8編をおさめてある。

リング・ラードナー(1885〜1933) 1920年代によく読まれたアメリカの作家。アーマー工芸大学中退後、新聞記者としてスポーツ欄を担当。1914年にユーモラスな野球小説の連載を週刊誌に発表して一躍人気を博し、以後、作家として独立した。若き日のヘミングウェーが大きな影響を受けたことはよく知られている。アメりカ有数の風刺作家といわれる。

立ち読みフロア
 ハリー・バートンは三十三歳、独身、男ぶりも悪くない。それで若い女主人がお食事パーティなど開く場合、男性の足りない時の穴埋めによく招ばれる。しかしハリーは、パーティのあとでブリッジでもやる気配があればともかく、そうでなければ、お食事パーティに出るのをいやがった。それで彼はグレイス・ハルパーンから電話がかかってきた時も、彼女の声を聞いただけで、もう心が重くなった。
「何とかして助けて欲しいわ! あなたがいやがるのは百も承知よ。ブリッジだってやらないんですもの。でも、ぎりぎりの今日になってフランクが来れないって行ってきて、それにほかに誰も来てくれそうもないの。あたし、あちこちに当たってみたのよ。ほんと! ビルにもきいてみたわ。レスター・グレアムにも頼んだのよ。でも、二人ともだめ。こちらは独身の男性がどうしても二人は必要なの。だってねえ、この町の人じゃない女のお客が二人来るのよ。二人とも、あたしの行ってた寄宿学校の同級生たち。とってもきれいな人たち。だから、彼女達をがっかりさせたくないのよ。ねえ、お願いだから……」
 ハリーはうまく嘘のつけない人間だった。それに彼はグレイスを好きだったし、いままで彼女の家でずいぶん楽しい思いをさせてもらった義理もある。彼はイエスと返事した。そして、その日一日じゅうイエスと言ったことを後悔した。
 ハルパーン夫妻の家に着いた時は約束の時間よりずっと遅くなっていた。食前のカクテルも半分しか飲めなかった。彼女のいう『綺麗なひと』二人を除いてはみんな顔見知りの客ばかりだった。さて、この二人はミス・コークレイとミス・レルという名で、実際、目のさめるような美人だった。ミス・コークレイは褐色の髪で、ミス・レルは背のすらりとした金髪。ハリーは思った、このぶんなら案外楽しい夕食パーティになるんじゃないかな、と。
 食事がはじまる前に、女主人のグレイスが、ハリーをかたわらに呼んだ。
「恩に着るわ、ハリー。ごほうびに、あなたを二人の間に坐らせることにするわ。それから、忘れないでね、二人とも、自由な身よ」
「自由って、どういう意味?」
「婚約もしていないし、恋人もいないということ。あなたもそろそろ落ち着いていい年頃じゃないの?」
 もう一人の独身男は、デイヴ・ウォレスという名で、ミス・コークレイの左側に坐った。ハリーは、グレイスが約束した通り、ミス・コークレイとミス・レルの間に坐らされた。
「グレイスの話によると、あなた、ブリッジがとてもお上手なんですってねえ?」とミス・レルが話しかけた。
「いや、ただ、好きな……」
「誰が一番の権威者だとお思いになる? レンツ、それとも、ワークス、それともホワイト・ホール? あたくし、何も知らないんですけど、あたくしの町ではみなさんがよく議論してるもんですから……。あたくし、シカゴに住んでますの。土地のブリッジ・クラブに入ってますのよ。何も知らないで人に笑われるのもいやでしょ、だから入会したんですの。でもね、だれかがあのコントラクトという不愉快なブリッジを紹介してからは、あたくし、ふっつりやめてしまいましたの。コントラクトってのは、全然ビッドしなくて、スラムしてしまうゲームでしょ。あたくし、とてもそんな勇気ありませんわ。あら、ブリッジの場合だけですわよ。ほかの時はいつもそんなふうに臆病なんてお考えにならないで」
「ぼく、別に……」
「ほんとなんですのよ。あたくし、ちっとも臆病じゃありませんことよ。ワシントンでリンドバーグと一緒に空を飛んだくらいなんですもの。議員のバーレイさんに話をつけてもらったんですの。父の懇意にしている方でね、ご存知かしら? ほら、南シカゴで塗料関係の仕事していらっしゃるバーレイ一族のひとり。ほんとに、口では言えないくらいスリル満点でしたわ! でも、自動車に乗ってるのと同じくらい安全な気持ち、あら、自動車よりずっと安全ですわね。だって、あたくし、フォーレスト湖で、ひどい自動車事故にあったことあるんですのよ。お医者さんの話だと、とっても運が良かったんですって。あのくらいの事故だと、少なくとも肋骨の二、三本は折るのが普通ですって。
 離陸した瞬間は、あたくし、ちょっとこわかったんですけど、でも、心の中で自分にこう言い聞かせましたの。この人はデトロイトからパリまで飛んだ人だ。そんな人に操縦してもらってワシントンの上空を二十分ぐらい飛ぶというのに、どうしてこわがる必要があるの、って。あなた、飛行機にお乗りになったことあって?」
「ぼくは……」
「それじゃ、ほんとのスリルがどんなものかご存知ないわねえ。本当に息のつまるような気持ちですわよ。ちょうど、ミシガン湖に始めて飛びこむ時のような気持ち。あたくし、あそこにほんとうに飛びこんだことあるんです。水泳は達者なんですの。男の方達はあたくしのことを、女にしてはとても達者だと言ってましたわ。シカゴにいる男の人で、リー・ロバーツという名の人、この人、あたくしをガートルード・エダールとよんだくらいですよ。ご存知? イギリス海峡を泳いで往復した女流選手ですわ。もちろん、リーは冗談でそんなことを言ったんですわ、だってあたくしなんか、彼女とはまるっきりクラスがちがうんですもの。彼女、太ってますわねえ、――あなた、ごらんになったことない? 写真じゃとても太ってましたわ。でも写真ってのは分かりませんわねえ! あたくしの写真がグラビアに出たことありますけど、ほんとにひどい写真でしたわ!」
 ミス・レルの右側に座っていたミスター・ハルパーンが彼女に話しかけた。その瞬間にハリーはこんどは左側のミス・コークレイに攻撃された。
「ミスター・バルトン、いま、こちらのミスター・ウォルターズにお話ししていたんですけどね……あなたはこういうことに興味をお持ちかしら……興味おありじゃないかも……でも、あたし、誰に話しても、聞いた方はみんな……それとも……」
「ぜひお話ししていただきたいですね」とハリーは言った。
「あたし、自分の話で人を退屈させるのとても……よくあることですけど……一応礼儀上……でもこの話、とても、……もちろん誰にでも面白いってわけじゃ……ただもしあなたが興味おあり……ボルチモアの人達……もちろんあたし達があそこに住みついたのはほんの二、三……」
「もし彼女が」ハリーは心の中で呟いた。「もし彼女がいまから二分以内にひとつの文章を完結させなかったら、おれはグレイスにハイボールを注文するぞ!」
「……そこに住んでいた人達……あたし達のアパートは建物が二つだけで……その人達はあたし達があまりおつき合いしたくないと思ってか……でも、ほかの所から離れた場所に……あんまりアパートなんかありませんし……そのう、ご近所というのが……姉の子供、男の子ですけど……同じ学校に……」
「グレイス」ハリーは呼びかけた。「ぼくを常連扱いしてくれる? お酒頼んでもいい?」
「何でもお好み通り」と女主人は言った。
「ハイボールを欲しいな。今日はとっても忙しかったもんで」
 ミス・レルが彼のほうに向き直った。
「あら、あなた、街(がい)に働いてらっしゃるの? ウォール街のことそう呼ぶんですってねえ? ほんとうに刺激のあるお仕事。でも、大変ですわねえ、一日中、立ちん棒で他の人たちに向かってどなって、相手の人達もどなり返すんでしょ? 声をめちゃめちゃにしてしまいますわね。あたくしにはよく分かりますわ。だってねえ、あたくし、去年の秋、イリノイとシカゴの対抗試合に行って、とっても昂奮して大声で応援したら、あとで一週間声が出なくなってしまったんですのよ」
「それはきっと……」
「こちらの東部の方にもフットボールの試合はありますの? あら、もちろんありますわねえ! うっかりしてましたわ……エールとハーバードどちらがジャイアンツでしたかしら? あたくし、いつもごっちゃにしてしまうんですのよ。あたくしの父とルウ……ルウはあたくしの兄であたくしとは大の仲好しなんですの……そのルウと父は毎日スポーツ欄を夢中になって読んでますのよ。ですから、あたくし、いつもそのことで二人をからかってやりますと、父や兄は、あたくしが社交欄と映画欄だけしか読まないと言って笑うんですの。そんなことで、大喧嘩なんですのよ。もちろん面白半分の喧嘩なんですけど。
 父は、ゴルフがお得意でね、腕前は選手級なんですの。ほんとですわ。年は五十四ですけど、オンウェンツィア・コースを六十で回るんです。それとも百六十だったかしら……どちらが正しいですの? 父はあたくしにもぜひやれときかないもんで、とうとう、ある日、あたくし、父と九ホールのコースをやってみましたの。
 あたくし、すばらしいショットをいくつか打ちましたわ。あら、ほんとうですのよ。父の話ですと、あたくしのスイング、とても筋がいいんですって。ですからプロに教わったら、じきにトーナメントに出られるだろうって言うんです――もちろん女流選手だけのトーナメントですけど。そうなると素敵ですわねえ! あら、でもとてもそんなこと。恥ずかしくって、あたくし、でられっこありませんわ!
 それに、よく思うんですけど、スポーツで優勝する女の人達って、たいてい妙な顔つきのひとが多いでしょ? 十人ちゅうで八、九人そうですわ。だからわたくしには優勝する可能性なんて、まるでないわけですの……そんな例って、いままでにもなかったでしょ……とにかく、あたくし、どんなスポーツでもチャンピオンになれっこありませんわ。あなた、ゴルフなさる?」
「ええ」

……「お食事」冒頭より


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