「ここではお静かに」

リング・ラードナー/加島祥造訳

ドットブック版 421KB/テキストファイル 152KB

600円

ラードナー短編集第3弾。おなじみの野球もの「ハーモニー」「相部屋の男」「でっちあげ」のほか、「キャディの日記」「一族再会」「コンラッド・グリーンの一日」「ここではお静かに」「冷たい女が好き」のヴァラエティ豊かな5短編、「ブルペンにて」「トムプスンの休暇」の短い戯曲2編、最後に「短編小説の書き方」というおどけた短編集の序文をいれて、ラードナーの多彩さを盛り込んである。

リング・ラードナー(1885〜1933) 1920年代によく読まれたアメリカの作家。アーマー工芸大学中退後、新聞記者としてスポーツ欄を担当。1914年にユーモラスな野球小説の連載を週刊誌に発表して一躍人気を博し、以後、作家として独立した。若き日のヘミングウェーが大きな影響を受けたことはよく知られている。アメりカ有数の風刺作家といわれる。

立ち読みフロア
 プロ野球のスポーツ記者だっていつも遊んでいられるわけではない。あの時も仕方なしに記者たちのいる座席から通路に出た。そしてアート・グレアムとビル・コールとレフティ・パークスと若いウォルドロンが『優しきアデライン』の歌を刈ったり剃(そ)ったりしている席をすぎて、監督のライアンの隣りへどさりと腰をおろした。
「ねえ、監督」とぼくは言った、「あと一時間とすこしでスプリングフィールドに着くというのに、ぼくはまだ一行も書いてないんですよ」
「べつに邪魔はせんよ」と監督は言った。
「書く手掛りをくださいよ」とぼくは言った。
「なんてこった!」とライアンは言った。「いまごろ材料に困るはずないだろ。うちのチームはトップを走ってるし、若手のウォルドロンはすごい調子だ。あいつのことなら、毎日でも記事になるだろ」
「そこが問題なんですよ」とぼくは言った、「彼のこと、あんまり書かれすぎて、言うことは何も残ってないんです。もう国じゅうの人間が知ってますよ――彼は四割二分を打っててホームランは九本、三塁打は一二本、二塁打は二〇幾本だとか、それから盗塁も二五やった、ピアノが弾ける、素敵に歌がうまいとかね。写真の出る数ときたら、ビリー・サンディ〔野球選手から熱狂的説教師になった人物〕とメリー・ピックフォード〔当時の最も有名な映画女優〕を合わせた以上ですよ。ただし、どうやって監督が彼を見つけたかの話になると、あまり知られてませんがね」
「ああ、そいつは秘密だよ」とライアンは言った。
「前にもそう言いましたねえ」とぼくは愚痴(ぐち)った、「そろそろ記事にさせてくださいよ、その秘密を」
「まあ」とライアンは言った、「君がそんなに困ってるんなら、打明け話をしてやってもいい。ほんとうはべつに秘密なんかないんだ。ただしスカウトとしては珍しい上出来(じょうでき)な話だとは言えるだろうな。これを秘密めかしてたのは、ディク・ホッジズをからかいたかったからなのさ。彼がジャクスンのチームのオーナーなのは知ってるだろ。あいつ、おれにウォルドロンを盗まれたのが口惜(くや)しくって、ろくに口もきかんでいるよ。
 こんな風にいうと、おれの手柄(てがら)話に聞こえるがね、実際はアート・グレアムの手柄なんだ。みんなはおれがウォルドロンを見つけたと思ってる。だからおれがこのスカウトの話を発表しないのをみて、おれを威張(いば)りたがらない人間だと思ってるがね。ほんとうはグレアムが発見者なんだ。もっと打ち明けると、彼がひざまずくばかりにして頼んで、おれにあの男を取らせたというわけさ。まったく、あのスカウトはアート・グレアムのしたことなんだ、そして彼は今ベンチに坐りっぱなしで、彼の推薦した若いウォルドロンが彼のポジションについてるんだ」
「そりゃあ、いい記事になりそうですね」とぼくは言った、「グレアムはどこで聞きこんだんです?」
「今から話してやるよ。君は急いでるんだろ、だから手短かに話すぜ。去年の秋には君はまだうちのチームについてこなかったな、ええ? シーズンも終わりかけて、チームがデトロイトにいた時だ。一日だけ休みがあって、グレアムはジャクスン市に親戚がいるから行ってもいいかとおれに聞くんだ。おれはいいと言って、あそこの球場へ行くことがあったら若手のピッチャーに目ぼしいのがいるかどうか見てこいと頼んだ。そして彼はジャクスン市へゆき、次の日にはすっかり興奮して帰ってきた。ピッチャーを見つけたかと聞くと、それはいなかったが、天才的な打者を見つけたと言うんだ――名前はウォルドロンだという。
『しかしだな、もしそいつが外野手だったら、君が推薦することはないだろう』とおれは言ったよ。『そいつがレギュラーにでもなると、君はポジションを取られることになるんだからな』
 しかしアートは構わないというんだ――チームのためを考えてるんだという。ところでおれは、聞いたこともない外野手のために大金を出せなんてオーナーに頼めそうもないし、それに外野手は今でも満員だから、アートの言葉を取り合わなかった。ところが彼は頼んだりせがんだりし続けて、しまいにおれはアートを静かにさせるためだけにドラフトの書類を提出したよ。そしてドラフトが通って、あの男を取った。それから、君も知っているように、ホッジズが彼を取り戻そうとしたんで、それでおれは怪しい気がして彼を手離さずにおいた。しまいにホッジズがおれに会いに来て、ウォルドロンのことを知らせたのは誰だと尋ねた。そう尋ねられたんで、おれはかえって秘密めかす気になったんだ。というのはホッジズがひどく興奮しているのを見て、からかってやれと思ったわけさ。それでおれは彼に、うちには腕利きのスカウトが幾人もいるからねと言った。すると彼は、君のとこのスカウトはみんな知っているが、芋虫(いもむし)と野球選手の区別もつかん連中ばかりだと言う。それから、もし話してくれたら五十ドルだすというから、おれはただ笑いとばした。こう言ったよ。
『ある日うちの者がジャクスン市に行って彼の試合ぶりを見たのさ。ただし誰が見つけたかは言えんよ、だって君があんまり知りたがっているからさ』
 すると彼は、そのスカウトがジャクスン市にいたのはいつか、その日を教えろせがむ。おれは、君がなぜそんなに知りたがるのか話したら教えてやるよと言った。すると彼は打ち明け話をしたぜ。
 その話だと、ルーディグトンに住む彼の弟が、あそこでこの若者のプレーするのを見つけて、ホッジズのために契約させてジャクスン市へ連れてきた、そしてホッジズはひと目見てこれが素敵な選手だと見ぬいた。こんな選手をジャクスンに置いておくのは勿体ない、この選手を高く売るにはどうしたらいいかと考えはじめた。その時はもう八月だったから、このシーズン中は高い値をつけてもだめだ、そこで彼はこの若者にまだ知らない野球技術を教え込みながら今年まで隠しておくことにした。新しいシーズン前になれば、どのチームも彼を欲しがって競(せ)りあうから、最高の値をつけたチームに売れるというわけだ。
 彼は毎日ウォルドロンに練習させた、しかし試合には出さなかった、それにジャクスン市のチームの選手にはみんな、この秘密を今年まで守らせてきた。それなのに盗まれたんで、彼は自分の選手の誰かがこの約束を破ったにちがいないから、それを知りたいというわけなんだ。
 そこでおれはこう聞いた――ウォルドロンが試合に出なかったというのはほんとうに確かなのかとね。すると彼は、あの男は一度だけ代打で出たきりだと言った。その日はいつだったと聞いたところが、彼の言ったその日というのが、ちょうどジャクスン市へアートが行った日なんだ。それでおれは言ったよ、
『これで君の謎は解けたぜ。あの日に偶然にうちのスカウトが見てたんだ。だから君だってそのスカウトを少し褒(ほ)めてやっていいぜ、なにしろその若者が安打一本だけ打つのを見て将来のスター選手と見抜いたんだからな』
 そしたらホッジズは言うんだ――
『かえって謎が深くなるばかりさ。なぜって、第一に、彼は変名で打席に立ったんだ。第二に、彼は安打なんか打たなかった。凡フライを打っただけなんだ』
 話はこれで終わりさ。アート・グレアムはあの男が凡フライを打ったのにスター選手だと見抜いたわけだが、その方法についちゃあ、アートにじかに聞きなよ。おれ自身も彼に尋ねてみたがね、彼はただウォルドロンの振り方が気に入ったからだとしか言わんのさ。おれには、あのジャクスン市のチームの誰かが口を滑(すべ)らしたんだとしか思えないがね、しかしアートはぜったいにちがうというんだ」
「《いい話》ですねえ」とぼくはありがたがって言った。「レギュラーのポジションから落ちかけてる古手(ふるて)選手が、凡フライをあげた新米を見ただけで監督に推薦する。そしてその新米はチームに入るや、その古い選手のポジションを取っちまう!」
 ぼくは通路の向こうにいる合唱団のほうを見やった。アート・グレアム、今やベンチを温めている彼と、彼が引っぱってきてそれで彼をベンチに追いこむ原因となった若いウォルドロン、この二人が甲高(かんだか)くて少し耳障りな声をはり上げて合唱している。
「そしてこの話で一番奇妙なのは」とぼくはつけくわえた、「アートが後悔していない点ですね。彼とあの若者、じつに仲よくやっているようじゃないですか」
「歌を歌える人間は、誰だってアートの仲よしなのさ」
 監督の席から離れた僕は自分の席に戻ると、スプリングフィールドへ着く前に書きあげようと仕事にとりかかった。その前にアート・グレアムに彼のすばらしいスカウトの真相を聞き出そうかちょっと考えたが、しかしそれは別の日の原稿にとっておこうときめた。記事は急いでいたし、それにいまウォルドロンが仲間に新しい『効果』を教えていて、割りこんでみても無駄だと分かったからだ。
「その『あなた(ユー)』という言葉のところ」とウォルドロンは言っていた。「ぼくが一音階さがる。レフティは半音だけあがり、そしてビルは二音階あがるんだ。アートはそのまま歌いつづける。さあ、もう一度やってみよう」彼が合唱仲間をリードする声が聞こえた。みなが聞くに耐えない声をあげて再び歌いだした。

 あなたを愛しているわたし
 愛しておくれ そうすれば
 世界は(世界は)わたしのもの(世界は わたしのもの)

「だめだ」とウォルドロンは言った。「レフティがトチった。みんなに音楽の素養さえあれば、ボストンに着いた時ぼくがピアノで教えてやれるんだけどなあ。最後の行の前の『愛(ラブ)』という言葉ではみんなが正規のFの和音になるんだ。ビルはバスのF音で歌ってて、レフティはバリトンの中央Cの音、そしてアートは高いF音でぼくはA音にあがる。それから『あなた』のところで、ぼくはG音にさがり、アートがE音になり、そしてレフティは半音あがってCシャープになる、そしてコールはバスでFからAにあがる。それで素敵な効果がでるんだ。これはFの和音からAの和音へ変わるわけでね。さあ、もう一度やってみよう」とウォルドロンがうながした。
 連中は再びやりはじめた。

 あなたを愛しているわたし――

「だめだめ!」と若いウォルドロンは言った、「アートとぼくはいいんだけど、ビルは上にあがりすぎるし、レフティはCの音から離れない。半音あがるんだよ、レフティ。もう一度やりなおしだ」
 汽車は一時間遅れてスプリングフィールドに着き、再び発車した時には六時を過ぎていた。その間にぼくは記事を送りだして、列車に戻ってみると、かなり前に合唱は終わったらしくて、アート・グレアムがひとりで坐っていた。
「仲間はどこにいるんだい?」とぼくは聞いた。
「食堂車へ行った」と彼は答えた。
「あんたは食べにゆかないの?」
「そうさ。蒸し貝料理を食べるまで控えているのさ」ぼくは彼の座席の隣りに坐った。
「あんたのことを記事にして送ったよ」とぼくは言った。
「おれ、首になったのか?」と彼は尋ねた。
「いや、そんなことじゃない」
「お蔵(くら)になった選手のことしか書けないなんて、君もよっぽど記事に困ってるんだな、ええ?」と彼は言った。
「さっき監督が話してくれたんだよ、あんたがウォルドロンを掘りだした話をね」
「ああ、あれか」と彼は言った、「あんなこと、別に話にはならんだろ」
「ぼくには素敵な話に思えたな」とぼくは言った、「凡フライを打った新米を見ただけで、これはタイ・カップみたいな大選手だと見抜くなんて、誰にもできることじゃないものね」
 グレアムは微笑した。
「そうさ」と彼は言った、「そういう目を持つやつは少ないだろうな」
「あんたは選手生活とおさらばしても」とぼくはつづけた、「次の仕事を見つけるのに苦労しないね。いいスカウトはやたらに転がっていないものね」
「どうやらおれはじきにお払い箱らしい様子だな」と彼は言ったが、なおも微笑していて、「それでもおれがスカウトになることはないぜ。あんな寂しい仕事、とても我慢できやしねえ」

……「ハーモニー」冒頭より


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