「神の小さな土地」

コールドウェル/龍口直太郎訳

ドットブック版 166KB/テキストファイル 172KB

500円

自分の土地に金鉱脈があると信じて、15年も痩せた農地を掘りつづける老農夫タイ・タイは、1エイカーの土地を神に捧げながら、そこから黄金が出てきたら教会にごっそり取られることを恐れて、たえず「神の1エイカー」を移動させるような物欲の権化 である。娘婿のウィルは義理の姉妹に手を出し、長男ジムは弟の美しい妻を奪おうとして射殺される。アメリカ南部の一族間で展開される壮絶な生きざま。

アースキン・コールドウェル(1903〜87)ジョージア州生まれのアメリカの作家。南部社会の貧農白人と黒人の暮らしを風刺とユーモアをまじえて赤裸々に描いた。「タバコ・ロード」(1932)、「神の小さな土地」(1933)で一躍注目され、今日でもこの2作が代表作とみなされている。

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 地面に近い砂と粘土が数ヤードもくずれて、漏斗形に掘り下げた穴の中に落ち込んできた。タイ・タイ・ウォールデンは鶴嘴(つるはし)を手に、地すべりした赤土の中に膝まで埋まったまま、あまりのいまいましさに、しばらくは棒立ちに突っ立ったままだったが、やがて頭に浮かんでくるありとあらゆるものに向かって口汚く罵(ののし)りはじめた。息子たちはどのみち仕事をやめようと思っていたところだった。ちょうどもう午後も半ば過ぎたころで、彼らは朝の薄暗いうちからこの大きな穴の中におりて掘りつづけていたのだ。
「畜生、やっと深くなってきたと思ったら、なんだってあんな上のほうから崩れてきやがるんだろう?」タイ・タイ・ウォールデンはショウとバックを睨(にら)みつけながらいった。「まったくいまいましいにも、ほどがあるよ」
 彼は二人が口をひらくのを待たずに、いきなり両手で鶴嘴を握ると、穴の壁に力いっぱい鶴嘴をたたきつけたが、今回はそのへんで思い止った。昔は、かっとなって棒切れをとると、くたくたにへたばるまで続けざまに地面を打ちのめしたものだった。
 バックは両手で膝っこをつかむと、埋まった脚を柔らかい土の中から引き抜き、どっかり座って靴の中の砂や泥をはたきだした。彼はこのすべり落ちてきた大量の土砂のことを考えていた。もう一度穴掘りをはじめる前に、こいつをシャベルですくって穴の外に運び出さずばなるまい。
「この穴はもう諦めて、そろそろ新しい穴を掘ってもいい頃ですね」ショウは父親にいった。「もうかれこれ二カ月もこの穴を掘っているが、苦労ばかりで何ひとつ掘り当てたものがないんだ。ボクはこの穴にはもう飽きあきしたよ。いくら掘ったって、こんな穴からは何にも出てこやしないんだ」
 タイ・タイは腰をおろして帽子をとると、ほてった顔をあおいだ。大きな穴の底は風とおしが悪く、まるで野外宴会の肉汁バケツよりも暑かった。
「おまえたちにはわしほどの忍耐力もありやしねえ。困ったもんだよ」彼は汗をふき、顔を扇(あお)ぎながらいった。「わしはもうこの土地をかれこれ十五年も掘りつづけている。そしてこれから先もう十五年でも掘ろうと思っているんだ――もし必要ならね。だがなんだかそんな必要はなさそうな気がするよ。このころほんとうにそんな予感がするんだ。ちょっとばかり上の縁(ふち)が崩れてすべり落ちてきたからって、そのたんびに諦め、はじめっから新しくやりなおすなんてことはできねえ。こんなことがおこる度に、新しい穴を掘るなんて馬鹿げているからな。わしらは何事も起こらなかったみたいに、ぐんぐん仕事を進めなくちゃなんねえ。ほかに方法はねえんだ。お前たちはつまらんことにすぐ忍耐力を失ってしまって困るよ」
「忍耐力を失うって、馬鹿ばかしい!」バックは赤土に唾(つば)を吐きながらいった。「忍耐力なんか必要ありませんよ。必要なのは鉱脈のありかを占ってくれる占師(うらないし)なんだ。占師なしで掘ってみたって駄目だってことぐらい分かっていそうなもんですがね」
「おまえはまた黒ん坊のようなことをいうね」タイ・タイは仕方のない奴だといわんばかりの調子でいった。「黒ん坊のいうことなんか真にうけねえだけの分別をもってもらいたいもんだ。なにせ迷信以外のことは何ひとつねえんだからな。いいか、わしは科学的な人間なんだ。黒ん坊のいうことに耳を傾けていると、まるで黒ん坊のほうがわしよりも分別があるとでも信じたくなるんだよ。奴らときたら、占師と魔術師の話の外はなんにも知っちゃいねえんだ」
 ショウはシャベルをとると穴の天辺(てっぺん)に向かって登りはじめた。
「まあ、とにかく僕は今日は止(や)めだ。今晩は町へ出かけたいから」
「いつも昼日中っから仕事をほっぽらかして町へ行く支度をするんだね。そんなことじゃいつまでたったって金持ちにはなれねえぞ。おまえが町ですることっていったら、ちょっと玉突場をうろついて、それからどっかの女の尻を追いまわすのが関の山だ。おまえが家にいてくれりゃ、わしらんとこもなんとかなるだろうにな」
 ショウは半分ほど登ると、すべり落ちないように四つんばいになって進んでゆき、やがて登りついて地上に立った。バックとタイ・タイはそれをじっと見まもっていた。
「あいつは町にちょくちょく出かけてゆくが、いったい誰に会いに行くんだね?」タイ・タイはバックに訊ねた。「気をつけねえとごたごたを起こすぞ。ショウは女になれていねえから簡単にだまされて、気がついた時はもう手遅れになっているということにならんともかぎらんね」
 バックは穴の底の父親の向かい側に坐って、かわいた粘土を指でつぶしていた。「さあ、わかりませんね。とくに誰ということはないでしょう。奴と話をするたびに、相手の女の名前が変わっている。大かたスカートをはいてさえすれば、誰だっていいんだろうさ」
「いったいぜんたい、なんだってあいつは女なんかほっておけないんだろうな? 一年中さかりがついているような男には、分別なんてありやしねえ。ショウの奴は女のために滅茶苦茶にされちまうだろうよ。わしが若い時分にや、決してあんなふうに女とふざけやしなかったね。いったいあいつはどうしたというんだろう? ちゃんと家におちついて、家の中の女達を見るだけで満足していりゃよさそうなもんだが」
「ぼくにきいたってわかりませんよ。奴が町でどんなことをしようと、ぼくの知ったこっちゃない」
 しかしショウの姿が見えなくなったのは、ほんの数分間だけだった。彼は突然また穴の上に現われて、タイ・タイを呼んだ。二人はびっくりしてショウを見上げた。
「どうしたんだ?」とタイ・タイが訊ねた。
「畑道を通ってだれかやって来ますよ。家に寄ってきたらしい」
 タイ・タイは立ち上がると、あたかも二十フィートも深さのある穴の底から外が見わたせるかのように周囲を見まわした。
「いったい誰だろう? こんなとこまで何の用があってきたんだろうな?」
「まだ誰だかわかりません。だが町の人のようです。ちゃんと服を着ているから」
 バックとタイ・タイは鶴嘴とシャベルを集めると、穴からはい上がった。外に出てみると、一人の肥った大男がでこぼこの畑を突っきって、いかにもむずかしそうにこちらに歩いてくるのが見えた。彼は照りつける中をゆっくりと歩いていたが、その水色のワイシャツは汗のため胸と腹にぴったりとはりついていた。そして肥っているため下を向いて足許を見ることができず、荒地のでこぼこにいちいちつまずいていた。
 タイ・タイは手を振った。
「なんだ、プルートー・スウィントじゃねえか。プルートーがここに何の用事があるんだろう?」
「あんなにきちんと服を着ているんでわからなかったんだ」とショウがいった。「そういわれてみなければ、プルートーだなんて、てんでわからなかったでしょうよ」
「くだらんことのために何かを探しているんでしょう」バックが父に答えた。「プルートーって人はいつでもそうだっていう話ですよ」
 プルートーは近づいて来た。彼らは槲(かしわ)の樹陰にはいって腰をおろした。
 プルートーはつまずきながら、「暑いですね、タイ・タイさん」と声をかけた。「やあ、息子さんたちですか。皆さんお元気で? 穴のところまで道をつくってくれるといいんですがね――自動車を乗りつけることができますから。今日はもう仕事を止めるってわけじゃないんでしょう?」
「あんたは町でゆっくりして、夕方涼しくなってから出かけてくればよかったんだよ」とタイ・タイがいった。
「ちょっと出かけてきてあなた方に会いたいと思ったもんですから」
「でも暑かありませんか?」
「人さま並みには我慢できると思いますね。皆さんいかがですか?」
「まあ、不平もいわずにやっているよ」とタイ・タイは答えた。
 プルートーは槲(かしわ)の幹によりかかって腰を下ろしたが、真夏に兎を追いかける犬のように喘(あえ)いでいた。汗がのっぺりした顔や首から滲み出て、ワイシャツの上にぽたぽた落ちた。そのためシャツの水色は一段と濃くみえた。彼はしばらくそのまま坐ったままだった。あんまり暑く、疲れていたので、動くことも、口をきくこともできなかった。
 バックとショウはタバコを紙に巻いて火をつけた。
「そうですか、不平もいわずにやっているというんですね」プルートーはやっと口をひらいた。「そいつは感謝すべきことですよ。この節は少しでもこぼすつもりになれば、それこそ何もかも不平だらけの世の中だと思っているんです。もう綿花は作っても引き合わないし、黒ん坊どもは西瓜が熟すと片っぱしから食べてしまうしね。この頃じゃ、生活のために作物を作ろうとしたってあんまり意味がありませんよ。どっちみちわたしは大して百姓をしたこともありませんがね」
 プルートーはながながと寝そべって両腕を頭の下にあてがった。樹陰にいるとだんだん気持ちがよくなってきた。
「最近何か掘り当てましたか?」
「いいや、大したことはないね」タイ・タイは答えた。「息子達はしきりと新しい穴を掘りなおすようにいうんだが、まだ決心がつかないでいる。こんどの奴は二十フィートばかり掘ったんだが、まわりが崩れだしてね。しばらく別の場所を掘ってもいいと考えている。新しい場所だって、今までのところよりも悪いってことはないだろうからね」
「今あなた方に必要なのは白っ子(アルビーノ)の援助でしょうね。白っ子に助けてもらわないと、まるっきり運が向いてこないっていうじゃありませんか」
 タイ・タイは起き上がって、プルートーの顔をしげしげと見つめた。
「プルートーさん、何が必要だって?」
「白っ子(アルビーノ)ですよ」
「いったいぜんたい、白っ子って何だい? わしはそんなものは今までに一度も聞いたことがないよ。どこでそんなことを聞いたんだね?」

……巻頭より

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