「失われた世界」

コナン・ドイル/永井淳訳

ドットブック版 222KB/テキストファイル 183KB/原書テキスト版 187KB(300円)

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頑固一徹の古生物学者チャレンジャー教授は、マスコミや学会の嘲笑をものともせず、アマゾン流域にむけて「失われた太古の生物」を探しに出発する。シャーロック・ホームズであまりにも有名な巨匠コナン・ドイルが、別の愛着をこめて書いたチャレンジャー教授もののSF名編。「ジュラシック・パーク」はこれをヒントにしている。原題「ロスト・ワールド」
立ち読みフロア
 わたしは、気むずかし屋で猫背気味の赤毛の社会部長マッカードルが好きである。願わくば先方もわたしを好いて欲しいものだ。もちろん、正真正銘のボスはボーモントだが、彼はわれわれには縁のないオリンポスの高みに住んでいるから、国際危機だとか内閣の分裂だとかいう大問題以外のことには関知しない。ときおり孤高の威厳をただよわせて、奥深い聖所へ歩んで行く彼の姿を見ることがあるが、その目ははるかかなたを見つめ、心はバルカン諸国やペルシャ湾にさまよっているらしい。われわれからすれば手のとどかない別世界の存在だ。しかしマッカードルは、さしずめ彼の第一副官というところで、われわれがつき合うのはもっぱら彼のほうである。わたしが編集室へ入って行くと、マッカードルはうなずいて、禿(は)げあがった額(ひたい)に眼鏡を押しあげた。
「やあ、マローン君。聞くところによると、なかなかの活躍ぶりらしいね」と、スコットランドなまりで声をかけてくれた。
 わたしは礼を言った。
「炭坑爆発の記事は上出来だった。サザークの火事もよかったぞ。現場取材の感じがよく出ていた。ところで、用事はなんだね?」
「お願いがあります」
 とたんに相手は警戒の色をうかべて目をそむけた。
「ちぇっ! とたんにお願いとくるか、なんだね?」
「わたしをどこかへ特派していただけないでしょうか? 全力をつくしていい記事を書きたいと思います」
「いきなり特派というが、何か計画はあるのかね、マローン君?」
「今のところ特にありませんが、冒険と危険のあふれる仕事ならなんでも構いません。とにかく最善をつくします。困難であればあるほど、わたしとしては大歓迎です」
「ばかに命を捨てたがっているようだな」
「命を正しく使いたいんです」
「おやおや、まさに意気軒昂というところだな、マローン君。だが、そういう時代はもう終わったのとちがうかね。莫大な費用をかけて記者を特派しても、このごろではまず元がとれん。それに、いずれにせよそういう任務は、読者に信用のある経験を積んだ有名記者の役割だ。地図上の大きな空白はどんどん埋められつつあり、もう冒険や綺談(きだん)の入りこむ余地はどこにもない。いや、待てよ!」突然、マッカードルの顔に微笑がうかんだ。「地図の空白といえば、一つ思いだしたことがある。詐欺師(さぎし)の正体をあばいて――つまり、現代のほら男爵(だんしゃく)ミュンヒハウゼンのことだが――世間の笑い者にするというのはどうだ? きみならあの大嘘つきの正体をあばいてくれるだろう。どうだ、こいつはいいぞ。やってみる気はないかね?」
「なんでもやります――どこへでも行きますよ」
 マッカードルはしばらく考えこんでから言った。
「きみがあの男とうまくやれるかどうか――せめて口をきくだけ親しくなれるかどうか、問題はそこだな。もっとも、きみは見るところ人の心にとり入る天才らしい――共感を呼ぶというか、動物的な牽引力というか、あるいは若さの持つ力というか、現にわたし自身がそういうものを感じている」
「おほめにあずかって恐縮です」
「では、さっそくエンモア・パークのチャレンジャー教授に当たって、運だめしをしてみてはどうだ」
 おそらくわたしは、いささか度胆を抜かれた表情だったにちがいない。
「チャレンジャー!」わたしは叫んだ。「例の有名な動物学者、チャレンジャー教授か! 《テレグラフ紙》のブランデルが、頭を割られたという人物じゃないんですか?」
 社会部長の顔に、とりつくしまのない笑いがうかんだ。
「いやなのかね? きみは冒険を求めていると言わなかったかな?」
「この仕事に冒険はつきものです」
「その通りだ。あの男だって年中そんな乱暴ばかり働くわけでもあるまい。ブランデルのときは、相手の虫のいどころが悪かったか、あるいは面会の手際が悪かったのさ。きみなら幸運を期待できそうだし、彼のあしらい方も心得ているだろう。それに、この仕事ならきみの希望とも合致するし、《ガゼット》としてもかた(・・)をつけなきゃならんことだ」
「しかし彼のことは何一つ知りません。ブランデルを殴ったときの、軽犯罪裁判と関連して、やっと名前だけはおぼえている程度ですよ」
「わずかだが参考資料があるよ、マローン君。わたしはしばらく前から教授に目をつけていたんだ」彼はひきだしから一枚の書類をとりだした。「これが彼の経歴の要約だ。ざっと読んでみよう。
 チャレンジャー、ジョージ・エドワード。一八六三年、スコットランド、ラーグズに生まる。教育、ラーグズ・アカデミー、エジンバラ大学。一八九二年、大英博物館助手となり、翌九三年、同館比較人類学部次長。同年筆禍事件をおこして辞職。動物学上の研究に対しクレイトン・メダルを授けらる。所属学会――ほほう、外国の学会だけで小さな活字で二インチも並んでいるぞ――ベルギー協会、アメリカ科学アカデミー、ラ・プラタ学会等々。前古生物学会会長。大英学術協会H部門会員――その他多数。著書。『カルムック頭骨群の調査報告』『概説脊椎動物の進化』、他にウィーンの動物学会総会において白熱的論議の対象となった『ワイスマン学説の根本的誤謬』を含む多数の論文あり。趣味。散歩、登山。住所。ウェスト・ケンジントン区、エンモア・パーク。
 さあ、これを持って行きたまえ。今日のところはこれで全部だ」
 わたしは書類をポケットにすべりこませた。
「もう一つうかがいます」ふと見ると、目の前にあるのはあから顔ではなく、ピンク色の禿(は)げ頭だったので、わたしはこう呼びかけた。「なぜぼくがこの男に会いに行くのか、まだよくわかりません。彼は何をしたんですか?」
 マッカードルはふたたび顔をあげた。
「二年前に単身南アメリカ探検にでかけたのさ。帰国したのは昨年だ。南アメリカへ行ったことは疑いないが、正確な場所は絶対に明かそうとしない。あやしげな口調で冒険談を語りはじめたが、あら探しをする者が現われたら、それっきり牡蠣(かき)のように口をつぐんでしまった。何か信じられないような体験をしたか――あるいはとんでもない嘘つきの名人か、というところだが、どうやらあとのほうらしいね。動かぬ証拠写真を握っているそうだが、それはでっちあげという噂(うわさ)もある。質問をしかけた相手にはみさかいなしに噛みつき、新聞記者を階段から引きずりおろすほど気むずかしくなっているそうだ。ま、わたしの想像では、科学かぶれのした殺人的誇大妄想狂というところだな。これがきみの相手だよ、マローン君。とにかく、彼をどう料理できるか、やってみるんだな。きみももう子供じゃない、自分の面倒ぐらいは見られるだろう。いずれにしろ身の危険はない。雇主責任保険法というものがあるからね」

……第二章冒頭より


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