「幸運な死体」

クレイグ・ライス/平井喬訳

ドットブック版 242KB/テキストファイル 167KB

600円

暗黒街のボスを射殺した罪で、電気椅子に送られる運命にあったアンナ・マリーは、処刑直前、真犯人の自白で自由の身になった。彼女は処刑が行われたと発表させて、身を隠し、「幽霊」として関係者の前に姿を現わす。自分に罪をきせた事件の黒幕をつきとめ、復讐を計画する彼女の周辺で、次々と殺人がおこる。彼女の美貌に魅せられた酔いどれ弁護士マローンは真相解明に乗り出すが…クレイグ・ライスの才気あふれる傑作ミステリー。

クレイグ・ライス(1908〜57) アガサ・クリスティの独創性、ダシール・ハメットのスピード感、ドロシー・セイヤーズのウィットを複合して独特の語り口で結合させたと評される、アメリカを代表する女性作家。笑いのある本格ミステリというユニークな作風は、他の追随をゆるさない。他の代表作に「大はずれ殺人事件」「大あたり殺人事件」「こびと殺人事件」「素晴らしき犯罪」など。

立ち読みフロア
 アンナ・マリーが眠れたということは不思議だった。彼女が夢を見たということは、おそらくさらに不思議だったろう。
 監獄付きの教誨師(きょうかいし)は、立ち去る時に、「少し眠るようにしてみなさい」と言い、アンナ・マリーは、「今夜十二時過ぎれば、たっぷり眠れますわ」と言ったのだった。
 しかし、驚いたことには、独房の寝棚に横になると、彼女は眠ったのだった。おそらくそれは、処刑の延期令状を手に入れるという、最後のはかない努力のために、この二晩、一睡もしていなかったためだったのだろう。すべての希望が消え去った今、彼女は眠り、かつ夢を見たのだった。
 その夢とは、この監獄に収容されて以来、前にも何回か見たことのある、電気椅子にしばりつけられる前に彼女が過ごすであろう最後の数分間の出来事で、細部はいろいろと変わったが、結末だけは変わらない夢だった。今度の夢は、金にあかせて飾りつけ、ぶ厚い、あたたかな色の絨毯を敷き、大きな、やわらかいソファを置いた、きれいな部屋だった。彼女は、そこで処刑の瞬間を待っており、他にも二、三人、不幸な人びとが待っていたのだが、目を覚ました後、彼女は、それらの人びとの顔を思い出すことはできなかった。彼らは、彼女とは何の関係もなく、それぞれの罪の償いをするために、そこにいたのだった。
 彼女は、ゆったりしたスカート、長くふくらんだ袖のついた、派手なプリント柄のシフォンのアフターヌーン・ドレスを着ていた。片側の縫い目が仮縫い用のピンでとめられ、まるで仮縫い室から出てきたばかりのようだった。ベス伯母さんが部屋にいて、夢の切れ目で彼女は伯母さんに、「《あれ》が終わったら、このシフォンのドレスを上げるわ」と言ったのだった。ベス伯母さんは、ウィスコンシンのフローブ・ジャンクションのような田舎では、いつ、どこで、そんなものを着られるのか、自信がないようだった。
 それから彼女はベス伯母さんに、ウィル伯父さんに会えるのだから、処刑されたあと悲しまないようにとたのみ、ベス伯母さんがよろしく言ってたと伝えるから、と言ったのだった。その夢には、あらゆる囚人たちがポケットから小銭を出し、床に投げ出すという奇妙な瞬間があった。アンナ・マリーは、夢の中でさえもわけがわからなかったのだが、カール・ブラックがくれたサファイアの腕輪をはずし、絨毯の上に投げ出した。その時、ウィル伯父さんが――彼は、二年前に死んでいたのだが――部屋に入って来たので、彼女は、自分が死んだら、ずっと昔にロイ・ジェームズがくれたサンゴの首飾りを見つけて首にかけてくれるように、あれといっしょに埋めてもらいたいからと頼んだのだった。
 ここで、夢の焦点が変わったらしく、突然、死刑囚たちは半円形に厚い絨毯の上に坐っており、判事とおぼしき人物が入って来て、彫刻のある大きなマホガニーの机に向かって坐ると、彼らに向かってしゃべり始めた。アンナ・マリーがさっと立ちあがって話し始めたのは、その時だった。「《あたしが無罪だということは、わかってるでしょう!》 あたしを見て、わからないの? あたしは、人を殺したことなんて――」
 その時、いつものように、彼女は自分の声で目を覚ました。数分間彼女は、眼を閉じたまま、全身に冷汗をかいて横たわっていた。やがて、その血管に温かみがゆっくりと戻って来はじめた。
「何ていやな夢!」とアンナ・マリーは、独り言をつぶやいた。「あたしが電気椅子に――」
 突然、寝棚に起きなおると、彼女は、かんぬきのかかったドアを眼光鋭く見つめた。それは、事実だったのだ。彼女は、今から三時間たらずのうちに、電気椅子につくのだった。

……巻頭より

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