「魔の山(上・下)

トーマス・マン/圓子修平訳

(上)ドットブック版 598KB/テキストファイル 417KB
(下)ドットブック版 653KB/テキストファイル 474KB

各1200円

ハンブルク生まれのハンス・カストルプはアルプスの山中にあるサナトリウム「ベルクホーフ」で7年間の療養生活を強いられる。その間、ロシア婦人ショーシャに愛を寄せ、理性による文明の進歩を信ずる民主主義者のイタリア人セッテンブリーニと、独裁によって神の国を実現しようとするユダヤ人ナフタとの、決闘にまで立ち至る壮大な論争に巻き込まれる。また、精神の世界に対して感覚的な生の世界を 謳歌するオランダ人ぺーペルコルンからもハンスは深い感銘を受けるが、ペーペルコルンは自殺し、ショーシャも山を去る。雪のなかの彷徨で感じた至福感を胸中に抱きながらも、ハンスは突如として襲ってきた大戦に勇躍参加する選択をする。トーマス・マンの代表作。

トーマス・マン(1875〜1955)北ドイツの商業都市リューベックの古い商人の家の生まれ。父親が亡くなると、家族と共にミュンヘンに移り、保険会社や風刺新聞の社員として働いた。ショーペンハウアーとニーチェの二人の哲学、さらに作曲家ワーグナーの影響を受け、19歳のころからおもに短編小説に手を染めたが、1900年に発表した「ブッデンブローク家の人びと」で文学的名声を確立した。芸術家的な気質をもった男と、彼が属する中産階級の環境との間の対立というテーマは、のちの作品「トーニオ・クレーガー」にも、「ヴェニスに死す」にも見られる。しかし、マンの創作は、20世紀を代表する傑作小説とうたわれる「魔の山」(1924)で頂点をむかえる。33年にヒトラーが政権をとると、国外に亡命、初めはスイスに逃れ、ドイツ市民権を剥奪されると、38年アメリカに渡り、のちアメリカの市民権を得た。第二次世界大戦終結後、再びスイスに戻ってチューリヒに居を定め、そこで亡くなった。代表作は他に「ヨゼフとその兄弟」「ファウスト博士」など。

立ち読みフロア
第一章

 ひとりの単純な青年が、夏の盛りに、生れ故郷のハンブルクからグラウビュンデン県のダヴォス・プラッツへと旅立った。三週間の予定で、ひとを訪ねる旅行であった。
 ハンブルクからこの高地までといえば、やはり大旅行である。実際、たった三週間の滞在とすれば、遠すぎる旅である。さまざまな土地を通り、山をのぼり、山をくだり、南ドイツの高原地帯からシュワーベンの海ボーデン湖のほとりに出て、船で躍る波を越え、かつては底無しと思われていた淵(ふち)を渡って行くのである。
 これまで支障もなく捗(はかど)ってきた旅は、ここから滞(とどこお)りはじめる。たびたび待たされたり、厄介(やっかい)な手続を踏んだりしなければならないのである。スイス領のロルシャッハでふたたび汽車に乗ることになるが、それもひとまずアルプスの小駅ラントクヴァルトに運ばれるまでで、ここで汽車を乗り換えなくてはならない。吹き曝(さら)しの、あまり魅力的とはいえないこの土地でずいぶん待たされてから、こんどは狭軌鉄道に乗り込むのだが、この小型ながらあきらかに桁(けた)はずれの索引力をもっている機関車が動きだした瞬間に、この旅行のほんとうに冒険的な部分、つまり急激で執拗(しつよう)な、いつ果てるともない上昇がはじまる。というのは、ラントクヴァルトはどちらかといえばまだ低いところにあるが、ここからは荒々しく険しい岩の道をまっしぐらに高山地帯へと上って行くからである。
 ハンス・カストルプ――というのがこの青年の名であった――は、膝(ひざ)を旅行毛布にくるんで、灰色の布を張った小さな客室にたったひとりで坐っていた。荷物は、この名もここでもう言ってしまうと、彼の大叔父(おじ)で養父のティーナッペル領事からもらった鰐(わに)皮の手提鞄(かばん)ひとつで、冬オーバーは洋服掛けに掛かって揺れていた。窓は開け放してあった。そして、午後になるとしだいに冷えてきたので、甘やかされて育ったひよわな子である彼は、いま流行(はや)りのゆったりとした、絹地の夏オーバーの襟(えり)を立てていた。傍らの座席の上に「大 洋 汽 船(オーシャン・スティームシップス)」という仮綴本(かりとじほん)が置いてあった。旅行もはじめのうち彼はときおりこの本を覗(のぞ)いてみたのだが、いまはなげやりに放り出されたままになっていて、苦しそうに喘(あえ)いで行く機関車の吐息とともに流れ込んでくる炭滓(たんかす)がその表紙を汚していた。
 旅行をして過ごす二日間はひとを――とりわけ人生にまだしっかりと根をおろしていない青年を――その日常の世界から、彼が義務、関心事心配事、希望などと呼んでいるすべてから、駅に向うタクシーのなかで夢想したよりもはるかにはっきりと切り離してしまうものである。彼とその故郷とのあいだに、旋回し遁走(とんそう)しながら割り込んでくる空間が、ふだんは時間に帰すべきものと考えられている力を証明してみせるのである。空間は刻一刻と彼の内面に変化を生ぜしめるが、この変化は時間に由来する変化に酷似してはいるものの、ある意味では時間に由来する変化を凌駕(りょうが)してもいる。時間と同様に――空間は忘却を生む。しかし空間は、ひとそのものをそのさまざまな関係から切り離して本来の自由な状態に移しかえることによって、忘れさせるのである、――そう、空間は固陋(ころう)な人間や俗物をすらまたたく間に一種の放浪者(ヴァガブント)にしてしまう。時間は忘却の河(レーテー)であるといわれる。しかし異郷の風もまたそれに類する飲料である。そして異郷の風は、時間ほど徹底的でないとすれば、その分だけ急速に作用するのである。
 ハンス・カストルプもまた以上のようなことを経験した。彼はもともとこの旅行をとくに重大なものと考えてはいなかったし、この旅行に本気で関わるつもりもなかった。彼はむしろ、どうしてもいちどはしなければならなかったこの旅行をいそいで片付けてしまい、出発したときと同じハンスのまま帰って来て、しばらく中断することになった生活を、その中断したところからまた継続して行こうと考えていた。きのうもまだ彼はいつもの思考の圏内に完全に捉(とら)えられていて、思いうかぶことといえば、ついこのあいだ済ませた試験のことや、間近に迫ったトゥンダー・アンド・ヴィルムス商会(造船、機械・ボイラー製作工場)の実地業務に就くことばかり、そして、これからの三週間がはやく過ぎてしまえばいいと、彼のような気質の人間としては精いっぱいの苛立(いらだ)たしさを感じていたのであった。しかしいま彼は、周囲の状況が自分の注意力のすべてを要求しているような、そしてそれをいい加減に取り扱ってはいけないような気がしはじめていた。彼がこれまでいちども呼吸したことのない、そして彼も知っていたように、不慣れな、奇妙に稀薄(きはく)で不足がちな生活条件が支配している領域に運び上げられたこと――それが彼を昂奮(こうふん)させ、一種の不安を感じさせた。


……第一章冒頭より


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