「マハーバーラタ」(第1巻)

作者不詳/山際素男訳

ドットブック版 409KB/テキストファイル 244KB

1000円

インド神話の精髄「マハーバーラタ」の完訳。全9巻。1998年度翻訳出版文化賞受賞。これは、クル家とパーンドゥ家の領土をめぐって争われた戦いの物語である。父王の死んだ後、パーンドゥ5人兄弟は伯父のドリタラーシュトラ王のもとに引き取られ、従兄のドゥルヨーダナたちと一緒にわが子同様に育てられた。しかし、この間に従兄弟同士のライバル意識や憎しみの感情が芽生えていった。ドリタラーシュトラ王は、5人の長兄ユディシュティラの優れた人格を認め、王位相続者として指名する。ここから両王族間の果しない憎しみと戦いの歴史が始まる。ドゥルヨーダナは、パーンドゥ一族を滅ぼそうと奸計を巡らし、賭事好きのユディシュティラをサイコロ賭博に誘い、まんまと罠にかける。一切を奪われたユディシュティラたちはカーミヤカの森に放逐された……この物語は太古の昔から綿々とつづくため、神々の系譜など煩雑なところも多く、最初はなかなかとっつきにくい。「物語のあらまし」で概要を把握してから読みすすめるのがおすすめだ。
立ち読みフロア
ドゥルヨーダナの陰謀

 ガンダーリーの兄シャクニ、ドゥルヨーダナと弟のドゥフシャーサナ、カルナたちは、パーンドゥ家族を亡きものにしようという恐るべき計画を執拗(しつよう)に準備していた。
 ある日、ドゥルヨーダナは父のところへゆき訴えた。
「父上、都の人心はパーンドゥ家に集まり、ユディシュティラをクル国の王にしようと話し合っています。パーンドゥ兄弟は、彼らの父の後を継いで王国を継承し、その子もまた王位を受け継ぐでしょう。そうやって代を重ねてゆけば、われわれは永久に王位継承者の地位から遠ざかるばかりで、いつか国から追われる身になるでしょう。父上、この点をよく考え、今のうちに禍根(かこん)を絶つべきです。それには父上が王である今をおいてはありません」
 ドリタラーシュトラもかねがね一番気にしていたことを息子の口から指摘され、つい心を動かされ、ドゥルヨーダナの言葉に耳を傾けた。
「パーンドゥたちをヴァーラナーヴァタの町へ追い払ってしまいましょう。そうすればなんの心配もありますまい」ドゥルヨーダナはここぞと語気を強めた。
「しかし市民はみなパーンドゥ家のものを慕っておるし、兵士たちも代々パーンドゥ一族によって養われている。無理矢理彼らを追放したとなれば、危(あぶ)ないのはわれわれの方ではないのかな」ドリタラーシュトラはまだ不安な面持ちであった。
「そこはわたしたちにまかせて下さい、父上」ドゥルヨーダナは自信あり気にいった。
「彼らがいない間に、市民に大盤振舞(おおばんぶるま)いをし、われわれへの人気を高めるのです。なに人間などというものは、度々金品を贈(おく)られ、ご馳走(ちそう)されていれば気が変り、こちらの味方になるものです。大臣や国庫の管理はすでにわれわれの掌中にあります。ですから、なにか甘言をもうけて彼らをヴァーラナーヴァタへ追い払ってしまい、その間にわたしを王座につけて下さい。それからクンティーや息子たちが帰ってくればいいではないですか」
 ドゥルヨーダナは言葉巧みに父の心をゆり動かした。
「そなたを王にさせたいのはやまやまだが、パーンドゥ一家の追放には、ビーシュマやドローナ、ヴィドゥラ、クリパたちも賛同しまい。あれたちにとってわれわれクルもパーンドゥも同じなのだ。もしそんな卑劣な手段であれらを追い出したりしたら、ビーシュマたちは決してわれわれを許さないだろう」
「父上、ビーシュマたちをそんなに恐れることはありません。ビーシュマは常に中立を保ち、ドローナの息子はこちらの味方です。息子がこちらにつけばドローナも息子を捨てて敵側に走ることはできますまい。クリパはドローナ親子のつく方にくるでしょう。自分の妹の夫とその息子である甥(おい)の敵に回ることはないはずです。ヴィドゥラはわれわれに頼って生きているし、たとえパーンドゥ側についても全く無力です。
 ですから父上、一刻も早く彼らを追放し、われわれの将来の禍根(かこん)を取り除こうではありませんか。そうすればわたしたちはみな明日から安心して眠れるのです」

 こうしてドゥルヨーダナは着々と彼らの陰謀を進めた。
 ある日、宮廷で王族たちが集まっているところで、ドリタラーシュトラとしめし合わせた大臣が、言葉巧みにヴァーラナーヴァタの話を持ち出した。
「聞くところによれば、ヴァーラナーヴァタは素敵なところだそうだ。シヴァ神の大祭りが始まって町は大変な人出で賑(にぎ)わっている。色々の催しが盛大に行われ、まるでガンダルヴァの都のように日夜を問わず光り輝いているそうな」
 その話に若いパーンドゥ兄弟たちは耳を欹(そばだ)て興味を抱いた。様子を窺っていたドリタラーシュトラはすかさずいった。
「わたしもあの町の噂は度々耳にしている。どうだなユディシュティラ、一度見物に行ってきたらどうだ。こんな機会はまたとないぞ。向うへ行ったら存分に楽しんでくるがいい。ただし悪に染まってはならんぞ。色んな誘惑が待ちかまえているだろうからな」
 謹厳な王のいつにない冗談に人びとはどっと笑い、口々にヴァーラナーヴァタへ行くようパーンドゥ兄弟を唆(そその)かした。
 王や周りのたってのすすめに、ユディシュティラは何か心にひっかかるものを感じながらも、行かざるをえなくなってしまった。
 パーンドゥたちは、母のクンティーを伴いヴァーラナーヴァタに行くことを決め、ビーシュマはじめヴィドゥラ、ドローナ、クリパ、祖父シャンタヌの弟バーフリカ、その子のソーマダッタ、アシュヴァッターマン他多勢の重臣、家臣たちに暫(しば)しの別れを告げた。
 ドゥルヨーダナは欣喜雀躍(きんきじゃくやく)し、かねてからの計画を直ちに実行に移そうと、腹心の一人プローチャナに指示した。
「特別仕立の早馬車でヴァーラナーヴァタへ向え。そして町外れに四角形の豪邸を造れ。
 建築材料は麻、樹脂、その他なんでもいいから燃えやすいものをふんだんに使い、少量の土にギー、油、脂肪、大量のラック(ラックカイガラムシの雌の分泌する天然樹脂。赤色塗料として現在も用いられている)を混ぜ、壁を塗りこめ。更に家の方々によく乾いた麻、油、ギー、ラック、薪などを配置しろ。パーンドゥたちに気取られないよう十分注意して事を運べ。
 パーンドゥたちを最大級にもてなし、部屋の調度品は最高級の製品をあつらえ、町の人びとが全く気づかない間に、夜、彼らが熟睡している時に火を放ち、全員焼き殺してしまうのだ」
 プローチャナは早速仕事に取り掛るべく早々にハスティナープラを出発した。
 パーンドゥたちの出立(しゅったつ)を惜しむ多勢の市民は、彼らとヴァーラナーヴァタへ行こうと途中までついてきたが、ユディシュティラの説得で思い止まり、それぞれの家へ帰っていった。
 ただヴィドゥラだけは、ドゥルヨーダナの奸計(かんけい)を察知し、ユディシュティラに近寄り、普通の人間には解せない方言を用いてそれとなく警告した。
「ユディシュティラよ、政略をよく知るものは、身に迫る危険を未然に避けるべきだ。たとえ鉄でできていなくとも、身を切り刻む鋭い武器が隠されていることに気づくものは、未然にそれから身を守ることができる。たとえ森が火事になっても穴の中の動物が身を守れるように、火から逃れる術を知っていなくてはならない。家の中にもぐらのように穴を掘り、火から脱出する方法を考えなくてはならない。盲人は方向が分らないが、目の効くものは星の方角で自分の行くべき方向を確かめ、落ち着いて敵の罠(わな)から逃れることができるはずだ」
 ヴィドゥラのこの言葉にユディシュティラは良く分りましたと答え、ヴィドゥラたちは市民と共に帰っていった。
 人びとが去るとクンティーがきていった。
「さっき、わたしには分らない言葉でひそひそ話していたけれど、よければわたしに教えてくれないかね」
 ユディシュティラはそっと答えた。ヴァーラナーヴァタの家は非常に燃えやすいもので作られている。そして脱出方法を示唆してくれたのだ、と。
 パーンドゥ一家がヴァーラナーヴァタに到着すると市民の大歓迎をうけ、町の高官、バラモンたちの家を訪れ温(あたた)かくもてなされた。
 プローチャナは極上のご馳走、衣服、寝室を彼らにあてがい十分に寛(くつろ)がせ、十日目の日、「祝福の家」と称する新築の邸宅に彼らを案内した。
 ユディシュティラは密(ひそ)かに家の中を点検し、ビーマに耳打ちした。
「この家はすべて燃えやすいもので作られている。ギー、ラック、油脂の匂いがいたるところでしているのが何よりの証拠だ。別れ際にヴィドゥラはこのことをわたしに教えてくれたが、まさに彼のいった通りだ」
「それなら今までいた家へ戻ろう」ビーマは目を三角にしていった。
「いや、それは利口なやり方ではない。プローチャナはドゥルヨーダナの命(めい)でわれわれを亡(な)きものにしようとして派遣された男だ。われわれが彼らの意図に気づいたと知ったら、なにがなんでもわれわれを殺そうとかかるだろう。こちらは多勢に無勢。母上に万一のことがあってはならない。

……ドゥルヨーダナの陰謀」冒頭 より


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