「マラコット海淵」

コナン・ドイル/斎藤伯好訳

ドットブック版 169KB/テキストファイル 148KB

400円

――見よ、潜水函の窓ごしに、この世のものならぬ、青白い燐光を発してひかるその海底には、古代フェニキアのそれとよく似た壮大な建築物の遺跡が、まるで夢のように、はるか彼方までつづいていたのだ。…「これこそ、大西洋の底ふかく沈んだと伝えられるアトランティス大陸の首都の遺跡にちがいない!」マラコット博士は息をはずませて叫んだ。
 ホームズの産みの親ドイルが、その博学と想像力のすべてを注いで書き上げたSF古典。
立ち読みフロア
 これらの書類の編集がわたしの手にゆだねられたからには、海洋学と深海生物研究の目的で一年前に出帆した汽船ストラトフォード号の悲しい失踪をみなさんに想起してもらうことから話を始めたい。
 この探検隊は、「疑似《ぎじ》珊瑚形成論」や「鰓葉《さいよう》属生物形態学」などの著者として有名なマラコット博士によって組織された。同博士はサイラス・ヘドレイ氏を同行していた。同氏は元マサチューセッツ州ケンブリッジ動物学研究所助手で、出帆当時はオクスフォードのロード奨学金給費研究員であった。経験ゆたかなハウイ船長が汽船の指揮を取り、フィラデルフィアのメリバンク製作所から招いたアメリカ人機械工一名をふくむ二十三名の乗組員たちがいた。
 この全員がまったく姿を消した。この悲運な汽船に関する消息は、同船と外見のそっくりな船が一九二六年秋の大強風の中で沈没するのを実際に見たという、ノルウェーの一小型帆船の報告だけであった。
 その後、「汽船ストラトフォード」と銘打った救命ボートが、数多くの甲板スノコ、救命ブイ、円材などの破片とともに、同船遭難の現場と推定される付近の海上で発見された。この事実は、同船がかなり長い間消息を絶《た》っていることと考え合わせると、同船の運命に不吉な確信を抱かしめるに十分であるように思われた。さらにこの確信は、たまたま、時を同じうして受信された無電のあったことがわかると、いよいよもって、その信頼度をたかめてきた。この無電の電文は、部分的にはいささか意味の明確さを欠くうらみはあったが、ことストラトフォード号の最期を示唆する点に関するかぎり、ほとんど疑いの余地を残さなかった。この電文は、のちほど、本書においても引用してお目にかけるつもりである。
 ストラトフォード号の、今回の航海については、その当時から、いろいろ論評のまととなり、世間の耳目をあつめた点がいくつかあった。その第一は、この探検家をひきいるマラコット博士の不可解な秘密主義である。元来、同博士の報道陣に対する嫌悪と不信は名高いものであったが、今回の場合はその極端さがひどすぎた。なにしろ、船がアルバート・ドックに滞在していた何週間かというものは、新聞記者たちの質問には、いっさい返答をしないばかりか、新聞社ときけば、いかなるものの立ち入りもゆるさなかった。うわさによれば、船上には、深海研究用としてとくに設計された、なにか思いもよらぬ構造の機械を積みこんでいるとのことであったが、このうわさは、同船がウエスト・ハートルプールのハンター造船所で特殊の船体改造をおこなった時、いよいよ、その真実性を強めたとのことである。なんでも、同船は船底がポッカリと取りはずしできるようになっているらしいとのことで、このことは、とくに、同船と今回の航海保険契約をとりかわすことになっていたロイド保険会社の注意をひいた。いろいろ紆余曲折はあったらしいが、結局、同保険会社も契約に応じたところをみると、この船は想像以上に独創的な、安全度の高い構造の設計であったようだ。その当座は、このうわさも、ほかの多くのうわさと同様、たちまち世間の人々の記憶から消えてしまったものだが、今、こうして、ストラトフォード号の遭難を想起してみると、何かしら、かんたんに忘れさることのできぬ、重要性を持っていたように思われるのだ。
 ストラトフォード号の今回の航海に関する因縁話はこのくらいにしておいて、そろそろ本題に入ることにしよう。現在までのところ、この事件を究明する手がかりとして、四つの資料が収集されている。その第一は、ストラトフォード号がテムズ港を出帆後ただ一度だけ寄港した時に、同船に乗りくんだ研究員サイラス・ヘドレイ氏が、その友人でオクスフォード大学のトリニティ・カレッジにいるサー・ジェイムス・タルボットにあてて書いた一通の書簡である。第二の資料は、さきにわたくしが申し述べた奇妙な無電の電文であり、その第三は、汽船アラベラ・ノウルズ号の船長のしるした航海日誌中、例のガラス球に関する部分である。第四の、すなわち最後の資料は、そのガラス球内部におさめられていた文書であるが、この文書には、おどろくべき内容の物語が、じゅんじゅんとしてしたためられており、読む人をして、これは極度に残酷な精神の持ち主が頭をひねって創《つく》りあげた、こりにこったフィクションか、さもなくば――つまり、その物語るところが真実のものであるとするならば、人類の歴史に新たな一頁を加えるものと称しても過言ではないほど貴重な文献だと信じせしめるものであった。前口上はこのくらいにして、いよいよ、第一の資料、サイラス・ヘドレイ氏の書簡をそのまま再録することから本題にはいることとしよう。これは一九二六年十月一日付で書かれ、未公開のものであるが、本書では、サー・ジェイムス・タルボットのご好意によりとくに引用の栄を得た。

前略
 タルボット君、ぼくはこの手紙をポルタ・デ・ラ・ルツから投函しようとしている。当地には、休養をとるべく数日間寄港している。テムズ港を発って以来の航海中、ぼくの大のなかよしは、機械主任のビル・スキャンランだった。同君はぼくと同郷の士であるのみならず、ひとの気をそらさない性格の持ち主だから、ぼくとは、たちまち、十年来の知己のごとく、うちとけあってしまった。でも今朝だけは、どうやら、ぼくがおいてけぼりをくわされたらしい。スキャンランは、例のかれ一流の口調をまねれば「あまっことのあいびき」とやらに出かけてしまったのだ。そう、まったくのはなし、かれはイギリス人たちが、本もののアメリカ人ならかくあるべしと考えているような口のききかたをするのだ。きっと、かれのような男を、生《き》っ粋《すい》のアメリカっ子というのだろう。ぼくの場合、イギリス人の友人達といっしょにいる時には、思い出しては、「〜って思うね《ゲス》」とか「〜とみるね《レコン》」などと、せいぜい、アメリカ口調をつかってみせているにすぎない。いや、まったく、そうでもしなかったなら、ぼくがアメリカっ子だということを、たいがいのイギリス人は気がつかないだろうと思うね。しかし、ぼくときみのあいだでは、そんなことはどうでもいい話だ。まあ、さしあたって、この、いま書いている手紙の中には、いくらさがしたって、ぜったいにアメリカなまりはない、みんなきれいなオクスフォードばりの英語ばかりだということに、大みえをきっておこうか。

……冒頭より

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