「王妃マルゴ(上・下)」

アレクサンドル・デュマ作/鹿島茂編訳

(上)エキスパンドブック  1890KB/ドットブック版 174KB/テキストファイル 135KB

(下)エキスパンドブック 1740KB/ドットブック版 178KB/テキストファイル 139KB

各500円

舞台はフランス・ルネサンスの一見はなやかな時代。だが新旧の宗教の対立はきわだち、聖(サン)バルテルミーの大虐殺で対立はクライマックスを迎える。シャルル9世は君主ではあったが、母親のカトリーヌ・ド・メディシスは隠然たる力をもち、シャルルの弟たちもそれぞれが次期の王位を狙っていた。こうしたなかでシャルルの妹マルゴ(マルグリット・ド・ヴァロワ)はプロテスタント勢力の旗頭ナヴァール王アンリと政略結婚をさせられる。だがマルゴは披露宴の席で元恋人のギーズ公からなにごとかささやかれると「今夜、いつものように」という言葉をラテン語であたえるのだった。……陰謀渦巻く宮廷を舞台にくり広げられるデュマならではの波瀾万丈の歴史絵巻。

アレクサンドル・デュマ(1802〜70)フランスの小説家、劇作家。黒人系の血をひき、北フランスのヴィレール=コトレに生まれる。パリに出て法律を学び、能筆を認められてオルレアン公の秘書になるが、18のときに観た「ハムレット」を忘れられずに劇作に打ち込み、29年「アンリ3世とその宮廷」によってデビュー。以後、多くの劇作によって評判をとった。35年頃からは歴史小説に手を染め、「三銃士」(のちに大連作「ダルタニャン物語」として完成)、「モンテ・クリスト伯」などの大作を次々に発表、世界を代表するエンターテイメント作家になった。派手な暮らしでも有名になったが、晩年はひっそりと息子の住む別荘先で亡くなった。

立ち読みフロア
 一五七二年八月十八日月曜、ルーヴル宮殿では、壮麗な宴が開かれていた。
 いつもはあれほどに暗い王宮の窓々にも、今夜だけは、こうこうと灯りがともり、サン=ジェルマン=ロクセロワ教会の鐘が九時を鳴らすと同時にほとんど人通りが引いてしまう近くの通りや広場にも、真夜中だというのに、群衆がひしめいていた。
 暗闇のなかで押し合いへしあいしているこの騒々しく不気味な雑踏は、それぞれの波が集まってひとつの大きなうねりとなり、唸(うな)りをあげて押し寄せる暗い荒海に似ていた。セーヌの河岸にまで広がったこの海は、フォセ=サン=ジェルマン街とラストリュス街を通って、いまやルーヴル宮殿の壁の足元に波を打ちつけ、寄せて返す波で反対側のブルボン館の基部を洗っていた。
 だが、王家の婚礼の宴であるにもかかわらず、いやそれだからこそ、この人の波には、なにかしら人を不安にさせるものが漂っていた。というのも、群衆が観客として見守っているこの盛大な儀式は、一週間後に執り行なわれることになるあの儀式、民衆自身が参加し、心の底から打ち興じることになるもうひとつの儀式の序章にすぎなかったからだ。
 宮廷が祝っていたのは、前王アンリ二世の娘で、現王シャルル九世の妹マルグリット・ド・ヴァロワと、ナヴァール王アンリ・ド・ブルボンの華燭(かしょく)の宴だった。その日の朝、ブルボン枢機卿が、ノートル=ダム寺院に設けられた舞台の上で、フランス王女の結婚式のしきたりに則(のっと)って、花婿花嫁を結びつけたのである。
 だれもがこの結婚には驚いた。そして、洞察力のある人々は背後に何があるのかと考えた。あれほどまでに憎みあっていたプロテスタント陣営とカトリック陣営という二つの党派がなぜ急に接近したのか、理解できる人はほとんどいなかった。たとえば、ジャルナックの町でモンテスキューによって暗殺されたプロテスタントの頭目、父コンデ公のことで、コンデ家の若殿アンリ・ド・コンデが、黒幕の王弟アンジュー公を許しているとは思えなかったし、また、カトリックの総大将、ギーズ家の若殿が、オルレアンでポルトロ・ド・メレの手にかかって殺された父ギーズ公の恨みを忘れて、事件の背後にいたコリニー提督と和解したとも思えなかった。それだけではない。意志薄弱なアントワーヌ・ド・ブルボンの妻である気丈なナヴァール女王ジャンヌ・ダルブレが、息子アンリをフランス王女マルグリット・ド・ヴァロワと婚約させる相談にブロワに赴いたあと、結婚式の二カ月前に急死したことについて、奇妙な噂(うわさ)が飛び交っていた。恐るべき秘密をジャンヌ・ダルブレに見破られたカトリーヌ・ド・メディシスが、秘密が公(おおやけ)になることを恐れ、手袋に染み込ませた毒薬で彼女を毒殺したというのである。毒薬は、この種の薬品の扱いに慣れているフィレンツェ人のルネという男が調合したらしい。人々は、いたるところで小声でささやきあい、またある場所では大声で噂しあった。この偉大なナヴァール女王の死後、息子のアンリの要請で、あの有名なアンブロワーズ・パレを含む二名の医者が解剖をおこなったが、切開は内臓だけにとどまり、脳にまでは及ばなかった。そのため、噂はよけいに広まり、確信をもって語られるようになった。というのも、ジャンヌ・ダルブレが匂いをかいだために毒殺されたとするなら、犯罪の痕跡は、解剖を免れた唯一の場所であるその脳に残っているにちがいないとだれもが考えたからである。犯罪、そう、たしかに、だれ一人それが犯罪であることを疑うものはなかった。

……第一章冒頭部

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