「マルーシの巨像」

ヘンリー・ミラー/幾野宏訳

ドットブック版 267KB/テキストファイル 252KB

700円

1931年、ミラーは友人ローレンス・ダレルの招きをうけてギリシアを訪れた。アクロポリスの丘やアガメムノンの墓をめぐるうち、輝く太陽とそこに生きる原型的な男女に深い感銘をうけ、そして10年後に成ったのがこの作品である。これは紀行文 であるが、それにとどまらない、何か大きなものをもった作品である。

ヘンリー・ミラー(1891〜1980)ニューヨークのブルックリン育ちのアメリカの作家。大学中退後、いろいろな職につくが、1930年以降にパリに出て各地を放浪。34年に「北回帰線」、39年に「南回帰線」を発表して、性の問題を赤裸々に描出したため、英米では60年代まで発禁処分にあったが、フランスからの密輸で、作品そのものは広く知られていた。他の代表作に「マルーシの巨像」「薔薇色の十字架3部作」などがある。

立ち読みフロア

 もしベティ・ライアンという女がいなかったら、私がギリシアを訪れることもなかったに違いない。この女はパリで私と同じ家に住んでいたのだが、或る晩彼女は、白葡萄酒を飲みながら、世界中を放浪していたときの体験談をはじめた。私はいつも彼女の話にはきわめて注意深く耳を傾けることにしていた。それは話の内容の物珍しさのためだけではなく、彼女の話しぶりが、まるで絵に描いてみせるように鮮やかだったからだ。彼女が描写した事柄はすべて、あたかも名匠が描き上げた絵のように私の頭に残ったのである。その晩の話も独特なものだった。それはまず中国と、そしてそのころ彼女が習いはじめたばかりの中国語のことからはじまったのだが、と思うまもなくわれわれは北アフリカにいた。砂漠の中で、私がそれまで話に聞いたこともないような、さまざまな民族の人々のあいだに立ち混じっていたのだ。そのあと突然、彼女はたった一人きりになってどこかの河岸を歩いていた。日差しが強烈だった。私は懸命になって彼女を追いかけて行ったが、日光に目が眩んで見失ってしまい、やがて、それまで聞いたことのない国語を耳にしながら見知らぬ国をさまよっている自分を見出した。この女、ベティ・ライアンは、必ずしも話上手ではないのだが、しかし或る種の芸術家だとは言える。彼女がギリシアの話をしてくれたとき、私はそれを聞いていて自分が実際にその土地の風物に取り囲まれているかのような気がしたものだったが、そんな気持を私に味わわせてくれたものは、この女の他にないのである。ずっとあとになってから、私は、そのとき自分が彼女とともにさまよっていたのが、オリンピアの付近だったことを知った。しかしその晩の私にとっては、それは単にギリシア、かつて夢に見たこともなければ、行ってみたいと思ったこともないような、一つの光の世界にすぎなかった。
 この話よりも前に、何ヵ月にもわたって、私は友人ローレンス・ダレルがギリシアからよこす便りをいくつも受け取っていた。彼はコルフ島〔ギリシア西北部の海岸近くにある。ギリシアで最も美しい島と言われる。別名ケルキラ島〕をほとんど第二の故郷のようにしていたのである。彼の手紙もまた、何とも驚くべきもので、のみならず、私から見ればいささか非現実的なものでもあった。ダレルは詩人だから、手紙も詩的だったのだ。その中で、夢と現実、歴史的なものと神話的なものとがあまりにも技巧的に織り混ぜられていることが、私の内部に或る混乱を生じさせた。後日、私はこの混乱が現実のものであって、ダレルの詩才のせいとは限らないということを、みずから体験して思い知ったのだが、しかし当時の私は、彼が人の気を惹こうとして、というのは、彼はそれまで私に、コルフ島へ来て一緒に暮らさないかとたびたび言ってよこしていたのだが、つまりその招待になんとか応じさせようとして、そんな誇張した手紙を書くのだとばかり思っていたのである。



 戦争が始まる二、三ヵ月前に、私は長い休暇を取ることにした〔一九三九年に、ミラーは『南回帰線』出版後しばらく執筆活動を中止して休養することに決め、六月にパリを去って南仏各地を旅行したのち、七月中旬にギリシアへ向かった〕。一つには、かねがねドルドーニュ渓谷へ行ってみたいと思っていたということもあった。そこで私はスーツケースに身のまわりのものを詰め込み、ロカマドゥール〔ドルドーニュ地方の町〕行きの汽車に乗って、或る朝早く、そこへ着いた。陽が昇りかけていて、月もまだ明るく輝いていた。歳月の降り積った光輝あるギリシアの世界へ足を踏み入れる前に、ドルドーニュ地方をひとまわりすることにしたのは、私にとっては、まさに天才的な思い付きだった。ドム〔ロカマドゥールの近くの町〕の町はずれの美しい崖の上から、その黒い神秘的な川の眺めを一目でも見れば、それは生涯忘れられないものとなるだろう。私に言わせれば、この川、いや、この地方全体が、詩人ライナー・マリア・リルケの領域である。それはフランスのものでも、オーストリアのものでもなく、ヨーロッパのものですらない。ここは地上のすべての詩人たちによって杭で囲われた、そして彼等だけが所有権を主張できる魅惑の領域なのだ。ここは、ギリシアのこちら側では、最も楽園に近いところなのである。譲歩してフランス人の楽園ということにしておいてもいい。また実際、ここはかつて何千年にもわたって楽園であったに違いないのだ。クロマニヨン人にとっては、そうだったに違いないと私は信じる。たとえ、数々の大きな洞窟の中に残っている化石になった証拠物が示すように、彼等の生活状態が、どちらかと言えばわれわれを当惑させ、恐ろしく感じさせるようなものだったにせよである。思うに、このあたりに住みついたクロマニヨン人という奴は、深い知恵と洗練された美的感覚とを持っていたのだ。そして、おそらく彼等の宗教意識は既に高度に発達していて、たとえ洞窟の奥で動物のような生活を営んではいても、宗教上の行事なども盛んに行なわれていたに違いない。私は信じる――平和そのもののような、このフランスの一地域は、これから先も人間にとって常に聖なる場所であって、やがて世界中の都会がすべての詩人たちを滅ぼしてしまうとき、ここが未来の詩人たちの避難所となり、揺籃の地となるだろう。繰り返すが、私にとってドルドーニュ川を見たということは非常に重要なことなのだ。それは私に、人類の将来、地球そのものの将来への希望を与えてくれた。フランスという国は、いつか失くなるかもしれない。しかしドルドーニュ川は、夢というものがいつまでも存在するように存在して、人間の魂をはぐくんでくれることだろう。

……巻頭より

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