「ミス・マープルのご意見は?(1〜3)」

アガサ・クリスティ/ 各務三郎他訳

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各300円

セント・メアリ・ミード村で静かな暮らしを送るミス・マープルは、人のうわさ好き。どんな出来事にも興味をもち、好奇心旺盛で記憶力も抜群。編物が好きで、じっと話に耳を傾けている 。だが、ガーデニングも好きで、通りかかる人物にも注意を怠らない。そして驚くべき洞察力で、事件の謎を解いてしまう。ミス・マープルは長編「牧師館殺人事件」で初めて顔をみせ、 その後、多くの短編・長編で活躍した。

第1巻収録作――「火曜クラブ」「血にそまった敷石」「アスタルテの洞」「コンパニオン」

第2巻収録作――「聖ペテロの指のあと」「四人の容疑者」「クリスマスの悲劇」「死の香草」「溺死」

第3巻収録作――「巻尺殺人事件」「すばらしいメード」「管理人の老女」「教会で死んだ男」「ミス・マープルは語る」

作者によるミス・マープル紹介のことば

 推理小説ファンのみなさん、名探偵ミス・マープルをご紹介しましょう。さくら色のほおをした色白のおばあさんで、どことなくわたしの祖母に似ています。祖母は、世の中からひきこもって、むかし風の生活をしていたのに、人間の醜い心をとてもよく知っていました。
「おまえは、あの人たちのことばをそのまま信じているのかね? それはいけない。わたしなら信じないがねえ」
 こう、咎(とが)めるようにいわれると、そのたびにわたしは、まるで世間知らずの愚か者のように思えてきたものです。
 名探偵ミス・マープルの物語は、書いていてとても楽しかった。わたしは、自分が作ったこのおだやかなおばあさんが大好きになってしまいました。読者のみなさんにも好きになってほしいと心から願っています。

アガサ・クリスティ(1890〜1976)「ミステリの女王」の名を冠されたイギリスを代表するミステリ作家。ベルギー生まれの名探偵エルキュール・ポアロの登場する「スタイルズ荘の怪事件」でデビュー。 「アクロイド殺人事件」「ABC殺人事件」「三幕の殺人」「オリエント急行殺人事件」などの、ポアロもののほか、田舎住まいの詮索好きなおばあちゃんミス・マープルが登場するシリーズなど、膨大な作品を残した。

立ち読みフロア
血にそまった敷石

「なんだかおかしいけど、わたし、この話をするのは気がすすまないの」女流画家のジョイス・ランプリエールが話しはじめた。
「だいぶ前の話なんです――そう、正確にいうと五年前におきた事件ですわ。でも、そのことがずっと頭のどこかにひっかかっていますの。ちょっと見ただけだと、明るいほほえましい光景ですけど――その裏には、なにか恐ろしいことがかくれている。そんな気にさせられてしまうのですわ。そのとき、わたしが描いたスケッチには、そんな気分がしみこんでいるようなの。コーンウォール〔イングランド南西部の州〕のせまい坂道に日の光が射しているだけの、ごくあたりまえのスケッチです。そのくせ、その絵をじっとみつめていると、なにか不吉なものがこっそり足音をしのばせて近づいてくるような気分になります。わたしはとうとうその絵を誰にも売りませんでした。わたし自身、見たくもないのです。いまもアトリエのすみの壁に、裏をむけてたてかけてありますわ。
 事件のあった村はラソール。コーンウォール州にある風変わりな、小さな漁村です。絵のように美しい――美しすぎる風景のところでした。むかしを思いださせるような雰囲気にあふれていました。ちょっとかわった店もありました。髪を短くきった女の子が仕事着をきて、羊皮紙に古い諺(ことわざ)を書いて売っているんです。なんだか、古さを売りものにしているような感じもしましたわ」
「ぼくもその村を知ってるよ」小説家のレイモンドがため息をつきながらいった。「でも、それは観光バスがいけないんだ。絵のように美しい村だというと、どんなに道がわるかろうと、どんどんおしかけていくんだからねえ」
 ジョイスはうなずいた。
「そうなの。ラソール村にゆく道はとてもせまかったわ。まるで家の屋根みたい。ところで、話はもどるけど、わたしは二週間の予定でコーンウォール州をスケッチしてまわるつもりだった。ラソールには、ポルハーウィズ・アームズという古いホテルがありました。千五百何年だったかに、スペイン人が大砲で攻撃したことがあったんだけど、そのホテル一軒だけがこわされなかったという話でしたわ」
「大砲で攻撃などしやしなかったよ」レイモンド・ウェストは、しぶい顔でいった。「歴史をしゃべるときは、もっと正確にたのむよ、ジョイスさん」
「いいわよ、あなたがそういうんなら。でも、海岸沿いのどこかの村を大砲で攻撃したことは、ほんとうのことよ。まあ、その話はこのさい、あまり大切なことじゃないから先をつづけるわね。そのホテルは、むかしふうの建物で、正面に四本の柱にささえられたポーチがあるの。とてもすてきでした。
 スケッチするのによい場所をさがして、さて仕事にとりかかろうとしたときでした。一台の自動車が、丘のまがりくねった道をのろのろと降りてくるんです。もちろん、その自動車はホテルの前にとまりましたわ――わたしがいちばんとまってほしくない場所にね。二人の人が降りてきました。男と女でした。女の人は紫がかった赤い麻の服を着て、同じ色の帽子をかぶっていました――よく見てたから覚えているわ。ふたりはホテルにはいっていったけど、男のほうはすぐに外にでてきました。ありがたいことに、彼は自動車を岸壁のそばまで動かしていって駐車しました。そして、自動車から降りると、わたしの前をぶらぶらとおりすぎて歩いていきました。そのときでした。もう一台の自動車がやってきたんです。まったく腹がたったわ! 運転していたのは女性でした。ものすごくはでな、さらさのワンピースの服。柄はまっかなポインセチアの花でしたわ。それに大きな民芸品のようなムギワラ帽――キューバ帽というんじゃないかしら? それも目もさめるほど赤い色のをかぶっていたの。その女性は、ホテルの正面に駐車はしませんでした。さっきの二人づれの自動車のすぐわきにとめて自動車から降りてきました。男の人がその女性をみて、びっくりした声をあげました。
『あれっ、キャロルじゃないか! こりゃあ、おどろいたな。こんなところできみにあうなんて、まさに奇跡だ! あれから、何年たつかなあ。マージェリーがあちらにいるんだ。ぼくの妻なんだ。ぜひ、会ってくれたまえ』
 二人は、なかよくならんでホテルのほうに歩いてゆきました。ちょうど、さきほどの女性がホテルの玄関に現われて、こちらに降りてくるところでした。わたしはキャロルとよばれた女をちらりと見ただけです。それでも、まっ白におしろいをぬった顔と、火のように赤いくちびるが目にはいりました。
 マージェリーは、その女と会ってうれしがるだろうか? と、わたしはひそかに思いましたわ。それというのも、マージェリーは、いかにもあかぬけしない人で、すこしかたくるしい感じだったのです。もちろん、遠くからちらっと見ただけですから、たしかなことはいえませんけれども。でも、それは、あのひとたちの問題であって、わたしが苦にしてみてもはじまりません。そのくせ、おかしな光景にぶつかると、なんだかへんな気がして、いつまでも心に残るものですのね。その人たちとは、すこしはなれていましたから、会話もほとんどきこえません。それでも、三人が海水浴のことを話していることぐらいはわかりました。夫はデニスという名前のようでした。ボートをこいで海岸沿いをゆこう。一マイルほどむこうに有名な洞穴があるから見ておきたい――と話していました。キャロルは、洞穴は見たいけど、ボートにのるのはいや、崖道をあるいてゆけば、陸からでもながめられる、といっていました。
 しまいには、キャロルは崖道をゆき、洞穴の場所でデニスとマージェリーに会うことにきまりました。夫婦のほうはボートをこいでゆくことにきまりました。三人が海水浴の話をしているのをきいて、わたしも泳ぎたくなってしまいました。
 とてもあつい朝でした。絵も思うように描けなかったし、午後になれば、光線のぐあいもよくなり、いい仕事ができそうに思えたのです。そこで、道具をしまって、いつもゆく小さな浜辺に降りてゆきました――そこは、三人が行くつもりの洞穴とは反対の方向で、わたししか泳ぐ人はいないんです。泳ぐのはすばらしい気分でした。ひと泳ぎすむと、缶詰の牛の舌とトマト二つでおひるの食事をとりました。これで、気分もよくなったし、午後からはたっぷり仕事をしよう――そんな自信にあふれた気持ちで、村にもどっていったのです。
 ラソール村は、まるでねむっているようにしずかでした。午後の日ざしは、わたしが思っていたとおりでした。光の陰影がみごとにあらわれているのです。ポルハーウィズ・アームズ・ホテルがわたしのスケッチのねらいです。ひとすじの日の光がホテルの前の地面に、ななめにあたっています。ちょっとおもしろいスケッチができそうでした。海水浴にでかけていったあの三人も帰ってきたらしく、赤い水着と青い水着がバルコニーに干してありました。スケッチのすみの部分のできあがりがうまくいかなかったので、しばらくのあいだ、わたしは屈(かが)みこみながら直していました。ふと、顔をあげたとき、ポルハーウィズ・アームズ・ホテルの正面の柱にひとりの男がよりかかっているのが目にはいりました。なんだか、魔法でいきなりあらわれたように思えましたわ。船乗りらしい服をきていました。たぶん漁師でしょう。長くて黒い顎髭(あごひげ)。まるで、悪いことをたくらんでいるスペインの船長のようでした。スケッチにこの男もいれて描こう、とわたしは思いました。男がどこかへいかないうちに描いてしまおう……わたしはすばやく描きはじめました。でも、見たところ、その男はじっとして動こうともしません。永遠にそこにいるようでした。
 それでも彼は歩きだしてしまいました。ありがたいことに、そのときには、もう描きあげたあとでしたわ。その男はわたしのところにやってきて話しだしました。ところが、そのしゃべることといったら!
『ラソールはえらくおもしろいところでしてね』
 そんなことは、よくわかっています。でも、そう答えたところで、彼は口をつぐんだりはしなかったでしょう。彼は、村がスペイン人に大砲で攻撃されて、全滅した話をしたわ――そうね、大砲はつかわなかったとレイモンドさんはおっしゃったわねえ。ともかく、彼は、ポルハーウィズ・アームズ・ホテルの主人がいちばん最後に殺されたこと――それも自分の家の玄関で、スペイン船の船長の剣で刺し殺されたのだそうよ――その血は敷石にながれて、百年のあいだ消えることはなかった、などとくわしく話してくれたのです。その血なまぐさい話は、午後のねむたくなるような気分のときには、もってこいの話題でした。男の声はとてもしずかで、ことばもていねいですが、どことなくぞくっとするものがありました。その男はもともと残酷な性格じゃないか? と思ったほどです。おかげで、わたしは、宗教裁判やらスペイン人がやった多くの残酷な行為などにくわしくなったほどです。
 話を聞きながらも、わたしは絵を描きつづけました。ふと気づいたとき、わたしは現実にありもしないものまで絵に描きこんでいました。きっと、話にひきこまれたためでしょう。ポルハーウィズ・アームズ・ホテルの前の四角い石畳に光線がさしていました。わたしはスケッチのなかの石畳のうえに、いつのまにか、血のあとを描きいれていたんです! 話をきいているうちに、殺されたホテルの主人の血のあとを思いだし、わたしの手が無意識に描きこんでしまったのでしょう。人間の心理ってふしぎですわねえ。でも、もういちど、ホテルに目をむけたとき、わたしは、はっとしました。白い石畳のうえには、ほんとうに血がしたたり落ちているのです! わたしは自分の目に映っているものを、あるがままに描いただけだったのです。一分か二分、わたしは石畳の血をじっとみつめていました。それから目をとじて、つぶやきました。
『ばかばかしいわ。血がしたたっているなんて思いちがいをするなんて!』それから目をあけて、もういちどたしかめました。まっ赤な血のあと! まちがえようもありません。わたしは我慢できませんでした。いつまでもしゃべりつづける漁師に話しかけました。
『あのう、目がどうかしてると思うんだけれど、あそこの石畳にあるのは血じゃありません?』
 漁師は、わたしをあわれむようにやさしくながめていいました。
『いまごろまで血のあとが残っているわけがありませんよ。わしが話したのは、五百年も前のことでさあ』
『そう、そうですよ。でも、みてごらんなさい、あの石畳を……』
 わたしは口をつぐんでしまいました。漁師はわたしが見ているものを見ようとはしなかったのです。たわごとをいっているような目つきでわたしをみつめるのです。わたしはふるえる手で道具をかたづけはじめました。気がへんになりそうです。そのとき、けさ、自動車でやってきたあの若い男がホテルから出てきました。なんだかこまった顔であちこちながめています。ちょうど、ホテルの玄関のうえのバルコニーに彼の妻が現われて、干してあった水着をとりこみました。若い男は、自動車のほうに歩きかけましたが、漁師をみると、やってきてたずねました。
『きみ、あそこにある自動車でやってきた女の人だがね。帰ってきたかどうか知らないかい?』
『花がいっぱいついた服を着た人のことかね? さあて、見なかったようだ。けさ、崖道をとおって洞穴のほうにいくのを見かけたがねえ』
『それはわかってる。ぼくらは三人であそこで泳いだんだから。そのあとで、あの人だけ歩いて帰ったのさ。それっきり顔を見ていない。こんなにおそくなるはずはないんだがなあ。あの崖道は危ないのかね?』
『崖道といったって、いくつかあるからね。いちばん安全なのは、このへんにくわしい人間をやとっていっしょに行くことですな』
 このへんにくわしい人間というのは、彼自身のような口ぶりでした。彼はくどくどとそのことをしゃべりつづけましたが、若い男はそっけなくさえぎって、ホテルヘかけだしていきました。彼はバルコニーのうえの妻に声をかけました。
『ねえ、マージェリー、キャロルはまだ帰ってこないんだってさ。ちょっとへんだなあ?』
 マージェリーの声はきこえませんでした。きこえるのは、夫の声だけです。
『しょうがない。もう、これいじょう待てない。これからペンリサーまでゆく予定にしてるんだからな。出発の用意はできたかい? いま、車をまわしてくるよ』
 やがて若い夫婦は自動車にのって出発しました。あの血は、わたしがぼんやりしていたから、光線のさしぐあいで、石畳が赤く見えただけのことよ――わたしはむりやりそう思いこもうとしました。自動車が見えなくなると、わたしはホテルのところにいって石畳を調べてみました。
 もちろん、血のあとなどはありはしません。はじめから、わたしの想像にすぎなかったのです。それでも、妙に恐ろしい気持ちが消えません。わたしは、ぼんやりとその場にたっていました。そのとき、あの漁師の声がすぐ近くでしました。彼はふしぎそうにわたしをながめながら、
『血のあとをみたような気がしたんですかい?』わたしは黙ってうなずきました。
『そいつは不思議だなあ。この村には、むかしから伝えられてきたことがあるんでさあ。血のあとを誰かが見るとね――さっき、あんたが見たような……』そして、口をつぐんでしまいました。
『どんなことなの?』わたしは、なんだか恐くなってたずねました。漁師は、ひくい、やわらかな声でしゃべりだしました。声のあがりさがりはコーンウォールの人間らしいのですが、この地方の訛(なま)りはまるでありません。
『このあたりじゃ、みんな信じているんですよ……そんな血のあとを見たものがいると、二十四時間のうちに、だれかが死ぬってね』
 恐い話! わたしは背中に水をあびせられたようにぞっとしました。と、彼は、わたしを説きふせるように話しつづけるのです。

……「血に染まった敷石」冒頭より


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