「火星の交換頭脳」

E・R・バローズ/小西宏訳

ドットブック版 207KB/テキストファイル 137KB

400円

バローズの痛快火星シリーズ第6弾! フランス西部戦線で戦死した陸軍大尉パクストンは、ジョン・カーターのあとを追って火星に飛来する。そこは火星の外科医ラス・サヴァスの研究所で、この医師はファンダルの老女帝ザザと奴隷女ヴァラ・ディアの頭脳交換手術に成功したところだった…ヴァド・ヴァロと名を変えたパクストンは医師の助手となり、ヴァラ・ディアの肉体を取り戻し、元の頭脳と交換しようと決心する…。

エドガー・ライス・バローズ(米、1875〜1950)シカゴ生まれ。75歳で亡くなるまでに、20冊あまりのターザン物、10冊の「火星シリーズ」をはじめ、金星や月や地底やアメリカ西部を舞台にした数多くの小説を書き、大人気作家となった。その作品の多くは今日でも「一服のよく効く清涼剤」として延々と読みつがれている。

立ち読みフロア

 地球から火星への移動の間、わたしは本能的に目を閉じていたに違いない。目を開けたときは、べったりとあおむけに横たわって、さんさんと太陽の輝く空を見あげていたからだ。そして、わたしから数フィート離れたところでは、いまだかつて見たこともないほど奇妙な格好の人間が、ひどく不可解な面持ちでこちらを見おろしていた。たいへんな高齢とみえて、形容の言葉に窮《きゅう》するほど皺《しわ》がより、やせ衰えている。四肢はなえて、ちぢんだ皮膚の下には、はっきりと肋骨《ろっこつ》がみてとれる。頭蓋《ずがい》は大きく、よく発達して、やせ衰えた四肢や胴体と相まって、頭でっかちの印象を与える。からだとはまるで釣合わない頭を持っているみたいだが、実はそうではなかったのだ。
 ばかでかいたくさんのレンズをつけた眼鏡ごしに、その老人がじっとわたしを見おろしているあいだに、こちらのほうでもくわしく相手を観察することができた。背丈《せたけ》はたぶん一メートル六〇センチ強。若いころはもっと高かったのだろうが、いまは多少腰が曲がっているからだ。武器や小袋をくくりつけた、ごくあっさりした使いこんだ皮のよろいと、すばらしい装身具一つ以外は、なにも身につけていない。装身具はやせこけた首のまわりにかけた、宝石をちりばめた首飾りで、王侯《おうこう》の貴婦人なら、魂と引きかえにでも手に入れたいと思うような逸品である。もっとも、そうした女性が魂を持っていたらの話だが。老人の皮膚は赤銅色、まばらな髪は灰色だった。わたしを見ているうちに、その途方にくれた表情がいっそう強くなる。左手の親指と人さし指で顎《あご》をなでながら、ゆっくりと右手をあげ、すこぶる慎重に頭をかいた。それから話しかけてきたが、その言葉は、わたしにはさっぱり理解できなかった。
 わたしは老人の第一声で起きなおり、頭をふるとあたりを見まわした。周囲は高い壁をめぐらした構内の緋色《ひいろ》の草地だった。壁の少なくとも二方、もしかすると三方は建物の外壁からなっており、その建物は、頭に浮かんだ、なじみのあるどの建築様式よりも、いくつかの点でヨーロッパの封建時代の城に一番よく似ている。その正面が目にはいったが、こった彫刻を施した実に風変わりなデザインで、屋根の線は廃墟《はいきょ》かと思うほど型破りだったが、全体としては均斉《きんせい》がとれて美しさがないというわけではない。構内に生い茂るたくさんの木やかん木は、すべて気味悪いほど異様で、そのことごとく、もしくはほとんどが豊富に花をつけており、さまざまの色をした小石の歩道がいくつか曲がりくねっている。小石の間できらめいているのは珍奇《ちんき》な美しい宝石らしく、その奇妙な、この世のものとも思われぬ光が、陽光の中で躍りたわむれているさまはじつにみごとだった。
 無視された命令をくり返すように、老人はもう一度、今度は断固として話しかけてきた。わたしは再び頭をふった。彼は二本の剣の一本に手をかけたが、相手がその武器を引き抜くや、わたしは、ぱっととびさがった。その行動のもたらした驚くべき結果が、われわれふたりのうち、どちらをよけい驚かせたかはいまもってわからない。きっとわたしは空中に三メートルはとびあがったと思う。もとすわっていたところから、ほぼ七メートルも後方に達したのだ。そのとたん、わたしは自分が火星にいることを確信した(もっともその点については一瞬も疑っていたわけではなかったが)。小さい重力の効果や、草原の色と赤色火星人の皮膚の色を、ジョン・カーターがその手記の中で描写していたのを読んでいたからだ。これは科学文学の領域にたいするすばらしい貢献であるが、いまだにその真価を認められていない作品なのである。まちがいなく、わたしは赤い惑星の大地に立っていた。わが夢の世界――バルスームへ、ついにやって来たのだ。
 わたしの敏捷《びんしょう》な動作に、びっくり仰天《ぎょうてん》した老人は、みずからもちょっととびあがった。むろん無意識の動作だったが、それはある結果をもたらした。眼鏡が鼻から草地へと転がりおちたのだ。わたしはこの憐れむべき老人が人工の視力補助器を奪われてしまうと、事実上盲目であることに気がついた。老人は、すぐさまそれを見つけ出さなければ命にかかわるとでもいわんばかりに、膝をついて狂おしげになくなった眼鏡を手探りし始めたからだ。おそらくその無力につけこんで、わたしが彼を殺すかもしれないと思ったのだろう。大きい眼鏡だし、六〇センチくらいのところにあるというのに、老人にはそれが見つからないのだ。どうやら時々われわれの簡単きわまる動作を混乱させる、あの不思議な運命の気まぐれに老人の手は悩まされているらしく、なくした品物のまわりを残る隈《くま》なくさぐりながらも、一度もそれにさわらないのである。
 彼の無駄《むだ》な骨折りを見守りながら、わたしは立ちつくしていた。眼鏡をわたしてやって、前よりもいっそう容易にその剣をわたしの心臓に突き刺すことを許してやってしまっていいものかどうか、思案《しあん》しているうちに、ほかの人間が構内にはいって来たことに気づいた。建物のほうを眺めていると、小柄な眼鏡の老人のほうへ大柄な赤色人が急いで走りよるのが見えたのだ。新来者は真裸で片手に棍棒《こんぼう》を持っている。その表情からは、なくした眼鏡を求めて、もぐらのように地を這っている無力な老人に対するまごうかたなき悪意が見てとれた。
 この件には中立を保とうというのが、わたしの最初の衝動《しょうどう》だった。どうみても自分とは関係なさそうだし、当事者《とうじしゃ》のどちらに好意を持ったらいいのか、とんと見当がつかなかったからだ。しかし棍棒を持った男の顔をもう一度一瞥《いちべつ》したとき、まるきり自分に関係がないことかどうか疑わしくなってきた。その男の顔には生来《せいらい》の残忍な傾向というか、ないしは年配の犠牲者を手早く片づけてしまった後で、その殺意をこちらにむけそうな狂暴な傾向が、まざまざとあらわれていたからである。いっぽう少なくとも外見上、老人のほうは正気で比較的おとなしい人間のように見受けられる。わたしにむかって剣を抜こうとした動作が、友好的と言えないのは事実だが、しかし少なくとも選択の余地があるとすれば、老人のほうがまだしも無難《ぶなん》のようだ。
 老人はまだ眼鏡を手探りしていて、わたしがそちらへ味方しようと決心したとき、裸の男はほとんどすぐそばまで達していた。わたしは七メートル離れており、裸で丸腰だったが、その距離をカバーするには、自分の地球人の筋肉を一瞬使えば、こと足りたし、老人のかたわらには、眼鏡を捜しよくしようとして投げ出した抜き身の剣があるのだ。そういうわけで犠牲者に襲いかかれるほど男が近よった瞬間、相手となったのはわたしのほうだった。老人をめがけた一撃は、わたしを襲うこととなったのだ。その一撃は受け流したものの、そのときわたしは自分の地球人としてのすばらしい敏捷《びんしょう》さが、有利であると同時に不利でもあることも悟った。なぜなら、歩くことと同時に、棍棒で武装した気違い相手に、経験のない武器で戦うことを習得しなければならなかったからだ。この相手を気違いとはいえぬかもしれないが、少なくともこちらにはそう思えたし、ぞっとするような凶暴な徴候《ちょうこう》や憤怒《ふんぬ》の形相《ぎょうそう》から推して、そう考えたことに、べつに不思議はあるまいと思う。

……「一 死者の家」より

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