「夏の黄昏」

カースン・マッカラーズ/加島祥造訳

ドットブック版 269KB/テキストファイル 123KB

600円

南部の小さな町に育った十二歳の少女。背丈ばかりのびて、近所の子どもから仲間はずれになっている少女の夏の出来事。この少女の心の孤独感は、仲間はずれになったことのある誰の心にも消えがたく残っている。そして自分がどこかのグループに属したい、誰かに認められたいという願望も。この作品はこの深くて鋭い心情をとらえて、あますところがない。しかしその卓越している点は、空気さえ感ぜしめる描写の力だ。人は空気によって生きるように、この作品の三人――少女と少年と黒人女性――は作中の暑い夏の空気を呼吸して生きている。その空気は狭いキチンにいる三人の息遣いを伝え、その絶妙の会話を伝える。外で遊ぶ子供たちの叫び、ピアノの調律音、猿まわしの演奏するオルガンの音、照りつける街なかの白い光などを伝え、その脈搏によってこの作品を日常の次元よりも高い、不思議な雰囲気のものにしている(訳者あとがき)。「結婚式のメンバー」という訳書もあるマッカラーズの代表作。

カースン・マッカラーズ(1917〜67)アメリカの女性小説家。コロンビア大卒。処女作「心は孤独な狩人」で一躍みとめられ、以後一貫して、聾唖者や精神薄弱者などハンデを負った人たちを主人公に、人間の孤独を掘り下げた作品を書き続けた。代表作は他に「悲しきカフェのうた」など。

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第一部

 フランキーが十二歳の夏は、不思議な奇妙な季節だった。今年も彼女は一人きりだった。どこのクラブのメンバーでもなかった。毎日ひとりで、戸口のあたりでぶらぶらしていた。フランキーは不安だった。六月の緑の色はあざやかだったのに、真夏になるとにわかに黒ずんでくる。強い陽射しの下で、何もかもが濃く縮んでしまったのだ。それでも初めのうちは町じゅうを歩きまわった。どこかに何か用があるような気がした。
 朝と夜、町は灰色でひんやりしている。しかし日中は太陽の光がおそろしく強く、道路は溶けてガラスのように光った。しまいに両足が熱くてたまらなくなり、気分が悪くなった。いっそ家にいた方がましだった。ところで家にいるのは、ベレニス・セイディ・ブラウンとジョン・ヘンリ・ウェストだけだ。この二人とフランキーは、台所のテーブルに坐って一日じゅう喋くっていた。同じことを何度も話した。あんまり同じことばかり繰り返したので、八月になると三人のお喋りは次第に、リズムの合った変な感じになった。
 午後の世界は動くものもなくして死んだようになる。今年の夏はまるで、緑色の奇妙な夢か、音もなく狂い茂る熱帯植物の温室のようだった。ところがその八月の最後の金曜になって、ふいに全てが変わったのだ。それは実に突然なことで、フランキーは午後いっぱい考えても納得がいかなかった。
「すごく変。何て言ったらいいかな」
「何が変なのさ」とベレニスが言った。
 ジョン・ヘンリは黙って聞いている。
「こんなの初めて」
「だから何がさ」
「何もかも全部よ」フランキーは言った。
 ベレニスが指摘した。「あんた、頭がいかれたんだよ。暑いから」
「そうだよ」ジョン・ヘンリが小さくうなずいた。
 そうかもしれない、と、フランキーも思った。もうすぐ四時だ。台所は薄暗く静かだった。フランキーはテーブルの前に坐って目を瞑(つむ)り、結婚式について考えた。――静かな静かな教会。ステンドグラスの向こうに、雪がななめに降りしきる不思議な景色。花婿はフランキーの兄だ。しかしその顔のところで何かが光っていて、表情が見えない。花嫁は白く長い裳裾を引き、やはり顔がわからない。その光景から何か感じるのだけど、それが何なのかわからない。フランキーは考えこんだ。
「ははあ、あんた嫉妬(やきもち)やいてるんだね」ベレニスが言った。
「嫉妬(やきもち)?」
「そうよ。兄さんが結婚なさるからさ」
「ちがうわ」フランキーは言った。「そんなんじゃない。だって今日のあの二人を見たでしょ。家に入ってきたとこなんて、すごく変だったわ」
「嫉妬(やきもち)だよ。行って鏡を見てごらん。あんたの目によく出てるよ」とベレニスが言った。
 台所の流しの上に水滴のついた鏡が吊してあった。フランキーは自分の目を見てみたけれど、別に変わったところはなかった。いつもと同じ灰色の目だ。変わったことといえば、この夏のフランキーは背が伸びすぎたことだ。あと一歩で怪物の仲間入りをするほど伸びたのだ。伸びたにしては肩幅が狭いし、脚はあんまり長すぎた。青いトランクスにピー・ヴィーディーのシャツ。足はいつも裸足だ。髪は男の子のように短く切ってしまい、それが伸びすぎているのに、分け目もろくについてない。鏡がゆがんでいるので映った顔もゆがんでいたが、フランキーは自分の顔がどんなふうかよく承知していた。彼女は左肩をすくめて鏡から顔をそむけた。
「ああ、あの人たちすごく綺麗だったわね、兄さんたち……。でもおかしい……なんか変な感じがするのよ。どうしてかしら」
「ばかばかしい」とベレニスが言った。「今日はお兄さんとお嫁さんがみえて、あんたとお父さんと一緒にお食事なさった。そこでお二人が、来週の日曜日にウィンターヒルで結婚式を挙げるっておっしゃった。だから日曜日には、あんたとお父さんは結婚式に行くのさ。それだけさ。これで全部。何にも変なことなんかないじゃないか」
「わからない」フランキーは言った。「ねえあの人たちって、一日中楽しいんだろうね。一分(いっぷん)一分が」
「じゃ、ぼくらも何か楽しくやろうよ」ジョン・ヘンリが言った。
「あたしたちが? 楽しく?」フランキーが聞き返した。「あたしたちが?」
 三人はテーブルを囲み、ベレニスがブリッジのカードを配った。ベレニスは、フランキーが小さいころからずっと家にいる料理人だ。肌がたいそう黒く、肩幅はとても広く、背が低い。三年くらい前から、歳は三十五だと言っている。髪を分けてぴっちりと編み、平べったくて無表情な顔をしていた。ベレニスには一つだけ奇妙なところがあった。彼女の左の目だ。それは義眼で、あろうことかきらきらした青ガラス入りの眼なのだ。黒いおだやかな顔なのに、左の目だけは異様な眼つきで人を見つめた。ベレニスがなぜそんな目を欲しかったのか、誰にもわからない。見えるほうの右の目は、黒く悲しげな色をたたえていた。
 べとべとしたカードがくっつかないように注意しながら、ベレニスはゆっくり配る。ジョン・ヘンリはその手の動きをじっと見つめる。暑いのでシャツの前をはだけ、白い胸にはひもで吊った鉛の驢馬をさげている。ジョン・ヘンリはフランキーの従弟(いとこ)だ。夏はしょっちゅうフランキーのところに来た。昼ごはんも夕ごはんも一緒だった。時には夜も泊まりたがり、家に帰すのが大変だった。背は六歳にしてはちょっと低くかったけれど、膝がとても大きくて、いつも擦りむいていた。小さなずるそうな顔をし、金縁の眼鏡をかけている。ジョン・ヘンリの目は熱心にベレニスの手の動きを追っていた。何しろ彼はベレニスに五百万ドルも負けこんでいるのだ。
「ハート一枚でいくよ」とベレニスが言った。
「スペード一枚」とフランキー。
「ぼくもスペードにしたかったんだよ」ジョン・ヘンリが口を尖らす。
「あらお気の毒。お先に失礼しました」
「だめだよ。ずるいや!」とジョン・ヘンリが叫んだ。
「けんかはご免だよ」ベレニスが割って入った。「ほんとは二人ともろくな手を持ってないんだろ。あたしはハート二枚にしよう」
「どうでもいいのよあたしは……。関係ないもん」
 しかし勝負はベレニスの言った通りになった。フランキーは、ジョン・ヘンリなみの下手なカードの捨て方をしたのだ。台所の中は三人だけだ。みっともない台所だった。ジョン・ヘンリが壁じゅうに手の届くかぎり落書をしたので、部屋は精神病院みたいになった。本当に病気になりそうな部屋だ。部屋のせいだけでも気分が悪くなりそうだった。テーブルにおしつけた胸は、ひどくどきどきしている。
「世界ってほんとうは小さいと思うの」とフランキーは言った。
「どうしてそう思うのさ?」
「あたしの言いたいのは、世界は速すぎるのよ。世界はどこもかしこも急ぎすぎなのよ」
「まあね……急いでる時もあるけど、そうでない時もあるよ。ゆっくりしてる時も」とベレニスが言った。
 フランキーは目を瞑った。そうしたまま口をきくと、声が遠く聞こえる。
「あたしには何もかも速すぎるわ」
 昨日まで結婚式のことは、たいして真剣に考えていなかった。兄のジャーヴィスが結婚するのはずっと前から知っていた。ジャーヴィスは軍隊に入る前、ウィンターヒルの娘と婚約したのだ。それから陸軍に入って伍長になって、アラスカに行って二年になる。フランキーはもう永いこと兄と会っていなかった。だんだん顔も忘れてしまった。思い出そうとしても、水に映った顔のようにはっきりしないのだ。兄のことよりアラスカの方が気になった。アラスカ……! アラスカ……! フランキーはアラスカについてたびたび空想した。この夏は殊によく考えた。雪のこと。凍った海や氷河のこと。エスキモーの氷の家のこと。北極熊や美しい極光(オーロラ)のこと。思い浮べるだけで目の前に見えてくる景色。ジャーヴィスが最初にアラスカに行った時、フランキーはお菓子を作って送った。こわれないように一つ一つワックスペーパーで包み、ていねいに箱にいれて送った。このお菓子はアラスカで食べられるのだと思うとわくわくした。ジャーヴィスがエスキモー達に、お菓子を分けてやってるところを想像した。三ヵ月後に兄から礼状がきた。五ドル同封してあった。しばらくの間、彼女は毎週のように兄にお菓子を送った。兄からはクリスマス以外はもうお金は送ってこなかった。ときどき短い手紙が父親あてにきた。ところがその手紙には、夏に水泳をしたとか、蚊が多くてどうのとか、北極なのに変なことが書いてあるのだ。フランキーはがっかりしたが、二三日たつと忘れた。何といっても兄のいるところは、雪や氷の世界なのだ。
 ジャーヴィスはアラスカから戻ると、その足で婚約者のところに行ってしまった。婚約者の名前はジャニス・エヴァンズ。フランキーのいる町から百マイルほど離れたウィンターヒルに住んでいる。フランキーの家に電報がきた。兄とその婚約者は金曜日に訪問する。次の日曜日にはウィンターヒルで結婚式を挙げるということだった。フランキーと父親も出席するのだ。百マイルも旅行することになる。フランキーはとっくに旅行鞄を詰めてしまった。兄と婚約者に会うのはとても楽しみだった。しかし二人のことも、結婚式のこともまだ何となくピンとこない。二人に会う前日、フランキーはベレニスにこう言った。
「ねえ不思議ね。偶然の一致ね。兄さんはアラスカ勤務だし、お嫁さんはウィンターヒルっていうとこから来るのよ。ウィンターヒル〔冬の丘の意〕」彼女は口の中でゆっくりその名を繰り返した。目を閉じると、その地名はアラスカや冷たい雪の夢想と重なりあった。「明日が金曜じゃなくて日曜ならいいのに。もうそのウィンターヒルってとこに、行ってしまってるのならいいのに」
「すぐ日曜だよ」とベレニスが言った。
「まだだわ」とフランキーは言った。「あたし、もうずっと前からこの町を出る準備はできてるのよ。結婚式が終わったら、もうここには戻りたくないわ。どこか知らない所に行けば、きっといい事があるわ。百ドルあればもうこんな町には帰らない」
「おや、ずいぶんよけいなこと考えてるんだね」ベレニスはフランキーをちらりと見やった。
「だれか別の人になりたい」
 こうして、八月の、いつもと同じ午後がすぎていったのだ。フランキーは台所をうろつき、暗くなると中庭に出た。壁にさしかけた葡萄棚は、仄暗い夕闇の中で濃い紫に沈んでいた。彼女はゆっくり歩いていった。葡萄棚の下の暗がりに、ジョン・ヘンリ・ウェストが坐っていた。足を組み、両手をポケットにいれている。
「何してるの」
「考えてるんだ」
「何を」
 ジョン・ヘンリは答えなかった。
 フランキーは背が伸びすぎて、もう葡萄棚の下を歩けなかった。去年までは歩けたのだ。同い年の子供が自由にその下を歩き、お芝居ごっこをして遊んでいた。大人の女の人だって小さい人ならその葡萄棚の下を歩けた。ところが、今年のフランキーは背が伸びてしまったので、背の高い大人たちと同じように、葡萄棚の回りをゆっくり歩くのだった。そうやって、暗くもつれあった葡萄の蔓を眺め、潰れた実の匂いと埃の匂いをかいだ。だんだんあたりが暗くなってゆくと、フランキーはにわかに怖くなった。なぜかわからないけど、無性に恐ろしい。
「ねえ。今夜はうちで夕ご飯を食べて、泊まってったらどう?」
 ジョン・ヘンリはおもむろにポケットから安物の時計を出して眺めた。しかしもう暗くて文字盤が読めなかった。
「うちへ帰って、ペット叔母さんにそう言ってくれば? そしてまたもどっておいで」
「うん。そうする」
 フランキーは怖(こわ)かった。夕方の空は蒼く暗く虚ろで、暗い裏庭に台所の黄色い明かりが四角く映っている。小さいころ信じていた話を思い出した。――石炭小屋に三人の幽霊が住んでいて、一人は指に銀の指輪をしているという話。
 彼女は暗くなった階段を一気に駆けあがった。「ジョン・ヘンリに、一緒に夕ご飯を食べて泊まってって言ったわ」
 ベレニスは粉だらけのテーブルで、ビスケットの生地をこねていた。練り粉の固まりをどんと落としてから言った。「あんたはあの子にうんざりしてるのかと思ってた」
「もちろんよ。でも何だか今日はあの子、怖がってるように見えたのよ」
「怖がってるって? 何をさ?」
 フランキーは頸を振った。「さあ……、何だか淋しいみたいだったけど……」
「ふうん。じゃ、練り粉を少し取っておいてあげようかね……」
 暗い裏庭にいた後だから、台所はひどく暑く明るくて目眩(めまい)がした。台所の両側の壁には不細工なクリスマスツリーや、飛行機や、負傷した兵士や花の絵が描き敗らしてある。六月のある日の午後に一つめの絵を描いたジョン・ヘンリは、それから壁がいっぱいになってもまだ思いつくと何か描いた。時にはフランキーも描いた。はじめフランキーの父親は怒ったが、今は何も言わない。秋になったら壁を塗り替えることにしたからだ。しかし夏はいっこうに終わる気配を見せないので、壁は際限もなく描きちらされ、もう見るだけでうんざりだった。そしてフランキーの恐怖は、台所にいてもまだおさまらなかった。

……「冒頭」より


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