「こびと殺人事件」

クレイグ・ライス/平井イサク訳

ドットブック版 285KB/テキストファイル 165KB

600円

ナイトクラブの売れっ子芸人の「こびと」が、ショーの終わった直後、楽屋で首を吊って死んでいた。首つりに使われた道具は、コーラスガールの絹のストッキングだった。クラブの経営者ジェイクとその妻ヘリーン、夫妻の友人で刑事弁護士のマローンの三人は、「こびと」の不審死の真相を追うが、関係者は次々とストッキングで首をしめられ、事件は闇に……アメリカ推理小説界で異彩を放ったクレイグ・ライスの傑作ミステリー。江戸川乱歩は彼女の作風について「謎と滑稽・恐怖と道化とをかくも巧みに結びつけた手腕に敬服」と書いた。

クレイグ・ライス(1908〜57) アガサ・クリスティの独創性、ダシール・ハメットのスピード感、ドロシー・セイヤーズのウィットを複合して独特の語り口で結合させたと評される、アメリカを代表する女性作家。笑いのある本格ミステリというユニークな作風は、他の追随をゆるさない。他の代表作に「大はずれ殺人事件」「大あたり殺人事件」「幸運な死体」など。

立ち読みフロア
「ひっこめちゃってくれ、あいつを――ぞっとするよ!」
 あから顔でずんぐりしたその男は、片手で眼をおおうと、指の間からのぞいた。
 ジェイ・オットーは、カジノのステージに現われたばかりのところだった。テーブルについている人びとの間から、突然、拍手がおこった。彼は、燕尾服にトップ・ハット、片手で小さなステッキを振りながら、作り笑いをうかべて、一言もしゃべらず、ただそこに立っているだけだった。美男のバンド・マスターは、次の合図を待って、彼を見まもっていた。
 シカゴの有名な刑事弁護士、ジョン・J・マローンは、かすかに汚れたハンケチで額を拭(ぬぐ)うと、眼をそらせた。
「ぞっとするよ!」と、彼はまた言った。
 ジェイ・オットーは、ステッキでおどけた仕草をすると、またもとのようにじっと立った。
「恥かしくないの、マローン」と、同じテーブルの、ブロンドの女が言った。「あんな〈こびと〉を怖がって!」
「それも」と背が高くて赤毛の、彼女の連れの男が口をはさんだ。「あの〈こびと〉がわれわれの家賃を払ってくれようっていうのに」彼は、間をおいてつけ加えた。「これはまあ、僕の希望だがね!」
 また、客の間から笑い声がおこり、マローンは、思わずステージに眼をやった。
 三フィートたらずのその芸人は、多くの彼の同類と違って、普通の人間とほとんど同じように、均整がとれていた。頭も、その身体に較べて大きすぎるようなことはなく、手足も、適当な長さだった。彼を見てから客たちに眼を移すと、マローンは、九フィートから十フィートもある人びとの中にいるように感じた。彼は身震いした。
「すばらしいね」赤毛の男は、金髪の女の手をとった。「もう一週間もすれば、借金を返しちゃえるぜ」
「返しちゃえるか、あたしたち名義のナイトクラブもなくなって、路頭に迷ってるかだわ」と、彼女は言った。
 かつては、このカジノが、名士や一流のギャングでなければ入れないような時代もあった。がそれは、完全殺人をやってのけられると主張し、このカジノを賭けてみごとに敗けたシカゴの百万長者から、もと新聞記者、もと宣伝係、もと素人探偵のジェイク・ジャスタスがカジノを手に入れる前のことだった。〔百万長者とは、『大あたり殺人事件』及び『大はずれ殺人事件』におけるモナ・マッククレインのこと〕
 ジェイクは、ナイトクラブを経営しなければならない、というわけではなかった。結婚前の名前をヘリーン・ブランドと言った彼の花嫁は、莫大な財産の相続人だったのである。しかし、ジェイクには、生活費をかせいで妻を扶養しなければならないと考える昔かたぎなところがあった。
 マローンは、改装されたカジノの内部を眺めまわした。
 客の間から、突然ざわめきがおこり、マローンは本能的にステージの方へ眼をやった。
〈こびと〉がステッキをステージの《そで》に投げこむと、一人の男が小型ピアノを抱えて現われた。マローンは、眼をしばたたいた。ジェイ・オットーをしばらく眺めた後では、そのピアノを抱えた男が、すくなくとも十フィートはある巨人に見え、彼の抱えているピアノが普通の大きさのものに見えた。
 ピアノを抱えた、不愛想な顔つきの男は、ていねいにピアノをおろした。それは、ジェイ・オットーにぴったりの大きさのピアノだった。マローンは、その大男が片手に小さなピアノ用の椅子を持っていることに気がついた。ジェイ・オットーは、その椅子に座って鍵盤の上に手をおくと、しばらくの間、大男が《そで》にひっこんだのにマローンも気がつかなかったほど魂のこもった、夢みるような表情をうかべた。
「彼は、ほんとうに大きいのよ」と、ヘリーンが言った。「六フィート六インチもあるの。だけど、主人(こびと)のそばにいると、実際の倍もあるように見えるわ。でも彼は、ジェイ・オットーをほんとうは嫌ってるように思うの、あたし」
「僕も嫌いだよ」
 ピアノに向かったジェイ・オットーは、ラフマニノフからヘイゼル・スコットに至る一連の有名なピアニストの真似をした。彼自身も、またピアノも、一つも音をたてなかった。客たちが騒ぎ始め、ステージの《そで》から大男が走り出て来て、ピアノを片手で、もう一方の手でジェイ・オットーを抱えてステージからひっこんだ時には、カジノは嵐のようにわきたっていた。
「まだ、好きになれないな」と、マローンは言った。
 ジェイクは、溜息をついた。
「なにも、彼を好いてもらおうと思って、君に来てもらったんじゃないよ。彼との契約書にある、あやしげな箇所の始末をするのに手を貸してもらおうと思って呼んだのさ。しばらくしたら、楽屋へ行って彼と話をしよう」
 〈こびと〉が、客の拍手で二度、ステージに呼び戻されると、オーケストラが、突然ストリッパーのアンジェラ・ドールのテーマ・ミュージックを奏し始めた。客は、つぎは何だろうと思いながら、さっと静かになった。ジェイクは、はっとして固くなった。
 よく知られているアンジェラ・ドールのポーズを真似しながら、カーテンをわけて出て来たのは、ジェイ・オットーだった。
「畜生、あいつは、いつも演(だ)し物を変えやがるんだ」と、ジェイクが言った。「前には、こんなのなかったんだぜ」
 トップ・ハットと燕尾服を手始めに、〈こびと〉は、アンジェラ・ドールがよくやるストリップの真似を始めた。客は、初めのうちは、くすくす笑っていたが、ついで大声で笑い始め、ついに手をたたいて大騒ぎし始めた。それは、悪意のある、情(なさけ)容赦のない真似方で、見ているうちに、ジェイ・オットーの物真似がすべて残酷で憎にくしげであり、残忍でさえあることに、マローンは気がついた。
「アンジェラは、奴を殺しかねないぜ、あんなことしやがって」とジェイクは、額を拭(ぬぐ)いながら言った。
「無料(ただ)で弁護してやるよ、彼女を」と、マローンは言った。「正当な殺人であるという点からね」
 客は、静まりかけていた。アル・オメガのオーケストラが姿を消して、交替のバンドが、テンポの早いキューバン・リズムを奏していた。ダンス・フロアが、だんだんにいっぱいになり始めていた。
 マローンの眼には、踊っている客がすべて巨人のように見えた。彼は、また身震いした。
「世界的に有名な《カジノ》で、高名な弁護士がぶっ倒れる前に、一杯、酒を持って来るように、あのボーイに言ってくれよ」と、彼は言った。「それから、楽屋へ行って話をする時は、あいつを衝立(ついたて)のかげに入れといてくれよ。〈こびと〉恐怖症なんだよ、僕は」彼は新しい葉巻に火をつけると、つづけた。「すくなくとも、あの〈こびと〉に対しては恐怖症なんだ」
 ジェイクはボーイに合図をすると、言った。
「たしかに嫌な奴さ、あいつは。しかし、客は、あいつに夢中なんだ。このちっぽけな飲屋じゃあ、つねにお客様本位だからな。すくなくとも、改装費を払っちゃうまではね」
「わかったよ。君のために、なんとかあいつを好きになるようにしよう」


……巻頭より


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