シリーズ「鎮魂の戦史」

「ミッドウェー」

淵田美津雄・奥宮正武著

ドットブック版 705KB/テキストファイル 291KB

800円

ミッドウェー海戦は惨憺(さんたん)たる敗北であった。戦前、量よりも質をモットーとし、「寡(か)をもって衆を制する」ように訓練し、準備されてきた日本の連合艦隊が、「衆をもって寡に敗れた」のである。海戦の主導権は我にあった。参加兵力は米太平洋艦隊のそれに比して圧倒的に優勢であった。戦争の主役を果たした航空部隊の質は、必ずしも米軍のそれに比して劣ってはいなかった。しかもその敗戦は、近世の日本海軍が未だかつて想像も経験したこともないほど決定的なものであった(初版まえがき)。……実際にこの作戦に参加し、つぶさに辛酸をなめた両著者が、この海戦に関する詳細な報告文書と資料とをもとに書き上げた空前絶後の戦史! 本書は多くの言語に翻訳されて、戦史の古典とみなされている。

淵田美津雄 ふちだみつお(1902〜51)奈良県生まれ。24年海軍兵学校卒業。38年日華事変に参加。41年「赤城」飛行隊長になり、真珠湾攻撃飛行機隊総指揮官。42年ミッドウェー作戦に参加、6月戦傷にて入院。43年第一航空艦隊参謀、45年海軍総隊参謀。終戦後は復員省史実調査部部員、占領軍総司令部歴史課の嘱託として勤務。その後キリスト教徒に回心し欧米諸国を遍歴して福音伝道に従事した。本書以外の主な著書に、奥宮正武氏との共著になる「ミッドウェー」「機動部隊」がある。

奥宮正武 おくみやまさたけ(1909〜2007)高知県生まれ。30年海軍兵学校卒業。37年日華事変に参加。41年第十一連合航空隊参謀。42年以降、航空参謀としてミッドウェー作戦、南太平洋海戦、ソロモンおよびラバウル方面作戦、「あ号」作戦などに参加。44年大本営海軍参謀。終戦後は復員省史実調査部部員をへて防衛庁統合幕僚会議事務局と防衛研修所にて国際問題を担当。57年航空自衛隊の学校長、退職時空将。64年松下電器産業に勤務。74年国際PHP研究所顧問。主な著書に、淵田美津雄氏との共著「ミッドウェー」「機動部隊」のほか、「零戦」「ラバウル海軍航空隊」「海軍特別攻撃隊」「日本防衛論」「山本五十六と松下幸之助」など。
立ち読みフロア
第一部 出撃

第一章 広島湾をあとに

 一 南雲部隊の出撃

 南雲忠一中将座乗の旗艦赤城は、いま、クダコ水道を抜けて、広島湾から伊予灘に出た。速力一六ノット、針路は西、豊後(ぶんご)水道に向かっている。昭和十七年五月二十七日の午前十時である。五月の太陽は、雲間から青い海に、さんさんと降りそそいでいる。さざなみ一つない海面を、艦は滑るように進んでいく。
 ここ数日、瀬戸内海の西部は、曇り勝ちの天気が続いていた。陽気は相当に暑く、黒の第一種軍装ではともすれば汗ばむ。私(淵田)は飛行機の発着艦指揮所の折りいすに腰かけて、微風にほおをなぶらせながら、四方の景色を眺めていた。
 赤城のすぐ前には、戦艦の霧島が進んでいる。霧島の艦尾から吐き出す航跡が、一すじの白い細道を残していく。その細道に乗るように赤城の艦首がたどっている。いま、艦隊はクダコ水道通過のため、単縦陣という軍艦が前後に一列に並ぶ隊形で航行している。
 この列のはるか前方には、軽巡洋艦の長良(ながら)が先頭を切っている。第十戦隊司令官木村進少将の旗艦である。長良の後ろには第十戦隊所属の駆逐艦十二隻が、ずらりと一本棒になって続いている。大型駆逐艦ばかりで、型がそろっているのでなかなか壮観で.ある。
 第十戦隊の次には、大型巡洋艦の利根(とね)と筑摩(ちくま)が見える。利根には第八戦隊司令官阿部弘毅少将の将旗が揚がっている。
 第八戦隊に続くのが、高速戦艦の榛名(はるな)と霧島である。第三戦隊から分派されてきた第二小隊で、いつものように将旗の揚がっていないのがちょっと寂しい。こんどは、第三戦隊司令官三川軍一(みかわぐんいち)中将は、第三戦隊第一小隊(比叡(ひえい)、金剛(こんごう))を率いて、近藤部隊の方に回ったのだそうだ。
 霧島の次が赤城である。そこで目を後方に移して見る。赤城に続いているのが加賀(かが)である。この大型航空母艦二隻で第一航空戦隊を編成していて、この部隊の総指揮官である南雲中将が直接指揮している。加賀はいまクダコ水道の真んなかを通峡中である。艦首の錨甲板には錨作業員が配置についているのが見える。狭水道通過にはいろいろと危険がともなうので、その保安部署についているのである。
 加賀の後方には、同じく航空母艦の飛龍(ひりゅう)と蒼龍(そうりゅう)とが続いてくる。飛龍には少将旗が掲げられている。この二隻の中型航空母艦は第二航空戦隊で、山口多聞(たもん)少将が率いている。飛龍はいま、クダコ水道の入り口にさしかかったところである。蒼龍はまだ広島湾を走っている。
 これが南雲部隊の全陣容である。総数二十一隻のこの艦隊は、水道通過のため、各軍艦は距離一〇〇〇メートルに開いている。延々と続く長蛇の陣列は、観艦式そのままの景況である。
 右舷間近の海面には、潮待ちの漁船が十数隻集まっている。どの船もみんな手を振って、盛んに歓呼を送っている。
 左舷前方には由利(ゆり)島が、ポッカリ海面に浮かび上がって見えている。こんもりとした緑の小島である。由利島に重なり合って、さらに青島が霞んで見える。きょうは靄(もや)が深いので、四国の沿岸はぼんやりとして定かでない。
 フロート二つをゲタのようにはいた水上偵察機が三機、艦隊の上空を追い越していく。呉(くれ)海軍航空隊の所属機である。南雲部隊の出撃に備えて、豊後水道の外方に待ち伏せしている敵潜水艦に対する警戒任務に就くのであろう。
 右舷には、屋代(やしろ)島がくっきりと見えてきた。山の背まで、よく耕された幾段もの麦畑は、いくらか黄ばみ、初夏の訪れを告げている。屋代島の沖合を、内海通いの機帆船が同航している。小さな曳船が、煙をいっぱいたなびかせて、精いっぱいの格好で十数隻の積荷船を引っ張っている。牛のようなのろさであるが、船腹は相当なものだろうと見送るうちに、追い越してしまった。やがて大水無瀬(おおみなせ)島、小水無瀬島が現れてきた。この二つのまん丸い小島は、夢みるように平和にねむっている。
 私は前に現れ、後ろに遠ざかる瀬戸内海の風物を、あかず眺めていた。この島、あの岬、ここから北方約二〇海里(約三七キロ)のところにある江田島の海軍兵学校に入校以来、二十数年の海軍生活で、海からも、空からも、たえずなじんだなつかしい姿である。突如、艦橋の伝声管から掌(しょう)信号長のかん高い叫び声が、私の無心の黙想をさました。
「信号! カンタイ・カンサク・ウンドウ・ケイ・ヒト・××××……」

……冒頭より


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