「月曜物語」

アルフォンス・ドーデ/大久保和郎訳

ドットブック 326KB/テキストファイル 199KB

600円

プロシア・フランス戦争(1870〜71)の敗北によるアルザス・ロレーヌのドイツへの割譲、パリ・コミューン政府の樹立と、あっという間のその瓦解をへての第三共和政の成立(1871)、王党派と共和派のその後も長引いた確執……こうした激動の時代に傷つき疲弊した市井の人びとの苦労や悲しみの種々相を、あくまでも静かな共感をもって描いた小品集。第一部の巻頭におかれた「最後の授業」はなかでもいちばん有名な作品となっている。

アルフォンス・ドーデ(1840〜97) 南フランスのニーム生まれ。17歳のときパリに出て文学を志す。終始、故郷南仏プロバンスの風物と人を愛しつづけた。ユーモアと詩的情緒あふれる作風の『風車小屋だより』で一躍有名となった。他の代表作に『月曜物語』『タルタラン・ド・タラスコンの大冒険』など。

立ち読みフロア

 その朝は学校へ行くのにたいへん遅れていたし、ぼくはしかられるのがこわくてたまらなかった。アメル先生が分詞についてみんなにきくと言っていたが、ぼくはてんでおぼえていなかっただけになおさらだった。学校に出ないでそこらをかけまわって来ようかとも、ちょっと考えた。
 何しろあたたかく、よく晴れていたのだから!
 森のはしでは鶫(つぐみ)の鳴き声が聞こえ、製材所のうしろのリペールの牧場ではプロイセン兵が演習をしているのが聞こえた。このほうが分詞の規則よりもずっとぼくにとっては誘惑(ゆうわく)だった。けれど、どうにかその誘惑にうちかって、いそいで学校へかけつけた。
 役場の前を通ったとき、掲示板の小さな枠(わく)のそばに人々がたちどまっているのを見かけた。この二年というもの、敗戦とか徴発(ちょうはつ)とかプロイセン軍司令部の命令とかの、わるい知らせはみんなここから来ていた。で、ぼくはたちどまらずに、
「また何があったんだろう?」と考えた。
 それから、駈(か)け足で広場を横切っていると、徒弟といっしょにそこでビラを読んでいた鍛冶屋(かじや)のヴァシュテールがぼくに声をかけた。
「そんなにいそぐなよ、小さいの。どうせ学校に遅れるはずはないんだからな」
 ぼくはからかわれているんだと思って、息せききってアメル先生の小さな校庭にはいって行った。
 ふだんは、授業のはじまったときは往来まで聞こえるほどの大騒ぎで、机をあけたりしめたり、よくおぼえようとして耳をふさいで大声でいっせいに日課をくりかえしたり、「すこし静かに!」と先生が大きな定規(じょうぎ)で机をたたいたりという始末なのだ。
 ぼくはこの騒ぎにつけこんで、みつからぬように自分の席に忍びこんでやろうと思っていたのだ。ところが、あいにくこの日は、日曜の朝のようにひっそりかんとしていた。開いた窓から級友たちがすでにめいめいの席にならんでいるのや、アメル先生がおそろしい鉄の定規をこわきにかかえて行ったり来たりしているのが見えた。ドアをあけて、この静まりかえったなかにはいって行かねばならない。ぼくがどんなに赤い顔をし、どんなにびくびくしていたかは言うまでもあるまい!
 ところが、そうじゃなかった。アメル先生はおこりもせずにぼくを見、とてもやさしく言った。
「早く席につきなさい、フランツや。おまえが来ないままで始めようとしていたところだ」
 ぼくは腰掛(こしか)けをまたぎ、すぐに机の前にすわった。そのときはじめて、おそろしさが少々おさまると、ぼくは先生がきれいな緑色のフロックコートを着、襞(ひだ)のある上等の胸飾りをつけ、刺繍(ししゅう)のついた黒絹の帽子をかぶっているのに気がついた。視学(しがく)〔学校教育を監督する役人〕の来る日か賞状授与式でなければ先生はこんな服装をしない。そのうえ、教室全体に何か異様な、厳粛(げんしゅく)なものがあった。だがいちばんぼくを驚かせたのは、教室のいちばん奥の、いつもはあいている腰掛けに、村の人たちがぼくたちと同じように静かにすわっていることだった。三角帽を持ったオゼールじいさん、もとの村長、もとの郵便配達夫、そのほかにもいろんな人たちが。この人たちはみんな悲しそうだった。しかもオゼールは縁(ふち)のすりきれた古い初等教科書を持って来ていて、それを膝(ひざ)の上に大きくあけ、開いたページの上に大きなめがねを置いている。
 ぼくがこういったことに驚いているあいだに、アメル先生は教壇にのぼり、ぼくを迎えたときと同じやさしくおもおもしい声でみんなに言った。
「みなさん、わたしがみなさんに授業するのはこれでおしまいなのです。アルザスとロレーヌの学校ではドイツ語しか教えてはいけないという命令がベルリンから来ました。〔普仏戦争終結時の和平条約で、フランスはアルザス、ロレーヌをドイツに割譲することになり、この両地方ではドイツ語が国語として教えられることになった〕……新しい先生はあす着任します。きょうはみなさんの最後のフランス語の授業です。どうか注意深く聞いてください」
 この短いことばを聞いてぼくは動顛(どうてん)してしまった。ああ、ちくしょう、役場に掲示してあったのはこれだったのだ。
 最後のフランス語の授業!……
 ぼくはといえば、ろくろく書けもしないのだ! それではもう永久におぼえられないのか! こんな状態にとどまってしまわねばならないのか!……今となっては時間をむだにしたことを、学校をサボって鳥の巣をさがしたり、サール河で氷すべりしたことを、どれほど悔(く)やんだことか! 今しがたまでは退屈きわまるもの、荷やっかいなものに感じられていた本が、文法書や歴史の本が、今では別れるに忍びない旧友のように思われた。それはアメル先生と同じだった。先生が行ってしまうこと、もう先生に会えないことを考えると、罰(ばつ)も定規(じょうぎ)でぶたれたことも忘れてしまった。
 気の毒な先生!
 きれいな晴れ着を先生が着ているのはこの最後の授業のためだった。そして今ぼくには、村のあのご老体たちが教室のうしろのほうに来てすわっている理由がやっとわかった。それはどうやらここへ、この学校へもっとたびたび来なかったのを後悔(こうかい)していることを意味するらしい。同時にまたそれは、四十年にわたって職務にはげんでくれたことを先生に感謝し、ぼくらから離れて行く祖国に敬意を表するためでもあったのだ……

……「最後の授業…アルザスのある少年の物語」冒頭より


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