「モンテーニュ随想録抄」

モンテーニュ/関根秀雄訳

ドットブック版 241KB/テキストファイル 196KB

600円

政治的・宗教的動乱の渦中に実務家として生きた経験と、若いときから親しんだ古典の豊富な知見をもとに執筆された「随想録」は、時代を超えた深い人間洞察で知られる。各国語に翻訳されて広範な影響をあたえ、それ自身がヨーロッパを代表する古典となった。本書はこの浩瀚な古典を全訳した訳者が、独自に立てたテーマ別に、原本の骨子部分を選んで編纂したもので、どこから読んでもよい格好の「モンテーニュ入門」となっている。

モンテーニュ(1533〜92)南フランス・ペリゴール生まれの哲学者、モラリスト。約15年間ボルドー市の評議員を務めたあと、公職を退き、生まれ故郷のモンターニュの居城にこもって「随想録」の執筆に専念した。一時は再びボルドーに出て市長を務めたが、再度隠棲生活にもどって「随想録」の加筆・訂正に精を出した。フランス宗教戦争の時代にあって、モンテーニュ自身はローマ・カトリックの立場であったが、プロテスタントにも人脈を持ち、穏健派として両派の融和に努めた。

目次

訳者はしがき
一 「エセー」
二 自己の研究
三 人間
四 知恵
五 快楽
六 徳・不徳
七 懐疑
八 宗教
九 教育
一〇 学問・知識
一一 読書

一二 交遊
一三 風習
一四 政治
一五 歴史
一六 旅行
一七 恋愛・結婚・友愛
一八 老年・隠退
一九 病気
二〇 死
解説
年譜
立ち読みフロア
[a]熱病や肋膜炎(ろくまくえん)はしばらくおく。ブルターニュ公ともあるおかたが、わたしの隣人法王クレメントのリオンご入城の際に、群衆におしつぶされて死なれようなどとは、いったい誰が予想したか。おまえはわれわれの王様の一人が御遊戯最中に死なれたのを見なかったか。またそのご先祖の一人は豚に突き当てられて死になされたではないか。エスキルスは家の下敷きになって死ぬぞと脅かされてから、しじゅう野天に暮らしたがだめだった。とうとう空をかける鷲(わし)の爪先から落ちてきた亀の甲の下につぶされて死んだ。ある者はぶどうの種子のために、ある皇帝は髪をくしけずりながら得た傷のために、エミリウス・レピドゥスは入口の閾(しきい)に足をぶつけたために、それからアウフィディウスは会議室にはいろうとして扉にぶつかったために、死んだ。いや、女のまたの間で、奉行コルネリウス・ガルス、ローマ警察軍の将ティギリヌス、……それからなお困ったことにはプラトン学者のスペウシッポス、それからわが法王様のお一人は、お死になされた。かわいそうに裁判官のベビウスは相手に八日間の執行猶予を与えたところ、その間に自分の命の方が期限が切れて死んでしまった。また医者のカイウス・ユリウスは病人の眼の治療をしている間に、急に死に襲われて自分の方が眼をつぶらされた。私事もあえてこれに加えるならば、わたしの弟の一人カピテーヌ・サン・マルタン(二十三歳)は、つとにその勇気を認められていたが、ある時ポームの遊戯中に右の耳の少し上のところを球に打たれた。表面にはかすり傷も打ち傷も見えなかったし、そのためにすわりもしなければ休みもしなかったが、それから五、六時間たって卒中で死んだ。やはり球に当たったせいである。こんな実例は、あんなにしばしば、あんなに常々、われわれの眼前に見られるのだもの、どうして人は、死という考えから解放されることができようか。どうして死が終始われわれの喉もとを押さえていることを思わないでおられようか。
 君たちは言われるかもしれない。「それはどんなふうにこようとかまうものか。苦にしないこった」と。わたしもそう思う。そして、どんな方法でなりと死の襲撃が避けられるものなら、犢(こうし)の皮をかぶることだっていい。わたしはそれを拒みなどしない。まったくわたしは、安楽に過ごせさえすればそれでよいのだ。いやわたしは、自分がとりうる最上の方法をとる。それがどんなに不名誉な自慢にならない方法であろうと。

わたしは賢くて苦しむよりは、
むしろばか者よとあざけられたい。
どうか誤謬(ごびゅう)がわたしを幸いにし、
わたしの眼をくらましてくれますように!(ホラティウス)

 だがしかし、それで事がすむと考えるのはおろかである。人々は往ったり来たり、飛んだりはねたり、死からは何の便りもない。世は春だ。だがひとたび死が、あるいは彼らみずからの上に、あるいはその妻や子や友に、突如として、不意に、やって来てみたまえ。どんなに彼らは苦悶(くもん)し号泣し狂乱し絶望するか。こんなに気を落とし、こんなに変わり果て、こんなに気を失った者を、かつて見たことがあるか。どうしても早くからそれに備えなければならない。あの畜生のような無頓着は、かりに悟性のある人の脳裏に宿ることがあるにしても、(それは全然不可能だとわたしは思うのだが)その商品をあまりに高くわれわれに売りつける。もしそれが避けられる敵であるなら、卑怯(ひきょう)という武器を借りることも、わたしはすすめるだろう。だがそうはゆかないのだから、[b]それは君を、逃げ腰の臆病者(おくびょうもの)であっても、また立派な勇士であっても、同じように捕らえるのだから、……どんなに堅固な鉄の鎧(よろい)も君をまもらないのだから、……[a]しっかりと足をふまえてこれを受けとめることを、いやこれを打ち倒すことを、学ぼうではないか。そして、まず彼からそのわれわれに対する最大の強みを取り除くために、全然普通のとはあべこべの道を取ろうではないか。彼から怪異を取り除いて、彼と慣れ親しもうではないか。何よりもしばしば死を脳裏にもとうではないか。常にそればかりを、しかもそのすべての形相において、心の中に思いみようではないか。馬がつまずいても、瓦(かわら)が落ちてきても、ピンがちくりと一つささっても、さっそく反芻(はんすう)しようではないか。「どうだろう。もしもこれが死であったら?」と。そして、そこで自己を鍛錬しようではないか。祝いごと、楽しみごとの最中にも、常にわれわれの境遇を思い出させるあのくり返しを歌おうではないか。あまりに歓楽に夢中になって、そういうわれわれの歓喜がどんなふうに死の前にさらされているか、どんなにたびたび死がこの歓楽につかみかかろうとするかを忘れないようにしようではないか。そのようにエジプトの人たちはしたものである。彼らはその宴会の最中に、珍味佳肴(ちんみかこう)の間に、死者のミイラを持って来させて、会食者たちへの警告としたのである。

毎日はいつもおまえの最後の日だと考えよ。
そうすれば思わぬ今日を儲(もう)けえて喜ぶことができよう。(ホラティウス)

 どこで死がわれわれを待っているかわからない。だからいたるところでこれを待とうではないか。死の準備は自由の準備である。死を学びえた者は屈従を忘れた。いかに死すべきかを知れば、われわれはあらゆる隷従と拘束とから解放される。[c]生命の剥奪(はくだつ)が不幸でないわけを悟りえた者にとっては、この世に何の不幸もない。

……「死について」より


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