「モロー博士の島」

H・G・ウェルズ/能島武文訳

ドットブック版 174KB/テキストファイル 135KB

500円

若い博物学者プレンディックは難破に遭い漂流しているうち、帆船に拾い上げられて助かる。だが、ピューマやラマやウサギを載せて太平洋上の孤島にむかう変わった男の肩をもって船長にたてついたため、男と一緒にその孤島に上陸するはめに。その島こそ、生体解剖でかつてスキャンダルを引き起こしたことのあるモロー博士が隠れ住む島だった。取り巻きの、異様な、奇形ともいってよい男たち…プレンディックは島での最初の日、ピューマがあげる苦悶のうめき声を耳にして愕然とする。ウェルズの怪奇SFの代表作。
立ち読みフロア
 帆船レイディ・ヴェイン号の遭難事件については、これまですでに、詳しく書きつくされているので、わたしは、こと新しく、なんにもそれ以上に書き加えようというつもりはない。周知のとおり、このレイディ・ヴェイン号が漂流船と衝突したのは、南米ペルー南西部にある海港カラオを出帆してから、十日目のことだった。船体はもちろん、乗組員もすべて、あっという間に、海に呑まれてしまった。ただ七人の乗組員の乗った船載の大型ボートだけが、それから十八日の後、イギリス帝国海軍の砲艦マートル号によって救助された。そして、これら七人の生存者の苦難を極めた漂流の物語から、この事件は、あのはるかに恐怖に満ちたメジューサ号の遭難事件にもおとらず、全世界に知れわたることになった。
 が、それはそれとして、わたしはいま、新聞雑誌等によって世間に発表された、レイディ・ヴェイン号の遭難事件のほかに、それよりももっともっと恐ろしく、世にも不思議な物語を付け加えなければならない。というのはほかでもない。これまで、その救助された大型ボートのほかにも、艀《はしけ》のような小さなボートを船に積んでいたので、それに乗って逃がれた乗組員が四人あったのだが、四人とも残らず海の藻屑《もくず》と消えてしまったと思われているらしいのだが、しかし、それは必ずしも正確ではない。なぜ、こうまではっきり断言するかといえば、わたしがなによりもの証拠だからで――ほかでもない、かくいうわたしこそ、その四人のうちの一人だからである。
 しかし、それよりも先に、まずいっておかなければならないことは、その艀《はしけ》に乗り込んだのは、四人ではなくて、三人だということである。『艀に飛び込むところを、船長が見た』(一八八七年、三月十七日付、デイリー・ニュース紙)というコンスタンスという男は、わたしたちにとっては幸運であり、かれにとっては不幸なことであったが、かれは、わたしたちの乗り込んだ艀に、うまく飛び込むことができなかったのだ。かれは、折れた船首の第一斜檣《しゃしょう》の支柱の下に、むやみにからまっているロープを掻《か》いくぐるようにして飛び降りた。が、どれかそのロープが、飛び降りようとするかれの足を、くわえるように捉えた。かれは一瞬、頭を下にして宙ぶらりんに吊り下げられた。と思うと、あっと思う間もなく、水中に落ちて行った。そして、海面に浮流していた、帆桁《ほげた》だか、板っ切れだかに、はげしく体ごと、頭からぶつかって行った。わたしたちは、必死になって、かれの方に救いの手を伸べようとしたが、かれは二度と浮きあがっては来なかった。
 はっきりいえば、かれが、わたしたちの艀に乗り込めなかったのは、わたしたちにとっては幸運であった。と同時に、かれ自身にとっても幸運であったといったほうがいいのかもしれない。というのは、艀には飲料用の水のはいった小さな水樽《みずたる》と、水びたしになったわずかばかりのビスケットがあるだけだったからだ――それほど衝突はとっさのことであり、船には惨事の場合の準備が、まったく欠けていたのだ。わたしたちは、大型ボートのほうの人間の手もとには、もうすこしましな食糧の用意があるにちがいないと思った。(実際には、そうではなかったらしいのだが)それで、わたしたちは、力のかぎり声をかけてみた。しかし、かれらの耳には、わたしたちの声はとどかなかった。
 翌《あく》る朝、霧雨が霽《は》れて――それも、正午過ぎのことだったが――あたりが見えてきたが、かれらの姿も、大型ボートの影も、目にははいらなかった。ボートが、はげしい勢いで揺れるので、立ちあがって、見渡して見ることもできなかった。海は、大きくうねりにうねって、横波をくらって転覆しないように、ボートのへさきを大波と直角に向けておくのは、たいへんな仕事だった。わたしといっしょに本船を逃がれた二人というのは、わたし自身と同じような乗客であるヘルマーという男と、名前は知らぬが、船員の一人で、背は低いが、がんじょうな体つきの、どもりの男とだった。
 わたしたちは、波のまにまに漂流をつづけた――腹はぺこべこで、水がなくなってからは、耐えられないほどの咽喉《のど》のかわきに責めさいなまれながら、八日間というもの漂流をつづけた。二日目から、波はおもむろに鎮まって、海面は、鏡のように穏かになった。しかし、その後の八日間にわたる苦しみは、そういう経験のない世間一般の読者には、とうてい想像することさえできないほどのものだった。そういう読者はまったくかれ自身にとって幸せなことには――そういう苦しみを夢にも考えるほどの記憶さえも持っていないのだから。
 最初の日が過ぎると、わたしたちは、お互いに口をきかなくなった。ボートの底にひっくり返って、まじまじと、遠い水平線を眺めたり、じっと見守った。その目が、一日一日、日が経つごとに、大きくなって行き、落ちくぼんで行った。苦痛と衰弱とが、そばに寝転がっている仲間の上に、強く拡がって行った。太陽は、一日ごとに、情け容赦《ようしゃ》もなくなって行った。水は、四日目に底をついた。わたしたちは、もう奇径な、予想外のことばかりを考えるようになっていた。口を動かすのもものうく、お互いに目だけでものをいっていた。しかし、たしか六日目のことだったという気がするが、お互いにみんな胸の中に持っていたことを、ヘルマーが口に出していった。わたしは、わたしたちの声が、どんな声だったかを忘れもしない――乾からびて、か細い声だった。しかし、わたしは、自分のわずかに残った全力を振りしぼって、反対した。そんな人でなしの所業をするくらいなら、むしろボートの底に穴をあけて、わたしたちをつけているサメの群れの中に身を投げて、ともに海の藻屑《もくず》となったほうがましだと言い張った。しかし、ヘルマーが、自分の説を受け入れれば、水が呑めるのだというと、水夫は、意見を変えて、ヘルマーの説に同調の色を見せた。
 けれども、わたしは、あくまでもくじを引こうとはしなかった。夜になると、水夫は、ヘルマーの耳に繰り返し繰り返し、ささやいていた。そして、わたしといえば、へさきに腰をおろして、手にしっかりと、大型の折りたたみナイフを握りしめていた――もっとも、わたしの内に闘うだけの力があったかどうかは、わからない。ついに朝になると、わたしもヘルマーの提案に賛同した。そして、わたしたちは半ペニー銅貨を投げ合って、貧乏くじの人間をきめることにした。

……「一 レイディ・ヴェイン号の小艇にて」より

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