「風車小屋だより」

ドーデ/大久保和郎

ドットブック版 182KB/テキストファイル 157KB

500円

製粉工場ができて利用されなくなった風車小屋のなかで、粉ひきじいさんが壁土をひいていたという「コルニーユ親方の秘密」、あばずれ女と結婚した青年が、女をもとの情夫に連れていかれて、女を思い切れずに自殺するという「アルルの女」など、プロバンスを舞台にした情趣あふれる24の短編からなるドーデの代表作。

アルフォンス・ドーデ(1840〜97) 南フランスのニーム生まれ。17歳のときパリに出て文学を志す。終始、故郷南仏プロバンスの風物と人を愛しつづけた。ユーモアと詩的情緒あふれる作風の『風車小屋だより』で一躍有名となった。他の代表作に『月曜物語』『タルタラン・ド・タラスコンの大冒険』など。

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 驚いたのはうさぎたちだ!……もうずっと前から風車小屋の戸はしめられ、壁(かべ)も床(ゆか)も草におおわれたのを見て、奴(やっこ)さんたちはしまいに粉ひきという人種はもう滅び去ってしまったんだと思いこみ、場所がちょうどいいと思ったので、ここを司令部みたいなもの、作戦本部みたいなものにしてしまったんだ。うさぎ軍のジェマップ〔ベルギーの地名。仏軍の作戦本部の風車小屋があった〕といった風車小屋なのだ……。私が着いた夜は、いやまったくのはなし、ゆうに二十ぴきのうさぎが床の上に円陣をつくってすわって、月の光で脚(あし)をあっためていたもんだ……。明り取り窓をちょっとあけたとたん、どやどやどやっと露営部隊(ろえいぶたい)は総くずれ、小さな白いお尻(しり)はしっぽをおったてて残らず草むらのなかに逃げこんだ。奴さんたち、また帰って来てくれないものか。
 私を見てこれもひどく驚いたのは、二階の住人の、風車小屋に二十年以上も前から住みついている思想家顔をした陰気なふくろうのじいさんだ。私はこいつが上の部屋の、漆喰(しっくい)や落ちた瓦(かわら)のまんなかで、風車の軸棒(じくぼう)の上に身動きもせず体をのばしてとまっているのを見つけた。じいさんは円(まる)い目でちょっと私をみつめた。それから、見知らぬ人間なのですっかりあわてふためいて「ホーホー」となきだし、ほこりで灰色になったその翼(つばさ)をやっこらさと振り出したものだ。――やれやれこういう思想家の手合いときては! 服にブラシなどけっしてかけやしないんだ……。まあいいさ、目をぱちぱちさせ、しかめっつらをしているが、この沈黙の下宿人はほかのものにくらべれば私にはまだましだ。で、私は急いでじいさんと賃貸(ちんたい)契約を結びなおした。じいさんは従来同様、屋根からの入り口が一つついた風車小屋の二階全部を占領し、私のほうは下の部屋(へや)、修道院の食堂のように低い丸天井(まるてんじょう)の、石灰で白く塗った小さな一室を自分のものにした。

 私がこの手紙を書いているのはその部屋なんだよ。戸を大きく開いて、こころよい日の光を浴びながら。
 きれいな松の林が日の光にきらめきながら私の前の山の麓(ふもと)までずっとつづいている。地平線にはアルピーユ山脈がくっきりと美しい峰(みね)々を描き出している……なんの物音もしない……わずかに横笛の響(ひびき)、ラヴァンドのなかのタイシャクシギの鳴き声、道を行く騾馬(らば)の鈴の音がときに聞こえるだけ……このプロヴァンスの美しい風景はただ光のみによって生きているんだ。
 その今、私が君らの騒々しく黒ずんだパリをなつかしがるなんてどうして君は思うんだい? 私のこの風車小屋はとても居心地がいいんだよ! 私がさがしもとめていた片田舎(かたいなか)、新聞や辻馬車や霧(きり)から千里も離れた、香(か)ぐわしくあたたかい片田舎じゃないか! それに、まわりを見ればどれほど結構(けっこう)なものばかりか! ここに居をかまえて一週間そこそこなのに、私の頭はもういろんな印象や記憶でいっぱいになっちまった……。ねえ、いいかい、つい昨日(きのう)の夕方のことだ、私は山の麓(ふもと)にある農家(マス)に羊(ひつじ)の群れが帰って来るのを見た。そして私は断言するが、今週パリでおこなわれる芝居(しばい)の初演の切符を全部もらったって、この光景を見のがすのはまっぴらだな。まあ、話を聞いてから判断してくれ。

……
第一話居(きょ)をかまえる」より

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