「モーツァルトの手紙」

モーツァルト/服部龍太郎訳

ドットブック版 251KB/テキストファイル 219KB

800円

モーツァルトの音楽は、パリやウィーンやイタリアの孤独な宿舎で書かれた。彼はその合間合間に膨大な量にのぼる几帳面な手紙を書きつづった。その大部分は父親に、また愛する姉や妻に送られたものであるが、どれ一つとして、彼の愛情の深さ、信仰の深さを示していないものはない。時として、そこには彼の音楽に感じられるのと同じく、躍動するような陽気さと、明るい諧謔が爆発し、読む者は思わずほほえむ。映画「アマデウス」で有名になったイタリアの作曲家サリエリとの確執の片鱗なども、もちろん記録されている。本訳書は長年、その翻訳を手がけたいと願ってきた服部龍太郎氏が独自に選んだ156通の手紙からなり、重要なものはもれなく収録されている。氏は巻頭に「モーツァルトの生い立ち」を、巻末に「モーツァルトの死」をまとめ、手紙間の要所要所に適切な「経緯」を入れることで、全体でモーツァルトの生涯が俯瞰できるように配慮されている。

ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(1756〜91)オーストリアの作曲家。ザルツブルク生まれ。音楽家の父の教育を受けてハープシコードと作曲を修得。幼少のときから天才少年としてヨーロッパ各地の宮廷を訪れて演奏を披露し、同時に作曲をおこなった。3回のイタリア旅行、ウィーン、パリへの旅行を何度か重ね、81年からウィーンに落ち着いて多忙な活動をつづけたが、常に貧困のうちにあって35歳で没した。

立ち読みフロア
 私は夕食の前に手紙を書くのですから、日付を間違いはしませんでした。そして明後日の金曜日にはまた暇になります。アウグスブルクの人たちがどんなに寛大であるかをどうか聞いて下さい。どこの土地に行ってもここくらい特色のある点で感動させられたことはありません。まず第一に市会理事ロンゴ・タバーロを訪ねました。従兄弟〔父モーツァルトの兄弟がアウグスブルクにいて、製本業を営んでいた。その息子にモーツァルトより二歳年少なのがいた〕は人の善い、親切で正直な、立派な市民ですが、私と一緒に出かけて、私がこの有力で地位の高い市会理事との会見を済ますまで、従者の様に広間で待っていました。理事にはまず第一にパパからの敬意を込めた挨拶の言葉を伝えました。彼はその挨拶を丁寧に聞かれてから言いました。『そしてお父さんはお元気ですか?』『おかげ様で至極元気です!』私はすぐに言葉を続けて『あなた様も御機嫌よろしゅうございましょう』と付け加えました。それから彼はもっと礼儀を正しくして、私の事を第三人称で呼びかけるのです。それで私は彼を『閣下』と呼びました。最も最初からそう呼んではいましたが。二階にいる彼の養子を紹介するために一緒に行くまでは、私に少しもくつろいだ気持ちを与えませんでした。その間、私の従兄弟は階段の広間でゆっくりと待っていたのです。私はできるだけの辛抱をしましたがよほどのことで、従兄弟を待たしてあることを言いだそうと思いました。二階に行ってから一時間近くも、見事なシュタインのピアノをひいて愉快になりました。高慢ちきな青年とその細君、それから質朴な老婦人が側で聴いていました。初めに即興演奏してから、そこにあった全部の楽譜をひきました。主だった作品のなかにはエードルマンの美しい曲もいくつかありました。この人たちくらいに品をよくしているのを見たことがありませんし、私も同様に品をよくしていました。相手がするのと同じ態度に出てゆくのが私のきまりです。それが一番よい方法に思えます。
 食後にシュタイン家を訪ねようと思っていると告げると、この青年は自分で案内してあげようと言い出しました。その好意を謝して、二時に戻って来ると約束しました。その通り戻ってからほんの学生にしか見えない彼の義兄弟を加えて、一緒に参りました。私は自分の名前をあかさないで欲しいと言っておいたのに、フォン・ランゲンマントル氏〔前記ロンゴ・タバーロのドイツ名、この場合は養子息子を指す〕は軽率にも、作り笑いをしながらシュタイン氏に言いました。『ピアノの名手を御紹介します』私はすぐ抗議して、自分はミュンヘンのジーグル氏の名もなき一生徒ですが、氏からくれぐれもよろしくと申していました、と言ったのです。シュタイン氏は疑うように頭を振ってやがて言いました。『モーツァルトさんにお目にかかって嬉しいですね』私は言いました。『いや、どうしまして。私の名前はトラゾンで。あなた宛ての手紙を所持しています』彼は手紙を手にとってすぐさま封を破ろうとするので、私はその隙を与えずに言いました。『今すぐに手紙を読んでどうなさるのです? どうか客間のドアをすぐあけて下さい。お宅のピアノをぜひ拝見したいのです』『どうぞ、どうぞ、これは失礼しました』と彼は言いました。ドアがあけられたので部屋にある三台のピアノのうちの一つへ私は走り寄りました。私がひき始めたので、彼は真偽を確かめようと思っていた手紙を読む暇がほとんどありません。署名だけを読みました。『ああ!』と大声をあげて、彼は私を抱き、胸に十字を切り、あらゆる顔の造作を変えて夢中に喜びました。彼のピアノについては日を改めてお知らせします。彼は私をコーヒー店に連れて行きましたが、店の中に入った時、煙草のけむりの悪臭で逃げ出したくなりました。けれどもとうとう一時間ばかりも我慢しました。自分がトルコにでも来たものと思って体裁を作って辛抱しました。彼はグラーフという作曲家(フルート協奏曲しか書いていないが)のことを騒ぎ立てて私に聞かせました。『彼はどことなく、ずば抜けています』とか、その他あらゆる誇張をしました。私は神経質になって初めはかっと熱したが、やがて冷静になりました。このグラーフはハルツとチューリヒに二人の兄弟がいます。彼は自分の思った通りに私をいきなりグラーフに紹介しました。――全く取り澄ました紳士です。彼は部屋着を着ていたが、私が街へ着て出てもまあ恥ずかしくない程度のものでした。彼の物の言い方は大袈裟で、何か言おうと思う前に口を開く癖があって、時々何も言わずにまた口を閉じてしまうのです。散々もったいぶってから二本のフルートのための協奏曲を持ち出しました。私が第一フルートを吹くことになりました。曲はこんがらがっていて、自然でなく、突然過ぎる転調をしたり、何の特徴もありません。演奏がすむと大いに誉めてやりました。全くその通りなのです。この気の毒な人は、この曲を書くのによほどの骨折りと勉強をしたに違いありません。最後に彼はシュタインのピアノを次の部屋から持ち出しました。立派な楽器ですが、ほこりが一寸も積もっていました。ここではグラーフ氏が指示者であって、自分の転調が何か大変巧妙なものと信じている人のように振る舞っていました。しかしすぐに、他の人はもっと巧妙で、少しも耳に不愉快でないことに気付きます。一言で言えば皆のものは驚いてあっけに取られていたようです。

……
アウグスブルクからの手紙(一七七七年十月十四日)

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