「旅の日のモーツァルト」

メーリケ/浜川祥枝訳

ドットブック版 109KB/テキストファイル 74KB

300円

1787年の秋、ウィーンに滞在していたモーツァルトはようやく完成した「ドン・ジョバンニ」の初演のために、妻コンスタンツェとともにプラハへと旅した。同年5月には父の死に見舞われ、経済的にはきわめて逼迫した状況にもあったから、プラハにかける夢は大きかった。メーリケのこの作品は、このときの旅を描いた心のこもった佳品である。

エドゥアルト・メーリケ(1804〜75)ドイツのシュヴァーベン生まれの詩人・作家。シューマン、ブラームス、ヴォルフなどによって作曲された多くの抒情詩で知られるが、散文家としても名をなした。『旅の日のモーツァルト』は、メーリケの散文文学の最高傑作と認められている。

立ち読みフロア
 一七八七年秋、モーツァルトは、夫人同伴で、プラハへの旅行をこころみた。同地で『ドン・ジョバンニ』を上演するためである。
 出発して三日目、九月十四日の午前十一時ごろ、上機嫌《じょうきげん》の夫妻は、ヴィーンをさること三十数時間、道を北西に取りつつ、マンハルト山脈を越え、ドイツ・ターヤ川をシュレムス〔北オーストリアにある小村〕近くで渡って、馬車をすすめていた。シュレムスまでくれば、美しいメーレン山脈越えも、あと一息ある。
 T男爵夫人が女友だちに書き送ったところによると、三頭の郵便馬に引かれたこの車――それは、だいだい色に塗った見事な駅馬車だった――は、フォルクシュテットとかいう将軍の夫人で、モーツァルト一家との交際、それにまた、自分がこの一家に示してきたさまざまな好意のことを、かねてからいささか自慢にしていたらしい、ある老婦人の持ち物だったという。――八十年代の流行に通じている人ならば、問題の車のこういう漠然《ばくぜん》とした描写に、たとえば、さらに次のようないくつかの特色を自分でつけ加えることだろう。このだいだい色塗りの馬車は、両側の扉に、自然色で描いた花束の模様がつき、ふちは金地《きんじ》の細いわくで飾られていたが、その塗りは、このごろヴィーンの職人たちが使う、あの鏡のようにつるつるしたラッカーではなく、車体も、下の方へ向かう部分は、きゃしゃすぎるのではないかと思われるほど急な反《そ》りを打ちつつ曲がりこんではいたものの、ふくらみは不十分だった。高い天井についているごわごわした皮のカーテンは、目下のところ、うしろにはねのけてある。
 なお、乗客二人の服装については、次のことだけを述べておこう。新調の盛装類は大事をとってトランクに入れてあったから、コンスタンツェ夫人が夫の旅行用に選びだした服装は、地味なものだった。ししゅうのある、少し色あせた青のチョッキに、いつもの褐色の上衣。この上衣に一列についている大きなボタンは、ちょうど、星形のきれ地をすかして赤味がかった金箔《きんぱく》が光って見えるようなデザインになっている。それに、黒絹のズボンと靴下――靴には、金メッキをした金具が光っている。
 九月にしては異常な暑さのため、モーツァルトは、半時間ほどまえから、上衣をぬぎ帽子もとって、シャツ一枚のまま、楽しそうにしゃべりながら、腰をおろしている。マダム・モーツァルトのほうはというと、明るいグリーンと白の縞《しま》模様入りの、気の張らない旅行服を着こみ、なかばゆいあげた薄褐色の美しいまき毛は、豊かにこぼれて、肩とうなじにたれさがっている。このまき毛は、まだ一度も髪粉《かみこ》でけがされたことがない。これに反して、夫の、弁髪に編んだ堂々たる髪は、今日はふだんより髪粉のかけかたが少ないというだけの話である。
 馬車は、広い森林地帯をところどころで区切っている肥沃《ひよく》な畑のあいだのなだらかな丘を、ゆっくりと登りつめ、いましも、森のはずれに到着したところだった。
「今日、昨日、それに一昨日とで」とモーツァルトは言った。「もうずいぶんたくさんの森を通ってきたね。もっとも、うっかりとやりすごしてきただけだから、まして、ちょっと森に足を踏み入れようなどとは、思っても見なかったがね。そうだ、コンスタンツェ、ひとつそこのところで降りて、あの木陰であんなにきれいに咲いてる青い釣り鐘草を摘もうじゃないか。おい、御者くん、君の馬たちにもちょっと息をつかせてやったらいい」
 二人が立ちあがったとき、ちょっとした失敗が明るみにでて、夫婦げんかがもちあがった。モーツァルトの不注意で、高価な香水がはいっていた壜の蓋《ふた》があいて、中身が、いつのまにか、洋服やクッションにこぼれてしまっていたのである。

……冒頭より


購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***