「宗春行状記」

海音寺潮五郎作

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600円

江戸幕府もようやく安定期に入った享保年間。将軍跡継ぎ問題の宿怨から、八代将軍吉宗と尾張中納言徳川宗春(むねはる)はことごとに対立した。綱紀を粛正し倹約を命ずる吉宗の政策を嘲笑うように、大勢の供を連れて遊廓に通い、城下で芝居・遊興を催す宗春であった。江戸時代随一の風流大名、尾張宗春の豪胆奔放な半生を活写した長編時代小説。

海音寺潮五郎(1901〜77)鹿児島県伊佐郡大口村(現在の伊佐市)生まれ。本名は末富東作(すえとみとうさく)。国学院大学高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務めながら、創作をおこなう。1934年から歴史小説を発表しはじめ、36年「天正女合戦」と「武道伝来記」が認められて第3回直木賞を受賞。以後、歴史小説・史伝ものの第一人者となった。前者の代表作は「平将門」「海と風と虹と」「蒙古来たる」など、後者では「武将列伝」「悪人列伝」「西郷隆盛」(絶筆・未完)など。

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眼と眼

 ここをどこぞと
 もし人問わば
 ここは駿河(するが)の府中の宿(しゅく)よ
 人に情を掛川(かけがわ)の宿よ
 雉子(きじ)のめん鳥ほろりと落とし
 うち着せて、しめて
 しょの、しょの
 いとしよの
 そぞろいとしゅうて
 遣瀬(やるせ)なや

 年の頃は一四、五から十六、七、十人とも、そろって美しい少女たちである。男髷(おとこまげ)めいた踊子髪、華麗で豪華な着物を踵(かかと)もかくれるほど裾長く着て、裏表に日輪、月輪を金銀で描いた皆紅(かいくれない)の扇子をかざして、おどっている。唄も古雅(こが)だが、三味線も太鼓も、近頃はやりの繊細で軽快なものではない。悠長(ゆうちょう)と思われるほど枯淡(こたん)な調子だが、舞の手は、さす手、ひく手、実に鮮やかである。見ていると、そぞろ彦根屏風にあるような優艶古雅な風俗がしのばれて来るのである。
 唄っているのは、色の白いひきしまった頬に、切長な一重瞼(まぶた)に清らかに瞳の澄んだ、武士である。年の頃、二十八、九――男ぶりがいいから、本当はもっといってあるいは三十を二つ三つ越しているかもしれない。服装もよい、黒羽二重の紋服に白綸子(しろりんず)の下着、黒塗りの鞘に白柄の脇差をしどけなく差している姿は、どう見ても八、九千石の大身(たいしん)の旗本である。
「やんや、やんや」
 武士が優艶に唄い納め、踊子達がずらりと並んで頭を下げると、三味線と太鼓の役をつとめていた二人の武士は、ぐらりと態度が崩れて、急に酔っ払いらしい濁った声で囃(はや)し立てた。
 この二人も、唄い手に劣らず品が良い。一人はかじかんだような小さな黒い顔に痘痕(あばた)が一面にあり痩せて無暗にたけが高いし、一人は青白いほど色の白い、俗に言う瓜実顔(うりざねがお)に美男で、ちょっと内裏雛(だいりびな)を見ているような感じの小男だが、上品の点では甲乙はない。
「いつもながら、春殿(はるどの)のお声にはとろりと聞きほれる」
 と内裏雛が言えば
「まこと、迦陵頻伽(かりょうびんが)の声」
 と痘痕(あばた)も相槌を打つ。
「ははは……、そうむきつけにそやされては面伏(おもぶ)せだの」
 春殿と呼ばれた唄の武士は哄笑(たかわら)いして、どっと彩鳥(いろどり)の集うようにそばによってきた踊子達に、順々に盆をくれながら、きさくに言葉をかける。
「しばらく見ぬうちに、そちはきつう大きゅうなったの。どうやらしなしなと肉づいて、途方もなくあでやかになった。――渋かろか知らねど柿のはつちぎり、という近頃名高い発句(ほっく)のあるを知っているか……」
「こいつはいつの間にやら初ちぎりすませたな……」
「これこれ、さようなずるい飲み方があるか。ずるいことをすると、重ねてまた一杯……」
「そちはいくつになった。なに? 十七? いい年だの。たんと男を迷わせて、未来は地獄に行け。閻魔殿(えんまどの)もそちには迷うであろう……」
 酔っているのだろうが、微(かす)かに匂うように眼のふちを染めているだけの春殿だ。次から次へと打ちとけきった言葉づかい、執りなしが、何とも言えぬなごやかな空気を座中にひろげているのである。
「春殿、春殿」
 突然、痘痕殿が叫んだ
「これこれ、かしましい、何でござる、長殿(ながどの)」
 春殿より先に内裏雛殿が悪戯(いたずら)っぽい目を向けた。
「ははは……」
 長殿と呼ばれた痘痕殿は大きな声で笑って、一人の踊子を振り向いて、
「言うてよいかな」
 それは、この揃いも揃って美しい娘たちの中でも一番美しい娘だった。まだ若い。十五――二八(にはち)(十六歳)にはまだなるまい。少女期の、まだ開ききらぬ初々しい硬い線を多分に残しているが、睫毛(まつげ)の長い濡れたように美しい眼や、花のように紅の線の鮮やかな唇や、新月の匂うような形のよい眉や、産毛(うぶげ)の煙ったほっそりとしたほの青い頸筋(くびすじ)の線や、二、三年の後にはどんなに美しくなるかと思われるような娘であった。
 娘は、真赤に、髪の中まで赤くなってうつむいた。
「言うてよいの」
 しつっこく、長殿はのぞきこんだ。
「何を言うてよいと言わっしゃる?」
 春殿が微笑して言うと、娘は一層はずかしげにうつむいた。美しい魚のようにしなやかに動く手が、膝にのせた袖をまさぐっている。
「読めた! こいつめ、春殿にほれたな!」
 無遠慮に、内裏雛殿が叫ぶと、娘はさっと立ち上がった。
「いや! 意地悪の岑様(みねさま)」
 と叫んでそのまま、追われるように次の間に駆けこんだ。
「ははは……」
「ははは……」
「ははは……」
 三人は同音に笑い出した。
 それっきり、その娘は座敷に帰ってこなかったが、三人はもうそれを忘れているように見えた。次から次へと、残った女たちを相手に、軽い諧謔(かいぎゃく)を交わしたり、小唄を口ずさんだり、自分で三味線を爪弾いてみたり、余念もない有様に見えたが、半刻(とき)ほどもたつと、帰ると言い出した。
「伴の者どもにそう申してくれ」
 伴の支度ができたという知らせが来ると、三人は立ち上がった。
「またまいる」
 最初に岑殿と呼ばれている内裏雛殿、次に長殿、春殿は、一番あとから座敷を出た。
 暗い狭い廊下を少し行くと、夕暗(ゆうやみ)のように暗い所に、狭い急な階段がある。
 先に立った二人がそれを下りてしまうまで、春殿は降り口に立って、あとに続く女どもに冗談を言って笑わしていたが、ふと、つい目の前の唐紙と柱の間が一寸ばかり開いて、そこから自分を見つめている眼があることに気づいた。
 彼は、それが、先刻からかわれて逃げ出した娘の眼であることを知って、微笑とともに声をかけようとしたが、途端に、その目の表情が尋常でないことに気がついた。
 必死の表情――というべきであろうか。その眼には燃えるような光があったし、縋(すが)りつくようにいたいたしくふるえていたし……
 虚を衝かれたようにぎょっとした気持だった。
 二人の視線は真直ぐに引いた一本の糸のようにぴったりと合って静止した。風の絶えた密室の中で小ゆるぎもせずしんしんと燃え立っている灯火(ともしび)のように、まじろぎもしない女の眼だ。春殿の眼からは一切のものが去って、その眼のみが見えた。外(はず)すことも、かわすことも出来なかった。じりじりと灼けつくように迫ってくるかと感じた。苦しかった。それは、ほんの一瞬か二瞬の間だったが、春殿には長い長い時間のような気がした。
 苦しい、とてもこれ以上我慢出来ぬ――と思った時、階段の下から長殿が呼んだ。
「何をしていらせられる。行きましょうぞ」
「ああ、すぐまいる」
 同時に、女の眼にほろりと涙があふれて、掻き消すように唐紙のかげにかくれた。
 だしぬけにささえの柱をのけられたような感じだった。春殿は、軽いめまいを感じて、ふらふらとからだがよろめいた。
 供は通りに並んで、士分の者は袴の股立(ももだち)を取ってしゃがみ、仲間(ちゅうげん)は裸の膝を地べたについて、寒風に尻を吹きざらしにしてつくばって待っていた。人数こそ少ないが、すぐって逞(たくま)しく強そうな者ばかりだった。
「さ、まいろう」
 三人は、紫縮緬(ちりめん)の頭巾を出して頭を包んで、肩を並べて歩きだした。
 この辺(あたり)は軒並み、牡蠣殻(かきがら)をのせた、所謂(いわゆる)こけら葺(ぶ)きの屋根、細い格子の中になまめかしい女のちらちらする家ばかりである。
 日没にはまだ大分間のある、薄い日が弱々しく照っている頃だったが、女達は臆面もなく、格子の外に顔を出して手招きした。
(いやじゃ、いやじゃ)
 というように、三人は首をふりながら、そのくせ、愉快そうな微笑をふくんで歩いて行った。
 家並(いえなみ)が尽きて、吹きざらしの原っぱになって、また町屋だけの通りにかかろうとするときだった。
「?」
 と春殿は急に首をひねって前方を凝視(ぎょうし)した。その視線の向かったほうには、枯れた柳が五、六本あって、すっかり葉の落ちつくした枝が風に吹かれていたが、その下を、浪人風の武士が歩いてくるのだった。
 まだ、若い男だ。肩幅のひろい、たけの高い、立派な体格だし、立派な顔立ちだが、服装は至ってそぼろだ。羊羹色(ようかんいろ)の紋服に、よれよれの桟留(さんとめ)の袴。しかし、腰の大小はすばらしく長く、かつ頑丈だ。大刀は三尺近く、脇差は二尺四、五寸もあろうか。それを左手でおさえ、右の手を勢いよく振って、真向(まっこう)から吹きつける風に挑みかかるような昂然たる姿で来るのだ。
 次第に双方から近づいて、五、六間の距離に迫った時だった。浪人の眼がこちらの三人連れの顔を端の方から順々に見て行って、春殿の顔まで来ると、ぎょっとしたような表情がその顔に表われた。
 弾(はじ)かれたように眼をそらした。
 同時に、春殿が声をかけた。
「安財(あんざい)ではないか」
 最初、浪人は、知らぬふりをして行き過ぎてしまうつもりだったらしく、困ったような顔をしたが、声をかけられると、両手を膝まで垂れて、恭(うやうや)しく小腰をかがめた。
「これはこれは、思いもかけませぬ所にて」
「思いもかけませぬはこちらだぞ。一体、どうしたと申すのだ」
 くるみこんでしまうような愛想のよい微笑を受かベて、春殿は言ったが相手は答えない。
 一層、腰を低くしたままうつむいている。
「今、どこにいる」
「……」
「わしに申せぬことはないはずではないか」
 相手は依然としてうつむいていたが、急に、
「恐れながら、お見逃しのほどを……」
 と言って、そのまま、足早に立ち去ろうとした。
「待て!」
「恐れながら、お情けにござります」
「待てと申すに!」
 柔和な顔に、人が違ったように厳しい表情を浮かべて、呼びとめておいて、春殿は、好奇(ものずき)な顔をして立っている二人の連れの方を振り返った。
「御無礼ながら、至急に用事ができ申した故、ここでお別れ申したいと存ずるが」
「左様か、では、またの機(おり)に」
「御免」
 二人は、各々、自分たちの供の者を従えて立ち去った。
 二人の立ち去るのを見送ってから、春殿は自分の供の者にも、遠慮するように命じて遠ざけた。
「安財」
「……」
「数馬(かずま)」
「……」
「数馬と申すに」
「はッ」
 浪人はちらりと春殿の顔を仰いだが、その眼にはあふれるように涙をたたえていた。
「中納言様も案じておられるぞ。どこにそちは……」
「申し訳ございませぬ」
 浪人の眼から涙がしたたって、乾いた土の上に落ちた。
 春殿はじっとそれを見ていたが、やさしくその肩を叩いた。
「数馬、ゆっくりと話そう。ついてまいれ」
 そして、くるりと身をひるがえすと、すたすたと今来た道を引きかえしはじめた。もう、ふり返ってみようともしない。当然、相手はついてくるものと信じきっている態度だった。
 浪人は躊躇するようだった。いらいらした眼で、相手の後姿を見たが、力なく首を垂れると、そのままうしろに従った。
「数馬、上様の日光御参詣が触れ出されたの。四月ということじゃ。人の供をしての旅など一向に面白くないものじゃが、若葉の季節じゃ、案外面白いかもしれぬの」
 くったくのない気楽な声だったが、数馬はぎょっとしたように相手の顔を見て顔色を変えた。
「ははは……」
 じろりと流し眼に見て、春殿は笑った。
 相手は一層青くなった。目も口も鼻も大きく立派な顔から、一時に血の色が退(ひ)いて、まるで死人のような顔色になったが、春殿はけろりとしている。
「数馬、そちは踊子というものを知っているか。知るまいの。今日はこれからそれを見せてつかわそう。なに、今まで踊子と遊んでいたのじゃ」
「……」
「鹿爪(しかつめ)らしい顔をするな。さような顔はあの世界では、野暮と申してきらう」
「あのお二人様は?」
 やっと気持ちがほぐれたらしく、数馬はきいた。
「あの二人? 先刻の連衆(つれしゅ)か。たけの高い痘痕面(あばたづら)の男がいたろう。あれは芸州広島の太守、浅野安芸守吉永(あさのあきのかみよしなが)、あの世界での通り名を長様(ながさま)という。名詮自性(みょうせんじしょう)、ひょろひょろと長い。陰では黒長(くろなが)と申しているかもしれぬて。小男の内裏雛見るような美男子がいたろう。あれは姫路の榊原式部大輔政岑(さかきばらしきぶたゆうまさみね)、あの世界での名は岑様と申すのじゃ」
 数馬は驚いたようだった。ずっとずっと昔、五、六十年もの昔、寛文、延宝という年号のころまでは、遊里に通う大名もあったということを古老の話に聞いたこともあるが、その後は絶えてないことだ。まして、今の将軍家吉宗公は就任以来、幾度となく倹約令を出して、自ら綿服をまとい、粗食を食ってその励行につとめているというのに。
(なんということをなさるのであろう!)
 まじまじと相手を見つめると、相手は痛快に笑った。
「ははは……、驚いたなあ。ついでだ。なぜ私の通り名を聞かぬのじゃ。春様――これがわしの通り名。御三家紀州の御控え、従四位下、徳川主計頭通春(とくがわかずえのかみみちはる)、この頃、将軍家の御名乗りの一字をいただいて宗春と改名したわしの通り名じゃて。春様――いい名であろう。やさしい名であろう。ははは……」

……巻頭
より

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