「夜来たる」

アイザック・アシモフ/川村哲郎・ 仁賀克雄訳

ドットブック版 123KB/テキストファイル 73KB

300円

もし2000年に一度しか夜が訪れないとしたら、そんなことが本当になるとしたら、人々はどう反応するだろうか…6つの太陽に囲まれた惑星ラガッシュでは、それが現実となった。「夜の到来」は長年にわたって育んできた宇宙像を崩壊させ、人々は恐慌におちいった。このSF史上に名高い表題作のほか、本書にはアシモフ初期の多様性を示唆する「ガニメデ星のクリスマス」「赤い女王のレース」の2編をおさめた。

アイザック・アシモフ(1920〜92) 現代アメリカの代表的なSF作家。名前が示すようにロシアに生まれ、3歳の時、一家とともにアメリカに移住し、帰化した。ブルックリンのハイスクールを卒業してコロンビア大学に入り、生物学を専攻し、後に博士号もとった。本来の生化学に加えて、天文学に至るまで自然科学にひろく通じ、これを基盤としてロボットテーマ、未来史テーマを駆使し、SFの新分野をきりひらいた。代表作「宇宙気流」「ファ ウンデーション」、またロボットを扱った短編集「われはロボット」、長編「鋼鉄都市」「裸の太陽」など多数あり、また、自然科学の啓蒙書として「原子の内幕」「空想天文学入門」「空想自然科学入門」がある。

立ち読みフロア
 もし星が千年にただの一夜のみ、あらわれるとすれば、人々は幾世代にもわたって神の都の追憶をいかに信じ、讃嘆し、保ちつづけることであろう
 ――エスマン

 サロ大学総長アトン七七は下唇を挑戦的に突き出して、怒りに燃える目で若い新聞記者を睨みつけた。
 テレモン七六二はそんな相手の怒りをかるく受けとめた。今とちがって、自分の記事が広いネットワークに載せられることなど単なる妄想にすぎなかった駈け出しの時分から、彼は〈不可能な〉インタビューを実現させることに特異な能力を持ち合わせていた。打ち身はおろか、眼の縁に黒あざをつけられ骨をぶち折られるなど、さんざんな目にあわされたが、そうした経験を通して、彼は冷静さと自信をたっぷりと身につけていた。
 そんなわけで、彼は差し出した手を露骨に無視されても黙ってその手を下げ、老総長の怒りが峠を越すのを待った。天文学者といえば、どのみち変り者の集まりだったが、ここ二ヵ月ばかりのアトンの行動から判断するに、彼はまさにその最(さい)たるものであった。
 アトン七七はようやく口がきけるようになった。その声は感情を鎮めかねてか、震えていたが、この高名な天文学者独特のいささか学者ぶった慎重な言葉づかいは普段とすこしも変わりなかった。
「きみもいい加減ずうずうしい男だね、そんな厚かましい申し出をしにやってくるなんて」
 アトンは言った。
 天文台の望遠写真技師でがっしりした体躯の持ち主のビーニイ二五が、乾いた唇の間からちらっと舌先をのぞかせて恐る恐る言葉をはさんだ。
「総長、とにかく、その――」
 総長はビーニイをふり返り、白い眉をつり上げた。
「余計な差出口はよしたまえ、ビーニイ。この男をここへ連れてきたきみの善意は認めるが、わしに盾(たて)つくことは許しませんぞ」
 テレモンは頃合いよしとみてとって、口を開いた。「アトン総長、さきほどお話ししかけたことを最後まで言わせていただければ、たぶん――」
「信じられんね、きみ」アトンは切り返すように言った。「きみが毎日担当している、あの記事に匹敵するほど重大な話があろうなどとは。わしと同僚たちがあの脅威に対処して世界を組織化しようと努力をこころみているのに対し、きみは新聞の紙面を利用して大々的な反対運動を唱導(しょうどう)してきた。もはや万事手遅れで、危険は避けることができなくなりましたぞ。きみが精魂こめて猛烈な人身攻撃をしてくれたおかげで、天文台の職員一同はすっかり物笑いのたねにされてしまったんだ」
 総長は卓上の『サロ・シティ・クロニクル』紙を取り上げ、荒々しく打ち振るようにして、テレモンにつきつけた。
「いかに厚かましさで鳴らしている君ら記者連中だといっても、今日の出来事を洗いざらい記事にさせてくれなどと言ってくるについては、多少なりともためらいを覚えたはずだ。それがまた、選りに選って、きみという人間がやってくるなんて!」
 アトンは新聞を床に叩きつけて、つかつかと窓ぎわに歩み寄り、手を後ろに組んだ。
「おひきとり願おう」背を向けたまま、アトンは言った。暗い目で彼は地平線のかなたを眺めた。この惑星の六個の太陽の中、もっとも明るいガンマさえもがはやくも沈みかけていた。すでに光輝が薄れ、黄ばんだすがたで、地の果てにたちこめる靄(もや)の中に没し去ろうとしていた。アトンは正気でいられるうちに、二度とふたたびこの太陽を見ることはないのだ、と思った。
 彼はくるりと向きなおり、断乎たる身振りを示した。
「いや、待ちたまえ、こっちへ来なさい! ネタをあげよう」
 帰る素振りなどすこしも見せてはいなかった記者は、今ゆっくりと老総長に歩み寄った。アトンは外の方を身振りで示した。「六個の太陽の中、空に残っているのはベータだけだ。見えるかね?」
 この質問はどちらかといえば不要だった。ベータはほとんど天頂にあり、沈みかけ光輝の失せたガンマにかわって、地上を、その赤味を帯びた光で異様なオレンジ色に染めていた。ベータは、ちょうど遠日点に位置して小さくみえた。テレモンはこんな小さなベータを見るのははじめてだった。しかもそれが、さしあたり、ラガシュの空の紛(まご)うかたなき支配者なのであった。
 ラガシュ自身の太陽アルファは、これをめぐってラガシュが公転している関係で、現在は対蹠(たいしょ)点にあった。二個一対の遠い伴星はおなじく対蹠点にまわっていて、赤色矮星(わいせい)のベータ――アルファに隣接した伴星――だけが、ただ一個、不気味なすがたを見せていた。
 仰向いたアトンの顔が陽光に赤々と照らし出された。「あと四時間もすると、文明は終りを告げ、われわれの知るようなかたちでは存在しなくなる」アトンは言った。
「なぜそうなるかというと、空に残る太陽がベータ一つになってしまうからだ」アトンは陰鬱な笑みをうかべた。
「それを記事にするのだね。読む人間なんぞ一人もいなくなっているから!」
「しかし四時間たち――さらに四時間たって、なにも起こらなかったら?」テレモンはもの柔らかな調子でたずねた。
「その心配はしないでおきたまえ。かならず起こるから」
「なるほど。それでも――もし起らなかったら?」
 ここでもう一度、ビーニイ二五が口をはさんだ。「先生、とにかく、かれの話というのをお聞きになるべきじゃありませんか」
 テレモンが言った。「アトン総長、票決に付してください」
 天文台の残る五人の職員は、このときまで用心深く中立の態度を持していたが、急にざわめきだした。
「そんな必要はない」アトン総長はにべもなく言いすてて、懐中時計を取り出した。「きみの良き友ビーニイがこうまでうるさく言うのだから、とにかく五分だけ時間をあげよう。話してみなさい」
「それはありがたい。では申しますが、わたしが来たるべき事態について実地証人としての記事を書くことを許されても問題はないのではありませんか。あなたの予言が的中するものとすれば、わたしが居合わせてもお困りにはならない。なぜなら、そのばあいは記事が書かれるということはないのだから。いっぽう、万一なにごとも起らなかったばあいは、あなたが笑いものにされるだけのことです。おなじ笑いものにされるなら、友好的な筆で扱われるほうがお身のためというものでしょう」
 アトンは鼻の先でせせら笑った。「友好的な筆とはきみの筆のことかね?」
「そうですとも」テレモンは腰を下ろすと脚を組んだ。
「わたしの筆致は時に少々荒っぽくなることもありましたが、それでもつねにあなたがたの言説については、疑わしい点は反対の証明のできないかぎりは善意に解してきました。とにかく、今はもう、ラガシュに『世の終り近づきたり』などとお説教する時代じゃありませんよ。もはや黙示録など信ずる人間は一人もいないというのに、科学者ともあろうものが、われわれの信頼を裏切って結局カルト教徒らの言葉が正しいなどと言いだすものだから、みんな戸惑ってしまうのです。その点をぜひとも理解していただかなくては――」
「そんなことはないんだ、きみ」アトンはさえぎるように言った。「われわれの資料は、なるほどその多くをカルトの教典に仰いでいる、が研究の結果はカルト教の神秘性などにいささかも影響されてはおらん。事実は事実なのだ。カルトのいわゆる神話なるものの背後には、ある程度事実の裏付けがある。われわれはそれをあばき出して彼等の神秘性を剥ぎとった。だからカルトたちはきみら以上にわれわれを憎悪しているにちがいないのだ」
「わたしはなにも、あなたがたを憎んでなんぞいませんよ。ただ公衆がおそろしく気を悪くしているということを教えてあげようとしているんです。みんな怒っていますんでね」
 アトンは嘲けるように口をゆがめた。「かってに怒らせておけばいい」
「ええ、でも明日はどうなるんです?」
「明日など、もうありはせん!」
「でも、あったら? もしあったとしたら――どういうことになります? 公衆の怒りが昂(こう)じて大変なことになりはしませんか。なにしろ、ここ二ヵ月というもの商況は不振のどん底をついているのですからね。投資家は世界の終りがくるなどとは実際には信じちゃいませんが、それでもやはり万事が済むまでは金を出し渋りますよ。一般の大衆だってあなたがたの言うことなど信じてはいませんが、春向きの家具の新調は、二、三ヵ月見合わせたほうがよかろう、といった工合に考えていますな――はっきりしたことがわかるまでというわけで。
 これでおわかりでしょう。つまり、なにも起こらずにことが済もうものなら、さっそく実業界がつかみかかってきますよ。気違いどもに――なんていうと失礼ですが――とんちんかんな予言なんぞで国家の繁栄を台無しにされ、黙っていられるか。惑星は彼等の流す害毒に対して予防措置を講じねばならぬ、とこうくるにきまっています。これは火を見るより明らかなことです」
 総長は新聞記者をきびしい目で見つめた。「では聞くが、事態を救うのに、きみにどんな名案があるというのだ?」
「ですから、わたしは」テレモンはにっと笑った。「さきほどから宣伝のほうを引き受けようと言っておるのです。わたしの筆しだいで、事件は滑稽な面のみが浮き彫りにされるようにできます。これはなるほど、辛い仕事にはちがいない、あなたがたを、たわごとを言う白痴の集りみたいに書かなければならないのだから。でも公衆にあなたがたを嘲笑させるように書くことができれば、かれらは怒るのを忘れてくれるかもしれません。それとひきかえに、うちの社としては記事を独占させていただきたいと申し上げるだけです」
 ビーニイが頷いて、とつぜん口を出した。「先生、われわれも、かれの言うのが正しいと思います。過去二ヵ月、われわれはあらゆることを考案してきましたが、それでも理論や計算に万に一つの誤りがないとは断言できません。その点にも充分の注意を払う必要がありましょう」
 テーブルを囲む職員の口から同感の呟きが洩れ、アトンの表情が苦いものをほうばって吐き出せずにいる人のそれのようになった。
「では勝手に、ここにおったらよい。ただしわれわれの職務の邪魔だけはしないでくれたまえ。それからここではわたしがあらゆる活動の責任者だということを憶えておいてもらおう。そうすれば、わたしも今までのきみの記事のことは水に流して、今後はとにかく全面的な協力と十二分の敬意を払ってくれるものと考え――」

 ……「夜来たる」冒頭より


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