「日本男子物語」

柴田錬三郎作

ドットブック版 252KB/テキストファイル 163KB

500円

一読、やめられなくなる痛快読み物、柴錬立川文庫第5弾! 快人物、等々呂木神仙(とどろきしんせん)から作者が聞くという形で展開される、日本史をいろどった痛快無類の男たちの物語。以下の10編を収録。

会津白虎隊
上野彰義《しょうぎ》隊
函館五稜郭
水戸天狗党
網走囚徒
異変桜田門
大和天誅組
日本人苦学生
カラフト隠密
純情薩摩隼人

柴田錬三郎(1917〜78)岡山県生まれ。慶大支那文学科卒。在学中から「三田文学」に作品を発表しはじめ、「イエスの裔」で直木賞受賞。「眠狂四郎無頼控」で一躍、時代小説の第一人者、人気作家となった。代表作には「剣は知っていた」「赤い影法師」「柴錬立川文庫」の連作などがある。

立ち読みフロア
 等々呂木神仙《とどろきしんせん》。年齢――七十歳以上であることは、たしかである。いや、もう八十の坂を越えているかも知れぬ。というと、春秋高く、茶烟鬢糸《さえんびんし》の感を催しむる枯淡の老翁《ろうおう》を創造されそうだが、どうして、まるまると肥って、皮膚など青年のようにつやつやしい。対坐すると、どすぐろくひからびた私の顔の方が、はるかに老《ふ》けている。
 老人は毎朝四時に起きて、相模《さがみ》の野道を五里あまり散歩する。室内にあっては、一年中すっ裸である。
「いまでも、手淫《しゅいん》ができるぞ」
 と、豪語している。
 神仙という号とは、およそ、かけはなれた人物である。
 去年、その名をきいて、訪れる時は、「なんとなき老い衰えたる人だに、今はと世をそむくほどは、怪しゅうあわれなる」姿を想像していたところが、玄関に、ぬっと現れた生まぐさい木菟《ずく》入道に、びっくりしたものであった。
「これから、一年あまり、毎月一度、お訪ねして、先生の史譚《したん》を――日本男子の爽快《そうかい》な話しをおうかがいしたい」
 と申し出ると、大声で、
「わしは、ファッショではない」
 と、呶鳴《どな》るように云い、それから、にやりとして、
「あんた、助平そうな面《つら》しとるのう」
 と、あびせて来た。
 おかげで、こちらは、気が楽になった。
 雑談に花を咲かせたが、まことに、よくしゃべる老人であった。
 爾来《じらい》、約束通り、私は、毎月一度、その家を訪れて、うそだかまことだか、老人のしゃべりまくる昔話を、メモして来る習慣がついた。
 これから、発表するいくつかの「日本男子物語」は、すべて、等々呂木神仙の対談をそのまま、紹介するものである。したがって、作者である私が、その虚実の責任をとるわけにはいかない。あるいは、その後裔《こうえい》の人々が、
「でたらめも甚《はなはだ》しい」
 と、烈火のごとく、憤怒《ふんぬ》される場合も、しばしばあろうが、どうか、一老人の対談として、看《み》のがして頂きたい。
 私自身、いささか、疑惑をおぼえ、首をかしげ乍《なが》ら、書きとめた箇処《かしょ》もすくなくないのである。すべては、百年あるいはそれ以上の歳月の彼方で起った出来事である。目撃者が一人のこらず、鬼籍《きせき》に入ってしまっているのであるから、真偽を糺《ただ》すことは、むつかしい。
 げんに、われわれが生きている現代で起った事件でさえも――例えば、松川事件など、その真犯人が果して何者か、不明なのである。
 まして、カメラも電話も、新聞、週刊誌も、持たぬ文明未発達の時代の出来事である。それが、正しく記録される筈《はず》がない。たとえ、目撃者が述べたとしても、記憶ちがいもあろうし、個人の感情で、白を黒と断定したかも知れぬ。
 大方の叱責《しっせき》をまぬがれたいために、先手を打っておくつもりでは、さらさらないが、なにしろ、等々呂木神仙の対談は、まことに勝手放題であり、また、その勝手放題さをはぶくと、ひどくつまらなくなるために、敢えて、そのまま、紹介するにあたって、一応のお断りをしておかねばならぬのである。かさねて、お断りしておく。本篇は、史実を述べる歴史譚ではない。一老人の放談である。



 戊辰《ぼしん》戦争のことは、もうあらゆる書籍で語りつくされている。わしが、いまさら、しゃべるまでもないだろう。
 しかし、どの本を披《ひら》いてみても、やたらに、ややこしく書いてあるな。なに、きわめて、かんたんなことさ。
 嘉永《かえい》六年以来、外国の軍艦が、次から次にやって来るので、いままで、竜《たつ》の落し子のような小さな島国の中に、盲聾《もうろう》の生活をしていた三千万の人間が、大あわてしただけのことだな。
 外国の軍艦を追っぱらってしまえ、という攘夷論《じょういろん》を、わめきたてたり、貿易を要求して来る諸外国に、へこへこする幕府の態度が、なっとらんから、いっそ、ぶっ倒してしまえ、と討幕論を、呶鳴りたてたり、てんやわんやしているうちに、薩摩《さつま》と長州が、勢力をのばして来た。
 つまり、権威失墜《しっつい》した徳川幕府対外様《とざま》大大名との争いが、戊辰戦争で、とどのつまり、将軍の方が、カブトをぬいだ。それだけのことだ。
 将軍は、もう、勝てん、と思って、カブトをぬぐ機会をねらっているのに、親藩とか旗本が、
「外様の野郎に、頭が下げられるか!」
 と意地を張った。そのために、四方八方で、悲劇が起ったわけさ。
 会津が、そうだ。
 藩主の松平容保《かたもり》は、儒教の教えを判で押したように実行した「名君」だが、そのクソ真面目さが、かえって、家臣たちに対し、暴君以上の残忍な結果を与えてしまったのだな。

……「会津白虎隊」巻頭より


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