「日本の民話(中部編)」
 

藤澤衞彦著

ドットブック版 260KB/テキストファイル 119KB

600円

中部地方の伝わる代表的な昔ばなし46編を集めています。長野10編・山梨9編・静岡3編・愛知3編・三重2編・岐阜3編・滋賀4編・福井5編・石川5編・富山2編からなります。

藤澤衞彦(ふじさわもりひこ)(1885〜1967)東京生まれ。明治大学教授。風俗史・民俗学・伝説学・児童文学など、幅広い分野で研究に従事した。日本風俗史学会、日本アンデルセン協会、日本児童文学者協会など多くの学会・協会の設立、育成を手がけ、児童文化図書館長、日本伝説学会会長などを歴任した。主な著書に『日本伝説研究』『日本民謡・童謡研究』などがある。

立ち読みフロア
早太郎(はやたろう)

 むかし、むかし、駒(こま)ガ岳の山犬が、信濃国(しなののくに)の光前寺(こうぜんじ)の縁の下で、五ひきの子犬を育てていましたが、育ておわって山に帰るとき、そのうちの一ぴきを残してゆきました。光前寺の和尚さんは、この犬に、早太郎という名をつけ、育ててみますと、まことにいさましく、それでいてすなおな、はしこい性質の犬でしたので、めずらしいことにして、かわいがっておりました。
 そのころ、遠江国府中(とおとおみのくにふちゅう)の天満天神社(てんまてんじんじゃ)の奥の祠(ほこら)に、怪物がすんでいて、祭ごとに人身御供(ひとみごくう)をしなければ、付近にあらわれて、農作物をあらしまわり、そのため一年無作の苦しみをなめなければなりませんので、それをおそれて里人たちは、毎年毎年くじをひいて、いけにえにそなえる童女(おんなのこ)をきめるのでした。祭の日になると、その童女を櫃(ひつ)に入れて、ほこらの前に供え、送っていった人たちは、いけにえだけを残して、逃げ帰るならわしがございました。
 ある年のこと、時の天神社の社僧(しゃそう)が、人身御供を残して里の人たちが逃げ帰っていったのち、ただ一人、ものかげにかくれて、ひそかにその後のようすをうかがっておりました。
 すると、真夜中ごろに、ほこらがしきりに震(ふる)えはじめたかと見ると、とびらの中から、眼の玉のらんらんと光る三つの怪物があらわれ出てきました。そして、一つの怪物が心配そうに言うには、
「信濃の早太郎、今夜、来ることはないか」
 すると、ほかの怪物が、
「なし」
 と、答えました。
 それで、怪物たちは、うれしそうに歌をうたいながら、踊りだしました。

 このことばかりは、
 信州信濃の光前寺、
 早太郎には知らせてくれるな、
 スッテンスッテン。

 ひとしきり踊りぬいてから、櫃(ひつ)をこわし、いけにえの童女をとらえて、ほこらの中へはいってしまいました。
 社僧は、いったい、この怪物どもが深くおそれている早太郎とはなにものであろう。たずね出して、里の人々のかなしみをうったえ、この難儀をすくってもらおうと、すぐに旅の支度をととのえて、信濃国に早太郎をさがしにまいりました。
 しかし、社僧は、あまねく信濃国をさがしまわりましたけれども、どうしても早太郎のいるところがわかりませんでした。たずねあぐんで、同国伊那郡(いなのこおり)を旅してきたある日のこと、この社僧は、とある茶店(ちゃみせ)に休みながら、ここでもまた、早太郎という人のすまいをたずねました。
 茶店の主人は、しばらく、だまってなにか考えているようすでしたが、ぽんとひざをたたいて、
「ほう、おまえさまのたずねてごらざっしゃるのは、それは人間ではありますまい。となり村の光前寺さまの犬が、たしか早太郎と言いますが、その犬ではないかね。そうでないとすると、早太郎なんて人、聞いたことがありませんがね」
 社僧も、いったんは不審に思いましたが、また、思いあたるふしもありますので、くびすをかえして光前寺にもうで、時の住僧にあって一部始終を物語り、人だすけのために、ぜひ、その早太郎を貸していただきたいと、ねんごろに頼みました。
 聞いて、和尚さんも、ふしぎなことには思いましたが、「とにかく承知するかどうか、犬に聞いてみましょう」といって、早太郎を呼びよせ、あたかも人間に物をいうようにして、ことの次第(しだい)を語り聞かせ、
「どうだ、行ってやるか」
 と、和尚さんが申しますと、さきほどから神妙に耳をたれて聞いていた早太郎は、たちまち尾をふり動かし、もの言いたげに一声高くほえ上げ、いかにも引き受けましたというようすに見えましたので、遠江(とおとうみ)の社僧は大喜び、和尚さんのゆるしをもうけて、早太郎をはるばる遠江国へつれてまいりました。
 そのうちに、次の天満神社の祭をとりおこなう日がまいりましたので、里の人たちは、案じながらも、今年は身代りのできたのを喜びながら、社僧のいうとおり、早太郎を櫃(ひつ)におさめ、ほこらの前に運んでいって逃げ帰り、それからのなりゆきを気づかっておりました。
 さて、夜中になって、あらわれでた怪物どもは、去年のように、早太郎のことを気にかけて、

 このことばかりは、
 信州信濃の光前寺、
 早太郎には知らせてくれるな、
 スッテンスッテン。

 と、踊りぬきましてから、例年のように、おどりかかって櫃(ひつ)をこわし、いけにえをとらえようとしました。
 さきほどから、それを待ちかまえておりました早太郎は、櫃がこわされるやいなや、猛然とおどり出て、怪物どもに飛びかかってゆきました。怪物どもも、けんめいにふせいだようでしたが、早太郎の奮闘(ふんとう)ぶり、ものすごく、とうとう、その怪物どもは残らず、早太郎にかみころされてしまいました。しかし、早太郎もまた、鮮血にそまって、たおれてしまいました。
 やがて、社僧が、暁(あかつき)の光をたよりに、すさまじかった闘(たたか)いのあとをしらべてみましたところ、怪物というのは、それは、まことに大きな、年とった猿であったということです。

〔解説〕早太郎のなきがらは、その後、ことのわけを書きそえて、遠江国の天満天神社から、丁重に信濃国の光前寺におくりかえされましたので、そこに手あつく葬られ、義犬塚(ぎけんづか)がたてられて、香煙(こうえん)いまにたえることがありません。

……長野の民話より


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