「日本の昔話」

柳田国男著

ドットブック版 228KB/テキストファイル 102KB

400円

著者が多年にわたって集めてきた全国各地の「昔ばなし」…本書に収録されたのは、「猿と蟇(ひき)との餅競争」「猿聟入り」「金の斧銀の斧」「黄金(こがね)小臼(こうす)」「はなたれ小僧様」「蛇の息子」「水蜘蛛(みずぐも)」「飯食わぬ女房」「牛方と山姥(やまうば)」「人影花」「山梨の実」「三枚のお札」「にわか入道」「小僧と狐」「片目の爺」「たのきゅう」など…全部で106話! 立ち読みをぜひご覧ください。

柳田国男(やなぎたくにお)(1875〜1962)現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれ。日本における民俗学の開拓者。東京帝大卒業後、農商務省にはいり、仕事の関係で各地を旅行、同時に早稲田大学で農政学を講義する。山地の民俗に興味をいだき『遠野物語』を著わすが、以降は幅広く各地の民俗を研究・調査、「方言」「昔話」「伝説」「童謡」などをテーマにした多くの著作を著わした。  

立ち読みフロア
 一 猿の尾はなぜ短い

 むかしのむかしの大昔、猿(さる)のしっぽは三十三尋(ひろ)あったそうです。それが熊(くま)のためにだまされて、あのような短いしっぽになってしまいました。あるとき猿は熊のうちへたずねて行って、どうすればたくさんの川の魚を、捕(と)ることができるだろうかと相談しました。そうすると熊がいうには、今晩のような寒い晩に、どこか深い淵(ふち)の上の岩にすわって、そのしっぽを水のなかへ漬(つ)けておいてごらん。きっと色々な雑魚(ざこ)が来てくっつくからと教えてくれました。猿は大喜びで教えてもらったとおりにして待っていますと、夜がふけてゆくうちに、だんだんとしっぽが重くなりました。それは氷が張って来たのでしたが、お猿は雑魚が来てくっついたのだと思っていました。もうこれくらい捕れたら十分だ。あんまり冷たいから帰りましょうと思って、しっぽを引きあげようとしたけれども、なんとしても抜けません。これはたいへんだと大騒ぎをして、むりに引っ張ったところが、そのしっぽが根元からぷっつりと切れました。猿の顔の真っ赤なのも、その時あまりに力をこめて引っ張ったためだといっている人があります。
(島根県松江。「日本伝説集」高木敏雄)

 二 海月(くらげ)骨なし

 大昔、竜宮(りゅうぐう)の王様のお妃(きさき)がお産の前になって、猿(さる)の肝(きも)が食べてみたいという珍しい食好(しょくごの)みをなされました。竜王はどうかしてその望みをかなえてやりたいものと、家来の亀(かめ)をよんで、何かよい考えはあるまいかとたずねられました。亀は知恵のある者で、さっそく日本の島へ渡ってきて、ある海岸の山に遊んでいる猿を見つけました。猿さん猿さん竜宮へお客にゆく気はないか、大きな山もあり、ごちそうはなんでもある。行くならば僕が負(お)うて行ってあげるといって、大きな背なかを出して見せました。猿はうっかりとこの亀の口車(くちぐるま)に乗って、うれしがって竜宮見物に出かけました。なるほどかねて聞いていたよりも美しいお屋敷でありました。中の御門の口に立って、亀の案内してくれるのを待っていますと、門番の海月(くらげ)が猿の顔をみて笑いました。猿さんはなんにも知らないな。竜王様のお妃がお産の前で猿の肝が食べたいとおっしゃるのだ。それで君がお客によばれて来ることになったのにといいました。こいつはたいへんだと思いましたけれども、猿にも知恵があるので、なに食わぬ顔をしていますと、やがて亀が出てきて、さあこちらへといいました。
 亀さん僕はとんでもないことをした。こんなお天気模様なら持って来るのだったが、うちの山の木に肝をひっかけて、干(ほ)しておいて忘れてきた。雨が降り出したら濡れるだろうと思って、心配だといいました。なんだ君は肝をおいて出てきたのか、それじゃもう一度取りにゆくよりほかはあるまいと、ふたたび亀が背中にのせて、元の海岸まで戻ってまいりました。そうすると猿は大急ぎで上陸して、一番高い木の頂上にのぼって、知らん顔をしてほうぼうを見ています。亀がびっくりして猿君どうしたというと、海中に山なし、身を離れて肝なし、といって笑いました。これは竜宮で門口に待っているうちに、あのおしゃべりの海月(くらげ)がしゃべったに相違ないと、亀は帰ってきて竜王に訴えますと、けしからぬやつということで、皮ははがれる。骨はみな抜かれる。とうとういまの海月の姿になってしまったのは、まったくこのおしゃべりの罰(ばつ)だということであります。
(「沙石集」五)

 三 雀と啄木鳥(きつつき)

 むかしのむかし、雀(すずめ)と啄木鳥(きつつき)とは二人の姉妹であったそうです。親が病気で、もういけないという知らせの来た時に、雀はちょうどお歯黒(はぐろ)をつけかけていましたが、すぐに飛んでいって看病をしました。それでいまでも頬(ほっ)ぺたがよごれ、嘴(くちばし)も上の半分だけはまだ白いのであります。啄木鳥の方は紅をつけ白粉(おしろい)をつけ、ゆっくりおめかしをしてから出かけたので、ついに大事な親の死に目にあうことができませんでした。だから雀は姿は美しくないけれども、いつも人間の住む所に住んで、人間のたべる穀物を、入用なだけ食べることができるのに、啄木鳥はお化粧(けしょう)ばかりきれいでも、朝は早くから森のなかを駆(か)けあるいて、がっか、むっかと木の皮をたたいて、一日にやっと三匹の虫しか食べることができないのだそうです。そうして夜になると木の空洞(うつろ)にはいって、おわえ、嘴(はし)が病(や)めるでやと泣くのだそうです。
(青森県北津軽郡松島村米田小字末広。「津軽口碑集」内田邦彦)

 四 鳩の孝行

 むかしのむかし、鳩(はと)はほんとにねじけ者で、ちっとも親のいうことをきかぬ子であったそうです。親が山へ行けといえば田へ行き、田へ行けといえば畠へ出て働いていました。親が死ぬときに静かな山に葬(ほうむ)ってもらいたかったけれども、そういうとまた反対のことをするだろうと思ってわざと川原へ埋(うず)めてくれとたのんで死にました。
 ところが鳩は親が死んでから、はじめて親のいうことをきかぬのは悪かったと心付きました。そうして、こんどはそのいいつけのとおりに、川原へ行って親の墓をこしらえたのだそうであります。しかし川のふちでは、水が出るたびに墓が流れそうで気がかりでたまりません。それゆえに今でも雨が降りそうになると、このことを考え出して悲しくなって、ととっぽっぽ、親が恋しいといって鳴くのだそうであります。もう少し早くから、親のいうことをきいておればよかったのであります。
(石川県鹿島郡。「鹿島郡誌」)

……冒頭より


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