「ノアノア」

ゴーギャン作・大島利治訳

エキスパンドブック 553KB /ドットブック 1115KB/テキストファイル 58KB

500円

ヨーロッパ文明に絶望した画家ゴーギャンの、タヒチに寄せる思いを託した紀行文的な「ファンタジー物語」。エキスパンドブックでは、生前に用意しながら結局は日の眼をみることのなかった木版画と、日記のカラフルな挿し絵を初めて紹介。画家自身が思い描いた「ノアノア」本来の姿を初めて明らかにする。

ゴーギャン(1848〜1903)フランスの画家。船員・株式仲買人などをへたあと、画業に打ち込む。ブルターニュのポンタヴァンでエミール・ベルナールとポンタヴァン派をつくったり、ゴッホと共同生活をして失敗したあと、タヒチ島に移って、自分のスタイルを完成した。

立ち読みフロア
  六月八日の夜、六十三日間の変化にとんだ航海のあとで……私には、待ち望んだ地への熱狂的な期待といらいらしたもの思いとの六十三日間であったが……われわれは海上にZ字形に揺れうごく奇妙な灯をみとめた。どんよりした空に鋸歯状(きょしじょう)の黒い火山の尖端がくっきりと浮き出ている。
  船がモーレア島を廻ると、タヒチが見えてきた。
  それから数時間して、夜がしらじらと明けてきた。船は、船首をヴェニュス岬の鼻に向けて、ゆっくりと珊瑚礁(さんごしょう)に近づき、パペーテの瀬戸にはいり、ぶじ、停泊地に投錨(とうびょう)した。
  さいしょ見たとき、この小さな島にはうっとりさせるようなものは何もなかった。たとえばリオ・デ・ジャネイロの入江のすばらしさに比べられるようなものは。私は注意して観察したが、さりとて比較しようなどという気持はなかった。この島は太古の洪水のおりに海底に没した山の頂きなのだ。いちばん高い尖端(せんたん)だけ水面にのこったのである。(おそらく)ある家族がこの島にのがれてきて、根をおろしたのであろう。「さんご」もまたそこにはい上り、周囲をかこみ、新しい島をつくったのである。島は、その後たえず大きくなっていったが、やはりもとの孤独で縮小された性格をのこし、それをさらに海の広大さが強調している。
  朝の十時に、私は総督(そうとく)のもとへ出頭した。彼は私を重要人物として迎えた。この名誉は、フランス政府が私に託した使命(なぜだかあまりよくわからないが)のせいだった。
 「芸術的」使命、まさにその通りだが、この「芸術的」という言葉が、この黒人の総督の目には、政府の回し者というのと公認の同義語としてうつるのだ。まちがいを直そうとあらゆる努力をしたが無駄であった。総督の取り巻き連もみんな彼にならって思いちがいをし、いくら私の使命は特別な理由のないものだと言っても、誰も取りあおうとしなかった。
  パペーテでの生活は、すぐに私にはわずらわしくなった。そこは、ヨーロッパであった……私がやっと解放されたと思ったヨーロッパであった。植民地的スノビスム、漫画にさえなりかねない子供じみた滑稽(こっけい)な猿真似がさまざまな形でますますひどくなっているヨーロッパであった。私が遥か遠方から求めてきたのは、これではなかった。

……《第一章 文明をのがれて》より


購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***