「オデュッセイア(上・下)」

ホメロス/呉茂一訳

(上)ドットブック 1117KB/テキストファイル 207KB

(下)ドットブック 898KB/テキストファイル 198KB

各800円

12巻に分けた分冊版も用意しています。

 トロイアの陥落後、帰路についたオデュッセウスは単眼巨人ポリュペモスの島に着く。仲間を食われたオデュッセウスはポリュペモスの目をえぐって脱出するが、ポリュペモスの父親、海神ポセイドンの怒りをかい、以後故郷へたどりつくまで10年間の長い放浪苦難をよぎなくされる。女神カリュプソによる7年の幽閉、人を豚に変える魔女キルケ、美しい歌声で誘惑するセイレネス、恐ろしい怪物スキュレとカリュプデスらとの遭遇と闘い、そしてようやくたどり着いた故郷イタケでは、妻ペネロペイアに言い寄り、その家を我が物顔に占拠利用するやくざな求婚者どもと闘わなければならなかった。

  だが、オデュッセウスは単純な勇士、不撓の航海者にとどまらない。策士であり、高貴であると同時に残酷・貪欲な人物でもある。「オデュッセイア」はそうした意味でも「最初の小説」「最初のすぐれた冒険小説」の名にはじない。

ホメロス 作者ホメロスには不明な点が多いが、前8世紀ごろの人。現トルコのエーゲ海岸一帯(イオニア)に関係が深かった人で、盲目の語り部であったろうと推測されている。古代ギリシアの生んだ2大叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」の作者。前者はトロイア戦争そのものを、後者は戦争後の一英雄の帰国までを格調高く歌いあげた作品として、ヨーロッパ世界共有の遺産として今日まで受け継がれている。

立ち読みフロア
第一巻

諸神の会議、アテネ女神、テレマコスに出発をうながす

 あの武士(さむらい)のことを話してくれ、詩の女神(ムーサ)よ、術策(てだて)にゆたかで、トロイアの聖(とうと)い城市を攻め陥(おと)してから、とてもたくさんな国々を彷徨(さまよ)って来た男のことを。たくさんなやからうからの住む町々や気質を、それでともかく識(し)りわけ、海上でもさまざまな苦悩を、自分の胸にかみしめもした、自分自身の命も救い、仲間の者らの帰国の途(みち)もとりつけようとつとめるあいだに。
 しかし、それにもかかわらず、ずいぶん努力もしたのだったが、部下たちを救うことはできなかった、というのも、彼らは自業自得の、非道な所業のため身を滅ぼしたものだったから。愚かな奴らだ、天上をゆく太陽神の所有物(もちもの)である牛どもを食料にしていたとは。それで太陽神が、彼らから帰国の日を奪い取ったのであった。そうした次第の物語を、どこからなりと、私たちにも、ゼウスの御娘の女神ムーサよ、お話しください。
 他の大将たちで、きびしい死の運命(さだめ)をまぬがれたほどの方々は、みなもう故郷に帰っていた、戦争からも、海路の難からも、うまくのがれきって。ところが彼、オデュッセウスひとりだけは、故国に帰って妻に会いたいものとしきりに願いもとめているものを、若い女神カリュプソが、ぐるりのうつろな洞窟の中で、女神たちのあいだでも神々しい女神(ニンフ)としたことが、配偶(つれあい)にしようとしきりに望んで引きとめていたのであった。
 だがとうとう、年月のめぐり過ぎるにつれ、神々がイタケ島〔ギリシア半島西海岸にある山の多い小島で、オデュッセウスの領国、その都もイタケというらしい〕へと、彼の帰国をはかり定めておかれた時がめぐって来たが、そのおりでさえ、いろんな苦業(くぎょう)をすっかりのがれきりはできず、身内(みうち)の人々といっしょになってからさえも、同様だった。すなわちほかの神たちはみな彼を憐れにお思いだったが、ポセイドンだけはちがって、前々から、神にもひとしいオデュッセウスが自分の故国(くに)へ帰り着くというのを、ひどく憤慨していられた。
 ところがちょうどこのおりにはその神さまが、遠いところに住んでいるアイティオペス族のところへ出かけてご不在だった。このアイティオペス(エチオピア人)というのは、人間界のいちばんはてに住まっていた。二手(ふたて)にわかれ、一手は太陽の沈む西のはてに、もう一手は日の昇る東のはてにである。その国へと、牡牛だの仔羊だのの大贄(おおにえ)まつりに与(あずか)られようとて(ゆかれたのである)。
 そこでポセイドンは、ともかく饗応の座について喜んでいた。その際にである、他の神々は、オリュンポスなるゼウス(大神)の館(やかた)に集まっておいでだったが、まずはじめに、人間どもと神々との御父である(ゼウス神)がみなに向かって相談の緒口(いとぐち)をお切りだった。というのも、お胸の中で、雄々しいアイギストスのことを思い出されたので。その男を、アガメムノンの息子で、遠近に名の聞こえたオレステス〔父の遠征留守中に母クリュタイムネストレがアイギストスの誘惑に負けて密通、父王凱旋の日にこれを殺害した〕が、このあいだ殺したものだったが、そのことを思い合わせ、不死である神々のあいだに立ってこういいつがれた、
「やれやれ、まったくどういうわけで、人間どもは、神々に責めを着せるのだろうか。禍(わざわ)いというのはみな、私らがもとで起こるというのだから。ところが事実は、自分自身の道に外(はず)れたおこないのため、定めをこえて、痛い目を見るのが常なのだ。
 現にいまだってアイギストスは、アトレウスの子(アガメムノン)の正嫡の妻(クリュタイムネストレ)と通じて、彼が(トロイアから)帰国したところを殺害におよんだ、それもたちまち身の破滅を招くと知りながらだ。まえもって私らが、あの立派な見張り人、アルゴスの殺害者である〔ヘルメス神のよく用いられる異称〕へルメスを使節に立て、戒めておいたことなのだから。アガメムノンを殺害するではない、またその妻を取ろうとしてはならぬ、と。
 なぜというと、(そんなことをすれば)たちまちアガメムノンの息子オレステスの手にかかって復讐を受けようから。(いまは幼く他国にいるが)、いまに大人になって、自分の故国(くに)にあこがれて帰って来るであろうからとな。こうヘルメスにいわせたのだが、私がせっかくよかれと慮(おもんぱか)って(いったのも)、アイギストスの迷った心を説得はできなかったのだ。そこで彼はいま何もかも一事(ひとこと)に、つぐないを果たしたというわけなのだ」
 それに向かって今度はきらめく眼(まなこ)のアテネ女神が言葉を返されるよう、
「まあ、私どもの父神の、クロノスの御子(ゼウス)さま、(あなたは)あらゆる統治者たちのうちにも最高のお方ですこと、ほんにまったく、あの男が破滅のむくいに殺されたのは当然ですわ、あのようなまねをする者は、みな同様な死にざまをするがいい。
 でもそれとは別に、私の胸は、あの心のさかしいオデュッセウスのうえを思うと、気の毒でたまりませんの、まったく不運な人ですわ、ほんとうに、身内の者どもからも遠くはなれて、潮の流れにとり囲まれた島にいて、つらい目にあっていようとは。大海の臍(ほぞ)(まん中)にあたる島ですもの。
 その島は木立ちにおおわれ、女神がそこに住居(すまい)している、あの呪わしい心をもったアトラスの娘がです。すべての海の奥底までも心得ていて、大地と大空とを引き離す長大なつっかえ柱を、自分ひとりでささえている、そのアトラスの娘のニンフが、あの不幸な男の、しきりに嘆き悲しんでるのを、引きとめているのです。
 そして優しく、すかし慰める言葉でもって、あの人がイタケのことを忘れるように、あやかしにかかっていますの。ところがオデュッセウスのほうは、一眼(ひとめ)でも、自分の故郷の地から煙が立ちのぼる様子(ようす)を見たいと思い焦(こ)がれて、いっそ死にたいと望んでいる有様です。
 それなのに、てんで心におかけもなさいませんの、オリュンポスにおいでのあなたは。それでは一度もオデュッセウスが、アルゴス勢の船陣のそばにいたとき、贅(にえ)まつりをして、ご機嫌をうかがわなかったとでもいうのでしょうか、あのひろいトロイアの里にいまして。どういうわけで、ゼウスさま、それほどまで彼にたいして憎しみをお持ちになりましたのです」
 それに答えて、雲を寄せ集めるゼウス神がいわれるよう、
「私の娘よ、なんという言葉が、そなたの歯並の垣根から、遁(のが)れ出て来たのか。どうして、それだといって、私がまあ神のようなオデュッセウスを、忘れられよう。あの男は、知恵分別でも諸人に立ち優り、不死である神々にたいしても、他人以上に犠牲をささげた、広大な天界をしろす神々へだ。しかし、大地をささえるポセイドン神が、始終頑固に、(息子の)キュクロプス(単眼(ひとつめ)巨人)のことでもって、ひどく憤慨しつづけているのだ、その眼を盲(めくら)にしたというかどでな。あの、あらゆるキュクロプスの中でも、いちばん力が強いという、神にもひとしいポリュペモスのことだが。
 その息子を生んだのは、ニンフのトオサといって、荒涼とした海原を治(おさ)めるポルキュス(老神)の娘だが、ひろびろとうつろになった洞窟にいて、ポセイドンに添寝(そいね)したもの。まったくそのことが因(もと)で、オデュッセウスを、大地を揺すぶるポセイドンが、殺しはしないものの、故郷の土地から遠いところを彷徨(うろつ)かせているわけなのだ。
 ともかくも、さあいまここで、私たちがみないっしょになり、なんとか彼を故国へ帰せるように、術策(てだて)を考えてやろうではないか。(そしたら)ポセイドンにしても、憤慨をやめることだろう、すべての不死なる神々に反対して、たったひとりで、諸神の意図に背(そむ)いてまで、抗争することは、とうていできまいからな」
 こういわれると、それに向かって、きらめく眼の女神アテネがお答えのよう、
「まあ、私どもの父神の、クロノスの御子(ゼウス)さま、あらゆる支配者の中でも最高の方、もしほんとうに、心のさかしいオデュッセウスが自分の家に帰ることが、いま幸福である神々のお気に入るというのでしたら、あの案内の神でアルゴスの殺害者というへルメス神を、オギュギエの島へゆくよううながすことにいたしましては。さっそくにも垂れ髪の美しい若い女神に、みなさまのまちがいないご意向を伝えてやるように。辛抱づよい心をもったオデュッセウスが帰国できるよう、帰らせるのが(神さま方のご決意だと)。
 いっぽう私はイタケ島へ出かけていって、彼の息子(テレマコス)を一段と激励し、胸の中の勇気をふるいたたせてやることにいたしましょう。頭髪を長くのばしたアカイア人らを会議に呼び集め、求婚者たち全体に、禁止を申しわたす勇気をです。あの連中は、しょっちゅう彼の羊や、足をくねらせる牛どもを、何匹となく殺しつづけているのですから。
 つづいて彼(息子)を、スパルテや砂丘のつづくピュロスヘ送ってやりましょう、愛する父親の帰国についてたずねさせに。もしひょっとして何か(父の噂(うわさ)を)聞けようかも知れませぬから、また彼が世間でもって立派な評判をかち得ることができますように」
 こういい終わると、足もとに美しい軽鞋(あさぐつ)の、神々しく黄金づくりのを結びつけられた。その軽鞋は、みづく潮路も、際涯(さいはて)のない陸地も、ひとしく風の息吹につれて、女神を運んでゆくものだった。

……第一章 冒頭より


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