「O・ヘンリー短編集(1)」

O・ヘンリー作・大久保博訳

ドットブック版 219KB/テキストファイル 123KB

400円

ニューヨークの市井に生きる人たちの喜怒哀楽をあくまでも温かく、巧みに切り取ってみせた短編の名手の代表作。「ハーグレイヴズの本心」「運命の道」「自動車が待っているあいだに」「二十年後」「ある忙しい株式仲買人のロマンス」「魔女たちのパン」など11編を、O・ヘンリーを愛してやまない大久保博氏の丹精をこめた改訳で。
立ち読みフロア
 わたしは多くの道を放浪(さまよ)いながら
 将来あるべきものを探し求める
 真実の 強い心と そこにひそむ輝く愛……
 この二つこそわたしの努力を援(たす)けて
 わたしの運命を定め あるときは避け あるときは支配し
 あるときは形づくってくれるものではないのだろうか?
     (ダヴィッド・ミニョの未発表の詩より)

 歌は終わった。歌詞はダヴィッドの作ったもので、曲はこの地方のものであった。居酒屋(いざかや)のテーブルを囲んでいた連中は、心からの拍手を送った。というのも、この若い詩人がみんなに酒をふるまってくれたからである。ただひとり、公証人(こうしょうにん)のパピノー氏だけは、この歌詞をきいて少しばかり首を横にふった。彼はなかなかの読書家であったし、ほかの連中のようには酔っていなかったからである。
 ダヴィッドは村の通りへ出ていった。すると夜の大気が酒の霧(きり)を頭から追いちらした。そして、ふと記憶がよみがえってきて、自分とイヴォンヌとが昼間けんかをしたことや、その夜家を飛び出し、外の広い世界に名声や名誉を探し求めに行こうと決心したことなどが、頭にうかんできた。
 「おれの詩がみんなの口にのぼるようになれば」と彼はすっかり浮きうきした気分になってつぶやいた。「彼女だってきっと、今日言ったあんなひどい言葉を考えなおすようになるだろう」
 居酒屋にいる騒々しい連中をのぞけば、この村の人々はもうみんな寝静まっていた。ダヴィッドは父の家の家畜小屋の中にある自分の部屋にそっと忍びこむと、わずかばかりの衣類をひと包みにした。その包みを棒の先にひっかけると、ヴェルノアから遠ざかってゆく街道筋に顔をむけた。
 彼は、柵(さく)に入れられて眠っている父の羊の群れのそばを通った……彼が毎日世話をやき、野原に連れ出しては、紙きれに詩を書いているあいだ、草を喰わせてやっていたあの羊である。
 目をやると、明かりがひとつ、まだイヴォンヌの窓にともっていた。すると気弱さがとつぜん彼の決心をぐらつかせた。きっとあの明かりは、彼女が眠れずに昼間の腹立ちを後悔しているためなのだろう、朝になったら恐らく……。いや、いけない! もう決心したんだ。ヴェルノアはおれなんかの住む所じゃあない。ここの人間は一人だっておれの気持ちがわかっちゃくれないんだ。あの道の遥(はる)か彼方に、おれの運命とおれの未来とがあるんだ。
 ほの暗い、月の光に照らされた平野を突っ切って、十五キロほど道はのびていた。それは農夫の耕した畦(あぜ)のようにまっすぐだった。村の人たちは、この道が少なくともパリまではのびていると信じていた。だから、このパリという名をこの詩人は歩きながら何度も口の中でつぶやいた。ヴェルノアからそんな遠いところまでダヴィッドは一度も旅したことがなかったのである。

……《運命の道》より  


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