「岡っ引どぶ(1)」

柴田錬三郎作

ドットブック版 192KB/テキストファイル 105KB

300円

柴錬痛快捕物帖登場! 「どぶ」とは、どんなやつなのか?…《まずい面である。極端に目が小さい。鼻孔がひらいているし、口も大きかった。頤(おとがい)が張り出していて、ちょうど将棋の駒のかたちをしている。しかし、どことなく憎めない、むしろ愛敬のある顔だちではある。着たきり雀のよれよれの唐桟留(とうざんどめ)は、冬でも夏でも、これ一枚で通している無精さで、入る金は、ことごとく酒と女に費されてしまっているあんばい…盛り場とか岡場所とか内緒の博奕場とか私娼窟(ししょうくつ)などをまわって、顔をきかせて、いくばくかのひねり銭を取って暮らす》…こんな「どぶ」が、抜群の推理力を持つ盲目の与力、町小路左門と組んで次々に起こる奇怪な事件を見事に解決していく。本巻には2話を収録。

柴田錬三郎(1917〜78)岡山県生まれ。慶大支那文学科卒。在学中から「三田文学」に作品を発表しはじめ、「イエスの裔」で直木賞受賞。「眠狂四郎無頼控」で一躍、時代小説の第一人者、人気作家となった。代表作には「剣は知っていた」「赤い影法師」「柴錬立川文庫」の連作などがある。

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 五月の鯉が、晴れた空にひるがえっている午(ひる)さがり――。
 吉原堤を吹く風は、もう夏のものであった。
 廓(くるわ)から出て来た客が、ふところ手で、ゆっくりと歩いて行く。
 小肥(ぶと)りで、頸(くび)も短いが、つけているものは、いかにも通客である。丹後縞(たんごじま)の小袖(そで)を着流し、裾(すそ)がひるがえるたびに、艶(えん)な紅絹(もみ)がちらつく。腰には脇差を一本だけさしているが、坊主である。それに、宗匠頭巾(ずきん)をかぶっている。
 しぶいのどをきかせて行くのだが、文句もいい。
  夕化粧
  むかう鏡に、面(おも)やせて
  恋に心も乱れ髪
  むすぼれかかるおくれ毛は
  アレ
  青柳の雨沿いて
  夜風にゆらぐ水の月
 この美声をきいて、編笠茶屋のひとつから、親爺が、ひょいと顔をのぞけた。
「河内山の旦那、お寄んなさいまし」
 と呼びかけて、ふと、そのうしろに、つけて来ている五、六人の男たちを一瞥(いちべつ)して、眉をしかめた。
 いずれも、ひと癖もふた癖もある面(つら)がまえの男たちばかりであった。
「旦那――どうなすったので? 附(つけ)馬にしちゃ、頭数がそろっていますね」
「はは……、まさに、その通り――」
 お数寄屋坊主河内山宗俊は、いかにも屈託なさそうに、高い笑い声をたてた。
「奉行所には犬、吉原には馬、妾(しょう)宅には猫――と相場がきまっている、と思っていたが、当節万事セチがらくなると、飼うものもちがって来たな。吉原に、馬のほかに、狼まで飼っているとは、今日まで、少しも知らなんだ。どうだ、親爺、見るがいい。どの面を見ても、人を二人や三人、殺しているだろう」
 河内山宗俊は、ずけずけと云った。
 男たちは、むすっとして、目を光らせているばかりである。
 尤(もっと)も、対手が、名だたるお数寄屋坊主なので、表面ではさからえないことである。
「河内山の旦那ともあろうお方が、廓の中で、まさか、イカサマ博奕(ばくち)をおやんなさったわけでもございますまい」
「はは……、イカサマ博奕よりも、もっと悪いことをやってのけてな、それが、ばれた。《すまき》にされるどころか、この首があぶない」
 河内山は、扇子で、頸根(くびね)をポンとたたいてから、
「ところで、《どぶ》を見かけなかったか?」
 と、たずねた。
「へえ、ここ二、三日、見かけて居りませんが……、馬道あたりで、とぐろをまいているのじゃございますまいか」
「ふむ」
 河内山は、首をかしげた。
「いまの時刻じゃ、湯屋の二階にいるかな。ま――行ってみよう」
 河内山は、その《どぶ》というあだ名の男に、会わなければ、本当に、生命があぶないのであった。



 河内山宗俊は、馬道に足をはこぶと、とある湯屋に入った。
 当時、湯屋の二階は、楽隠居や遊び人や休み日のお店(たな)者などの、ひまつぶしの場所であった。
 舟宿などは高いので、ここで、あいびきをする者たちもいた。
 茶菓子も出たし、将棋盤も置いてあった。
 河内山は、二階に、岡っ引の《どぶ》がいることをたしかめると、すぐには、階段をのぼって行かずに、湯につかった。
 おもてに、生命(いのち)知らずの《やくざ》を待たせておいて、平然として、湯煙りの中で、流行(はやり)歌を口ずさむところは、いかにも、河内山らしかった。
 やがて、二階にあがった河内山は、片隅の壁ぎわに、むこう向きに手枕で寝そべっている男をみとめて、近づいた。
「おい――、起きてもらおう」
 河内山は、腰を足で小突いた。
 男は、やおら、起きあがると、両手をさしのべて、大きなあくびをした。
 まずい面である。
 極端に目が小さい。鼻孔がひらいているし、口も大きかった。頤(おとがい)が張り出していて、恰度(ちょうど)将棋の駒のかたちをしている。
 しかし、どことなく憎めない、むしろ愛敬のある顔だちではある。すくなくとも、河内山がつれて来た《やくざ》どもの悪党面とは、一線を劃(かく)している。
 着たきり雀のよれよれの唐桟留(とうざんどめ)は、冬でも夏でも、これ一枚で通している無精さで、入る金は、ことごとく酒と女に費されてしまっているあんばいである。
 腰に、十手をさしていなければ、これは、この湯屋でお断りの浮浪者である。
 ところで、その十手だが、普通の十手とは、すこしちがっている。長さが五寸ばかり長かったし、太さも倍はあろう。
 自分で勝手に作ったしろものである。
 一時代前ならば、こういうでたらめは許されなかったであろうが、天保も十年経(た)った今日、一年にたった二分のすて金しか呉れてやらぬ岡っ引に御用ききをさせるには、規則ずくめでしばるわけにはいかなくなっている。
 下女の給金でさえ、一年三両にはねあがっている時世であった。
 たった二分では、ものの十日もくらせる道理がないのである。
 盛り場とか岡場所とか内緒の博奕場とか私娼窟(ししょうくつ)などを巡(まわ)って、顔をきかせて、いくばくかのひねり銭を取って暮らすのが、しがない岡っ引稼業(かぎょう)であった。
 しち面倒な規則を押しつけられれば、当節、岡っ引のなり手はなくなってしまうのだ。
 それに、また――。
 去年、町奉行に、遠山左衛門尉景元が、就いてから、この《どぶ》のような殆(ほとん)ど《ごろつき》の岡っ引の方が、かえって役に立つ、と重宝がられるようになったのである。

……「第一話 名刀因果」冒頭より


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