「岡っ引どぶ(3)」

柴田錬三郎作

ドットブック版 366KB/テキストファイル 291KB

600円

柴錬痛快捕物帖第3弾! 本巻には第四話「火焔小町」、第五話「御殿女中」、第六話「京洛殺人図絵」の3編を収めた。

柴田錬三郎(1917〜78)岡山県生まれ。慶大支那文学科卒。在学中から「三田文学」に作品を発表しはじめ、「イエスの裔」で直木賞受賞。「眠狂四郎無頼控」で一躍、時代小説の第一人者、人気作家となった。代表作には「剣は知っていた」「赤い影法師」「柴錬立川文庫」の連作などがある。
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第四話 火焔小町



「うっ! さむい。骨の髄(ずい)まで、こたえやがる」
 胴ぶるいして、どぶは、大声をあげた。
 ここは、深川木場の材木置場。
 つなぎあわせた筏(いかだ)の上へ、腰を下(おろ)して、夜釣りをやっているのであった。
 師走に入(はい)って、もう十日――数日前には、小雪もちらついた。
 べつに、酔興(すいきょう)に思いたって、夜釣りをしているわけではない。町小路家の正月の雑煮の《だし》用に、寒はぜを釣ってやる、とお小夜にうっかり約束したのが、運のつきであった。
 今日午后、町小路家へ顔を出すと、お小夜は、まるで、どぶがやって来るのを見通していたように、夜釣り道具に、酒と肴(さかな)を添えて、
「はい、親分、お願い申します」
 と、さし出したのである。
 どぶが、
「吉原の朝がえりに、酔いざめのひと釣りとしゃれてえんだが……」と、ぐずると、お小夜は、笑いながら、
「夜釣りのために、殿様が、この南蛮(なんばん)渡りの燭台(しょくだい)を出して下さいました」
 と、示した。黄銅でつくられた四角な照明具であった。
「カンデヤ、というのですって。はぜが、この灯を慕うて寄って参ります」
 そう云われては、腰を上げざるを得なかった。
 風のない、おだやかな宵であったが、陽(ひ)が落ちて、半刻(とき)も経つと、しんしんと寒気が、おしつつんで来る。
 酔いは、さっぱり、四肢(し)にまでめぐらないのであった。
「これで、風邪(かぜ)をひき込んでも、看病してくれる女はいねえのだから、なさけねえ」
 自分の家さえ持たぬ男であるから、寝込むことがいちばん禁物である。
「は、はっ、はっくしょい!」
 大きなくしゃみをしてから、どぶは、またひとつ胴ぶるいした。
 とたんに、ぞくっと、背すじを悪寒(おかん)が、匍(は)った。
 ひろい材木置場に、他に釣人の影はなかった。
 昏(く)れがた、どぶが現れた時には、数人いたのだが、いつの間にか、去ってしまっていた。
《あたり》が来て、また一尾、釣りあげたどぶは、
「これで、十尾か。十尾ありゃ、《だし》になるだろう」
 自分に云いきかせて、なまぐさくなった手を洗おうと、身を跼(かが)めた。
 と――。
 その指さきに、藻(も)のようなものが、ひっかかった。
 つかんで、ひきあげてみると、それは、人間の頭髪であった。
 筏(いかだ)の下に、土左衛門がいたのだ。
「ちょっ! どうも、ただの悪寒じゃねえと思ったぜ」

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