「オリヴァ・トゥイスト」(下)

ディケンズ/北川悌二訳

ドットブック 606KB/テキストファイル 195KB

500円

オリヴァのたどりついた19世紀ヴィクトリア朝時代のロンドンは、あらゆる悪徳のはびこる貧民窟の一画だった。しかもオリヴァが紹介されたユダヤ人の老人はスリ一味の首領だった! オリヴァはたちまち一団に引きずり込まれて、「仕事」の手ほどきを受ける…ホラー、犯罪小説、ミステリ、メロドラマが渾然一体となって、社会の暗部に生きる人物が躍動するディケンズの代表作。
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「どなたですか?」手でろうそくの光をかくしながら、鎖をはずして扉を少し開け、外をのぞきながら、ブリトルズはたずねた。
「戸を開けてくれ」外の男は答えた。「今日(きょう)呼ばれた警察(さつ)の者だ」
 この言葉でうれしくなってしまったブリトルズが戸を大開きに開くと、そこには外套(がいとう)を着込んだ太った男が立っていて、なにもいわずにズカズカと家にはいりこみ、まるで自分がこの家の主(ぬし)といったふうに落ち着きはらって、靴のほこりをぬぐいはじめた。
「若いの、仲間を助けに、ちょっとだれかをやってくれないか?」刑事はいった。「彼は馬の世話を見て、二輪馬車の中にいるよ。五分か十分のあいだ、馬車を入れる小屋がここにはないのかね?」
 ブリトルズは、あると答え、その建物をさしたので、太った男は庭の門のところまでもどり、その仲間が二輪馬車を入れるのを手伝い、ブリトルズは、すごく驚嘆した模様で、彼らを燈(あか)りで案内してやった。これが終わると、彼らは家にもどり、客間にはいってから、外套(がいとう)と帽子を脱ぎすてて、彼ら本来の姿を示した。
 戸をノックした男は中背の太った人物、五十くらいで、テラテラしたかなり短く刈った黒い髪、半頬髯(ほおひげ)、丸い顔、鋭いまなざしをもった男だった。もう一人は、長靴をはいた赤毛の骨ばった男、顔はそうとう醜悪で、無気味に鼻をツンとそらせていた。
「ブラザーズとダフがきた、と主人に伝えてくれんかね?」髪をなでつけ、テーブルの上に一対の手錠をおいて、太った男がいった。「おお、ご主人、今晩は! よろしかったら、内々にそちらと話ができますかね?」
 これは、そのときに姿をあらわしたロスバーン氏にかけた言葉だったが、この紳士はブリトルズに、部屋を出てゆけ、と身ぶりをし、二人の婦人を引き入れて、扉を閉めた。
「こちらがこの家の女主人公です」メイリー夫人を身ぶりでさして、ロスバーン氏はいった。
 ブラザーズ氏はお辞儀をした。お坐りください、といわれて、彼は帽子を床におき、椅子に腰をおろして、ダフに、同じことをやれ、と身ぶりで合図した。このあとの紳士は、上流社会にあまり馴れていないのか、そこであまりくつろげないようすで――そのいずれかにちがいないのだが――何回か手足の筋肉を苦しそうにムズムズさせてから、坐りこみ、多少狼狽(ろうばい)気味に、ステッキの頭をむりやり口の中に押しこんだ。
「さて、今度の泥棒についてですが」ブラザーズはいった、「いったいどんな事情だったんでしょう」
 時をかせごうとしているらしいロスバーン氏は、それをながながと、まわり道をして語りたてた。ブラザーズ氏とダフ氏は、そのあいだ、いかにも物知り顔をし、ときどきうなずき合っていた。
「もちろん、手口を見るまでは、はっきりとしたことは申せませんがね」ブラザーズはいった。「だが、わしの直感は――この程度までは申してかまわんと思いますが――これはヨーケルの仕業ではないということです、なあ、ダフ?」
「たしかに、そうですな」ダフは答えた。
「ご婦人がたのためにヨーケルという言葉を翻訳すれば、きみのいわれる意味は、この仕業はいなか者のやったことじゃない、ということですな?」にっこりして、ロスバーン氏はいった。
「そうです」ブラザーズは答えた。「この侵入事件についてのお話は、それだけですな?」
「そうです」医者は答えた。
「ところで、召使いたちが話してる少年のことですが、それは何者です?」
「べつにどうということもありません」医者は答えた。「おびえた召使いの一人が、この少年のことを今度の家宅侵入事件に関係ありと考えたまでのことで、まったくバカげたこと――根も葉もないことです」
「もしそうだとすれば、この少年をじつに簡単に片づけたことになりますな」ダフがいった。
「同感です」いかにもそうだといわんばかりに頭をうなずかせ、手錠をカスタネットのように無造作(むぞうさ)にもてあそびながら、ブラザーズはいった。「その少年は何者です? 自分のことをどんなふうに述べてるんです? その子はどこからきたんです? まさか、雲から舞いおりてきたわけでもないでしょう。どうです?」
「もちろん、そうではありませんとも」神経質に二人の婦人をチラリとながめながら、医者は答えた。「子供の経歴のことは、このわたしがぜんぶ心得ていますが、そのことはいずれすぐお話しすることにしましょう。それよりまず第一に、盗賊が侵入をくわだてた場所をごらんになりたいでしょう!」
「もちろんです」ブラザーズ氏は答えた。「われわれは根拠となる事実をまず調査し、そのあとで召使いを訊問します。それが常道ですからな」

……《
三十一 危機一髪の場面》より


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