「女の一生」

モーパッサン/木村庄三郎訳

ドットブック版 240KB/テキストファイル 204KB

600円

修道院で教育をうけた清純な少女ジャンヌの夢は幸福な結婚生活であった。だが、その夢は無残に裏切られる。彼女はつぎに息子に希望を託す。だが息子も彼女を裏切る。苦闘に満ちたジャンヌの暮らしに浮かび上がる「女の一生」。現代でも古びないモーパッサンの最高傑作。

ギィ・ド・モーパッサン(1850〜93)フランスを代表する自然主義作家。「脂肪の塊」で一躍注目され、矢継ぎ早に多数の作品を生み出した。「女の一生」「ベラミ」「ピエールとジャン」など多数の小説以外にも旅行記、詩集、短編など。後年発狂し、精神病院で死去した。

立ち読みフロア
 旅の支度はととのった。ジャンヌは、また窓のところに行ってみた。雨はいっこう、やみそうもなかった。
 夜っぴて、どしゃ降りの雨が窓ガラスや屋根をたたいていた。いっぱいに水をふくんだ低い空は、まるで底が抜けてしまったかのよう、あらんかぎりの水を地上にぶちまけている。地面は粥(かゆ)のように、砂糖のように、どろどろに溶けている。重苦しい熱気をおびた突風が走り過ぎて行く。人っ子ひとり通らない往来には、溝(みぞ)からあふれた水の音ばかりが高い。家々は海綿のように湿気を吸いこんで、穴倉から屋根裏部屋まで、壁はしっとり汗をかいている。
 ジャンヌは、きのう修道院の寄宿舎を出てきたばかり。ついに永遠の自由! 長いあいだ、あこがれていたこの世のあらゆる仕合わせを、いまこそ楽しむことができるのだ。――雨があがらなければ、父は出発を見合わせるかもしれない。それが心配で、彼女は朝から何度も窓に立ち、空ばかり眺めているのであった。
 ふと、トランクの中にカレンダーを入れ忘れたことに気がつくと、彼女は壁から一枚の小さな厚紙をはずした。月割りにした暦(こよみ)で、図案の真ん中に金文字で――1819――ことしの年号が刷(す)ってある。暦には、その日その日の聖者の名前も刷ってある。彼女は鉛筆で、最初の四月(よつき)に線を引くと、きのう、五月二日、修道院の寄宿舎を出た日までの聖者の名前も消した。
「ジャネット!」
 ドアの向こうで声がした。
「どうぞ、おとうさま」
 父が現れた。
 男爵、シモン・ジャック・ペルチュイ・デ・ヴォーは一本気の好人物、前世紀の貴族である。ジャン・ジャック・ルソーの大の信者で、自然を、野や森や動物を、恋人のやさしさで愛している。
 生まれながらの貴族である彼は、本能的に「九十三年」〔ルイ十六世の処刑の年〕をのろっていた。が、気分的な啓蒙(けいもう)主義者として、教育からくる自由主義者として、専制君主政治〔王政復古。ルイ十八世時代〕に対しては一種の敵意をいだいていた。口先ばかりで、毒にも薬にもならない敵意である。
 善良さ、それこそ彼の非常な長所であると同時に非常な短所でもあった。愛し、与え、抱く腕を持たない善意。行き当たりばったりで手ごたえのない、いわば造物主のような善意。その善意は、言いかえれば気力の麻痺(まひ)であり、行動力の欠陥であり、むしろ悪徳に近いものであった。
 理論家らしく、彼は娘の教育に関しては一定の方針を立てていた。幸福で善良な、正直で貞淑な女に育てたい、それが彼の念願であった。
 娘は十二の年まで家庭におかれ、それから母親の悲嘆にもかかわらず、サクレ・クール修道院の寄宿舎に入れられた。
 世間から知られず、世間をも知らないようにして、彼は娘をそこにきびしく閉じ込めておいた。彼の考えでは、十七になったら清浄無垢(むく)のまま手もとに引き取り、そのうえで彼自身、手ずから彼女を健全な詩の浴槽、とでもいうべきものに浸(ひた)すつもりであった。すなわち実り豊かな土地で田園生活を送らせる。そして自然な愛のすがたを、動物たちの素朴な愛情を、生命の純粋な法則を目(ま)のあたり見せることによって、娘の魂を目覚めさせ、その無知を啓(ひら)いてやる。
 ところで、いまや彼女は若さにあふれ、幸福の欲求にみちみちて、輝くばかりになって帰ってきたのだ。修道院での、あの徒然(つれづれ)な日々、眠れぬ夜な夜な、胸のみ踊る孤独の中で、彼女はなんとさまざまな幸運を、よろこばしい偶然を、夢みたことだろう! その幸運を、その偶然を、いまこそ彼女は目前にしているのだ。
 彼女は、さながらヴェロネーゼ〔一五二八〜八八。イタリアの画家〕のえがいた肖像画を思わせた。輝くブロンド、肌(はだ)に照り映えるようなブロンドだ。肌は、いかにも貴族の令嬢のそれらしく、ほのかにバラ色をおび、陽に透(す)けるとそれとわかるビロードのような産毛(うぶげ)におおわれている。目は青い。オランダの陶器人形の目の青だ。


……冒頭より

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***