「コンティネンタル・オプ」

ダシール・ハメット/砧一郎訳

ドットブック版 213KB/テキストファイル 179KB

500円

コンティネンタル探偵社の名なしの探偵「私」(コンティネンタル・オプ)が活躍する諸編は、アクションとサスペンス、謎解きが一体となった胸のすくエンターテイメント世界。背景をなすのは大都市サンフランシスコとその近辺、リヴォルヴァーと車と荒々しい人間と山野だ。この巻には「シナ人の死」「メインの死」など5編を収録してある。

ダシール・ハメット(1894〜1961) 13歳で学校を離れ多くの下積みの職を転々としたあと、サンフランシスコのピンカートン探偵社にはいる。その経験をいかしてパルプ・マガジンに次々と短編を発表、「赤い収穫」「デイン家の呪い」でデビューし、「マルタの鷹」で最高のハードボイルド探偵小説作家としての地位を不動のものにした。

立ち読みフロア

「昨夜、ティールが殺《や》られたんだがね」おやじ《オールドマン》――コンティネンタル探偵社のサンフランシスコ支社長――は、ぼくの顔を見ずに、口をうごかした。その声は、顔の微笑とおなじように、おだやかだったし、心のなかの煮えくりかえるばかりの感情の混乱を、それと知らせる徴候《しるし》は、どこにもなかった。
 ぼくが、おち着きはらって、おやじの次のことばを待っていたとしても、それは、そのニューズが、ぼくには関係のないよそごとだったからではなかった。ぼくは、ボブ・ティールがすきだった――だれもがそうだった。二年前に、カレッジを出たばかりのほやほやの新人として、社にはいってきた男だった。生れながらに一流の探偵の素質をそなえた人間というものがあるとすれば、そのすらりとやせた、肩幅の広いやつこそは、そんな人間だった。二年といえば、探偵術の第一課を身につけるにも足りない年月なのだが、眼のすばしこい、神経の冷静な、頭のバランスのとれた、仕事には精根を打ちこむボブ・ティールは、早くも、ひとかどの専門家になりかけていた。ぼくは、自分が、やつの手ほどきのほとんどをしてやったこともあって、父親らしいといっていいほどの関心を、やつによせていたのだった。
 おやじ《オールドマン》はあいかわらず、ぼくの顔から眼をそらせたまま、ことばをつづけた。肘の先にあるあけっぱなした窓にむかってしゃべる恰好だった。
「三二口径で、二度、心臓のまんなかを射ちぬかれたんだ。昨夜十時ごろに、ハイド街とエディ街との角の空地に立ちならぶ看板のうしろで、射たれたんだがね。死体は、十一時をすこしまわったじぶんに、パトロールの警官に発見された。ピストルは、十五フィートばかりはなれたところにあった。ぼくは、自分で見に行って、そのへんをしらべた。昨夜の雨が、地面にあったかもしれない手がかりを、のこらず洗い流してしまっていたが、ティールの着衣の模様とか、発見された位置などから、まずまず、乱闘の様子はなく、また、あとからそこへはこばれたのでもなく、発見された地点で射たれたようだった。倒れていたのは看板のうしろ、歩道から三十フィートほどはなれたあたりだった。手には、なにももっていなかった。ピストルは、上衣の胸に焼け焦げのできるほどの至近距離から、発射されている。ピストルの発射を見たりきいたりした人間は、一人もいないらしい。雨と風がはげしかったから、街には出あるく人間もなく、三二口径の、どっちみち格別大きいわけでもない発射音が、かき消されてしまったのだろう」
 おやじの鉛筆が、コツコツと、デスクをたたきはじめた。その静かなひびきが、かえって、ぼくの神経を、いらだたせた。やがて、その音もやんで、おやじは、話をすすめた。
「ティールは、ハーバート・ホウィッタカーという相手を尾けていた――その日が三日目だった。ホウィッタカーは、農地開発を業とするオグバーン・アンド・ホウィッタカー商会の共同経営者の一人だった。その商会は、ほうぼうの新灌漑地区に、広大な土地の権利をもっていた。オグバーンが、販売のほうを受けもち、ホウィッタカーは、それ以外の会計もふくめた仕事を、引き受けていた。
 先週、オグバーンは、自分の相棒が帳簿をごまかしているのを見つけだした。帳簿には、土地の代金支払いが幾項目か記入してあったが、しらべてみると、その支払いは、実際には行われていなかった。ホウィッタカーの詐取した金額は、十五万ドルから三十五万ドルのあいだと見つもられた。オグバーンは、三日前に、わしをたずねてきて、そのことを打ちあけ、ホウィッタカーが、ごまかし金で、なにをやっているのか、それをつきとめるために、本人を尾行してもらいたいと頼んだ。商会としては、まだ共同経営のたて前になっているのだから、経営者の一人が、相手を、詐取のかどで訴えることはむろんできない。したがって、オグバーンは、相棒を逮捕するわけには行かないのだが、詐取された現金の所在をつきとめ、行政処分でとりもどすことを望んだのだ。また、ホウィッタカーが行方をくらますかもしれないともあやうんでいた。
 わしは、ティールに、ホウィッタカーを尾けさせた。当人は、自分が、相棒に疑ぐられているとは、気がついていないはずだった。そこで、こんどは、君に、ホウィッタカーをさがしだしてもらいたいのだ。わしは、たとえ、いっさいのおきまり仕事をうっちゃらかして、ありったけの人間を、一年のあいだ、そっくり注ぎこんででも、その人間を見つけだし、法廷にひきずりだしてやるつもりでいる。ティールの報告書は、係にいって出してもらいたまえ。わしには、連絡をおこたらないように頼む」
 これだけの話も、おやじ《オールドマン》の口からきけば、そこらの人間が血で書いた誓書どころではない、真実のひびきがこもっていた。

……「だれがボブ・ティールを殺したか」より

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