「男の切れ味」(下)

小堺昭三著

ドットブック版 139KB/テキストファイル 46KB

300円

先の見えない時代に、男はいつ、どこで、どんな形で、自分の「切れ味」を発揮すればいいのか。時代と四つに組んだ稀代の切れ者たちの生きざまを描いたノンフィクション。副題「男論…先見力・着眼力・行動力の研究」。昭和を駆け抜けた作家、小堺昭三が、本巻では、「空の宮本武蔵」の加藤健夫(かとう・たてお)、阪急の創業者小林一三(こばやし・いちぞう)、野村證券の帝王学を切る!

小堺昭三(1927〜95) 福岡県大牟田市生まれ。株式新聞社に勤めたあと、火野葦平に師事して作家をめざす。1961年に「基地」が芥川賞候補作に、同年「自分の中の他人」が直木賞候補にもなった。梶山季之の推薦で「週刊文春」のルポライターに転進。以後取材記者としての経験を生かしたノンフィクション小説に取り組む。 代表作は「けむりの牙」「西武VS東急戦国史」「明治の怪物経営者たち」「カメラマンの昭和史」など。

立ち読みフロア

加藤建夫(たてお)
……無類のチームワークを誇る世界屈指の戦闘機隊を生んだ「空の宮本武蔵」

瀬島龍三に匹敵する男

 第二次大戦中、南方戦線で勇名を轟かせた加藤「隼(はやぶさ)」戦隊は、華北上空において中国軍機を撃墜し初陣を飾って(昭和十二年九月)以来、英軍爆撃機ブレニムを追撃中に被弾した加藤建夫隊長がベンガル湾上空で戦死する(十七年五月)までの四年半に、合計二七一機の敵機を屠(ほふ)っている。飛行機が兵器として活躍しはじめた第一次世界大戦この方、世界屈指の名戦闘機隊であった。
 三十九歳の加藤建夫中佐は「空の軍神」として二階級特進の少将となり、その陸軍葬は東京の築地本願寺において執行されている。
 その葬儀において「一に空中の報効を以て自己の天職となす」との弔辞を総理大臣東条英機が捧げており、南方方面軍最高指揮官の大将寺内寿一も「高邁ナル人格ト卓越セル指揮統帥オヨビ優秀ナル操縦技能」を感状のなかで賞讃している。加藤にはこの個人感状を含め、七度の感状が与えられている。陸軍史上唯一の例である。
 昭和十九年春、東宝映画が山本嘉次郎にメガホンをとらせて「加藤隼戦闘隊」を製作させた。加藤に扮した主演男優は藤田進。当時、九州の田舎の旧制中学生だったぼくは、この映画を教師に引率されて街の映画館へ観にいった記憶がある。単座戦闘機「隼」の雄姿に軍国少年のぼくらは無邪気に拍手、歓声をあげたものだった。
 それから約四十年の歳月が流れている。先日、ぼくはこの原稿を書くため小金井市に住んでおられる、未亡人の加藤田鶴さんを訪ねた。まだ茶畑などが残っている閑静な住宅地。彼女は七十二歳、敷居に三つ指をついて昔風に挨拶される。白髪の、お若いころはさぞかし美女であったと思われる気品のあるご婦人だった。
 加藤少将の部下であった檜与平氏(六十二歳)もみえ、快く取材に応じてくださった。右脚は義足である。加藤隊長の仇を討つべくビルマ上空で空中戦をやっているとき、敵弾に砕かれたのだそうだが、
「じつは、映画『加藤隼戦闘隊』の原作者はわたしでして、山本嘉次郎監督と旅館にこもって脚本にしたのです」
 と聞かされて、ぼくはすっかり感傷的な気分になってしまった。「隼」の雄姿に拍手喝采した軍国少年が、敗戦後の混乱期をくぐりぬけて四十年後に、軍神の未亡人や生き残りのパイロットに現実に会えたのだから、その胸中は複雑にならざるを得なかったのだ。
 檜氏(当時は中尉)は加藤隊長が戦死した五月二十二日の戦中日誌に、
「十四時三十分、敵爆撃機ヲ急追出撃セシ瞬間、国宝我等が部隊長加藤中佐ヲ失ヒタリ。何タルノ痛恨事ゾ。豈ニ戦隊ノ損失ノミナランヤ我国ノ損失言語ニ絶ス。此ノ部隊長ノ下ニ死ヲ誓ヒシ身、亦モ残ル。只此上ノ責務ハ軍神部隊長ノ任務必達ノ精神ニ生キンノミ」
 このように誌して滂沱の涙を流している。
 ぼくは、こんな質問からはじめた。
「もし、加藤少将が戦死しておられず、今日の社会でも活躍していておられたら、どんな人になっていたでしょうね」
 檜氏が明快に即答した。
「洞察力があって研究熱心で、責任感のつよいお方だったから……財界の瀬島龍三さんのような方になっておられるでしょうなあ」
「まあ……そのようなご立派なお方にはとてもとても。お恥ずかしゅうございます」
 そばで未亡人がしきりに謙遜される。
 改めて紹介するまでもなく瀬島氏は、巨大商社伊藤忠商事の首脳。陸軍幼年学校、陸軍士官学校出の加藤と同じく職業軍人。関東軍作戦参謀中佐のときに敗戦。シベリア抑留生活を経験して帰国後、伊藤忠に迎えられて才腕をふるい、土光敏夫経団連前会長とともに鈴木善幸内閣の行政改革問題を叱っている。明治四十四年生まれだから加藤田鶴さんと同年齢。
「……なるほど、瀬島龍三ねえ。現代に生きていて加藤さんも活躍してほしかったなあ」
 ぼくは自分に呟いていた。

……「加藤建夫」冒頭より

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