幸福手配師パーカー・パイン(1・2)」

アガサ・クリスティ/小西宏訳

(1)ドットブック 114KB/テキストファイル 76KB

(2)ドットブック 109KB/テキストファイル 71KB

各300円

「あなたは幸福ですか? 幸福でないかたは、 パーカー・パイン氏にご相談ください」と新聞に広告を出し、この通りの文句を入れた名刺を持ち歩くパーカー・パイン氏。だがこれは慈善事業ではなく、正真正銘のビジネスなのだ。さまざまな悩みを抱えた人物が訪れる。氏はたちどころに核心をつく質問をして、直ちに処方箋を見つけて提案する。これこれの金額でいついつまでにあなたを幸福にしてあげますと言い切るのである。むろん前金でいただく。だがもし失敗すれば返金しますと申し添える。氏は有能な専属スタッフを使って、直ちに「幸福を手配する」…氏は有能な素人探偵でもある。

第1巻収録作――「中年の人妻の事件」「不満な軍人の事件」「悩める淑女の事件」「不満な夫の事件」「ある会社員の事件」「金持の夫人の事件」「解説」

第2巻収録作――「ほしいものは全部手に入れましたか?」「バグダッドの門」「シラズの館」「高価な真珠」「ナイル河の死」「デルフォイの神託」「解説」

アガサ・クリスティ(1890〜1976)「ミステリの女王」の名を冠されたイギリスを代表するミステリ作家。ベルギー生まれの名探偵エルキュール・ポアロの登場する「 スタイルズ荘の怪事件」でデビュー。「ABC殺人事件」「三幕の殺人」「ハーゼルムアの殺人」など、ポアロもののほか、田舎住まいの詮索好きなおばあちゃんミス・マープルが登場するシリーズなど、膨大な作品を残した。

立ち読みフロア
 なぜ、ひとの帽子をそのままにしておいてくれんのだ、と怒った声でぶつぶついうと、びしゃんと戸がしまった。そしてパッキントン氏は八時四十五分発ロンドン行きの列車に乗るために出かけてしまった。パッキントン夫人は朝食のテーブルにすわったままだった。顔には血の気がさし、唇をきっと結んでいる。夫人が、わっと泣き伏さない理由は、最後の瞬間に、むらむらっと怒りがこみあげてきて、悲しみにとって代わったからだ。
「もう我慢ができない、できるもんですか!」そういうと、夫人はしばらく考えこんでいたが、やがてつぶやいた。「あばずれ。ずる賢い根性悪(こんじょうわる)の小娘のくせに! ジョージったら、どうして、あんなばかなまねをするんでしょう!」
 怒りがしだいにうすれて、悲しみがもどってきた。涙が目に浮かんで、中年のパッキントン夫人の頬をつたって流れ落ちた。
「もう我慢できないって、口でいってみたところでしようがないわ。いったい、どうしたらいいかしら?」
 急に夫人は孤独と無力感、痛切な悲哀を感じた。ゆっくりと新聞をとりあげると、さいぜんも目にした第一面の広告を読んだ。

 あなたは幸福ですか?
 幸福でないかたは、
 パーカー・パイン氏にご相談ください。
  リッチモンド街十七番地

「くだらないわ! ほんとに、くだらないわ」そういってからパッキントン夫人は、「でも、ちょっと行ってみるだけなら――」
 というわけで、パッキントン夫人は十一時に、多少いらいらしながら、パーカー・パイン氏の個人事務所に通されるしだいになったのである。
 いまも述べたように、パッキントン夫人はいらいらしていたが、パーカー・パイン氏と顔を合わせるや、一目で心の安らぎを覚えた。パイン氏はでぶ(ヽヽ)というほとではないが、大男だった。頭はいや味なく禿げあがり、度の強いめがねをかけた目は小さくキラキラ光っている。
「どうぞおかけください」といってから、「わたしの広告をごらんになって、おいでになったんですね」とパーカー・パイン氏は誘いの水を向けた。
「ええ」と答えて、パッキントン夫人は、そこで口をつぐんだ。
「すると、あなたはおしあわせじゃないんですな」パーカー・パイン氏は陽気な、こともなげな口調でいった。「幸福なひとは、きわめて稀れです。どんなに少ないものか、おわかりになったら、びっくりなさいますよ」
「そうですの?」と夫人は答えたが、他人が幸福であろうと、なかろうと、自分には関係ないことだ、という気がした。
「あなたには興味がおありにならんでしょう。しかし、わたしには非常に興味があるのです。なにしろわたしは、これまで三十五年間、官庁で統計を集めることに従事してきた人間です。いまでは退職しましたが、わたしが得た経験を新しい方法に使ったらどうかと、ふと思いついたのです。なに、きわめて簡単なことです。世の中の不幸は五大項目に分類できます。これ以上ではないことは断言してよろしい。疾病(しっぺい)の原因がわかりさえすれば、治療は不可能ではありません。わたしは、いわば医者のようなものです。医者はまず患者の病症を診断し、次に治療の方法を勧告します。どんな治療も役に立たない病症があります。そういう場合には、わたしは率直に処置なしと申しあげます。しかし、これだけは断言しますがね、パッキントン夫人、もしわたしが治療を引き受けたら、回復は保証されたも同然です」
 そんなことってあるかしら? これは冗談かしら? でも、ひょっとするとほんとうかもしれない。パッキントン夫人は希望をもってパイン氏の顔をみつめた。
「あなたの病気を診断しましょうか?」パーカー・パイン氏は微笑を浮かべた。そして椅子にもたれかかって指先を合わせた。「ご主人が悩みの種ですね。あなたとご主人はまずまず幸福な結婚生活を送ってこられた。ご主人は、きっと成功者なんでしょう。この病気には若い女性が関係していますね――たぶんご主人の事務所にいる若いお嬢さんが」


……「中年の人妻の事件」冒頭より


購入手続きへ( 


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***