「偽証するオウム」

E・S・ガードナー/宇野利泰訳

ドットブック版 282KB/テキストファイル 118KB

500円

その日の新聞は、億万長者セイビン殺害事件の記事で埋まっていた。物とりではなかった。札のつまった紙入れも宝石類も奪われていず、死体のかたわらには、彼がいつも身辺から離したことのない愛玩用のオウムが、すさまじい叫びをあげて人を呼んでいたという……。メイスンは、セイビンの息子チャールズの訪問を受ける。セイビンの莫大な遺産をめぐって、義母のヘレンと連れ子のスティーヴが何か策謀をめぐらしている。事件の真相を調査するとともに、二人の狙いを探りだして自分の権利を守ってほしいという。メイスンに、チャールズは二つの事実を打ち明けた。そのうちの一つは、死体のそばにいたオウムが、セイビンのかわいがっていたのとはちがうオウムであることだった……シリーズ初期の傑作。

アール・スタンリー・ガードナー(米、1889〜1970)鉱山技師の息子に生まれ、正統な教育は受けなかったが、のち法律に志し、21歳で弁護士事務所をカリフォルニアに開いた。22年間の刑事弁護士生活の経験を生かしてペリイ・メイスンものの処女作「ビロードの爪」を発表、見せ場の法廷場面とハードボイルド・タッチで一躍人気作家に。メイスンものだけでも80作にのぼる。レイモンド・バー主演のテレビのメイスン・シリーズは有名。

立ち読みフロア
第一章

 ペリイ・メイスンは見るからに不愉快そうな表情で、棚にずらりと並んだ書類綴(つづり)のひとつに目をやった。その厚紙の背表紙には、「重要書翰類、未返信分」と見出しがついていた。
 メイスン法律事務所の月曜日の朝――昨日一日の休養で、元気溢れるばかりになった秘書のデラ・ストリートは、メイスンの表情を見て、すぐにそれと察したらしく、洗濯したてのユニホームをつけたときの看護婦のように、はずんだ調子で、こう云った。
「お手紙でしたら、ご心配にならなくても大丈夫ですよ、先生。わたしがすっかり、処理しておきました。先生がお返事をお書きになるのは、あといくらも残っていません。その上のほうのだけでよろしいんですわ。あとはのこらず、わたしが片附けておきましたの」
「全部だって? それはいったい、どういう意味なんだね?」
「ええ」彼女は正直に云った。「いまさら、お返事を出すこともないくらい古いのが、たくさん残っておりましたの」
 メイスンは、一応ホッとした気分になったとみえて、回転椅子にふんぞりかえると、長い左右の足を組み合わせた。その姿勢になって、反対訊問で検察側の証人を手玉にとるときの、一流弁護士としての態度を取り戻すことができた。
「すると、ミス・ストリート。きみは今まででも、ときどきはあの未返信書翰綴(つづり)の整理をやっていてくれたのか?」
「ええ」
「九月十二日、月曜日――つまりは今朝も、相当多数の手紙類を、古いのから順々に処理してくれたというわけだね」
「そのとおりですわ」
 彼女は瞳を輝かして答えた。
「何通ぐらいあった?」
「十五通から二十通」
「いちいち返事を出したのかい?」
 彼女は微笑んだだけで、答えなかった。
「じゃあ、一体どうしたんだ?」
「ほかの綴込に移しましたの」
「なんの綴込だね?」
「処理済分のほうよ」
 メイスンは、肚(はら)の底から愉快そうに笑い出した。
「ここにもひとつ、人生の真理が見つかったね。最初は重要な書翰と思われたものも、時日が経過するとともに、その重要性は次第に失われて、ついには処理済分のほうに移し変えられる運命だ。そこでおれも、厄介な仕事から手を抜くことができるというものか……すべて人生においては、おそろしく重大だと思われる問題にしても、やがては色あせて、無造作に忘れ去ってさしつかえないような存在に変わるものだ。
 ちょうどあれとおなじだ。疾走する汽車の窓から眺める電信柱みたいなものだ。はじめのうちは大きく見えているが、だんだん背後に小さくなっていって、ついには消えてなくなるものさ……どんなに重大だと考えられているものだって、やがてはみな、そうした運命をたどることになるのさ」
 彼女は無邪気に、眼をみひらいて、
「先生、電柱はほんとうに小さくなるのでしょうか? それともただ、そう見えるだけのことなんですの?」
「バカだね、きみは。ただそう見えるだけにきまっているさ。離れれば小さく見えるものだ……そのあとに、ほかの電柱が現われて、その場所を占める。だから、きみはいつもおなじ大きさの電柱を見ていることになるんだ。しかし、きみが……いや、待った。きみの肚はわかったぞ。それの論理の誤謬(ごびゅう)が発見したいもので、わざとおれにしゃべらせているんだな。――くだらぬおしゃべりはやめて、まず仕事だ。さあ、はじめるぜ」
 彼は書類綴をあけて、弁護士一流のするどい眼で一瞥すると、そのなかの一通を抜いて、秘書の机の上に投げだした。
「これに返事を頼むよ。事件の依頼はお断りだといってね。報酬を倍もらってもいやだ。事件そのものは、しごく平凡な殺人なんだ。女が亭主に厭きがきて、ひどい女があるものじゃないか。六連発のピストルで、亭主のからだに弾を叩きこんだ。そうしておいて、警察の手前は、亭主が毎晩、酔っ払って帰ってきては虐待(ぎゃくたい)するので、ついカッとして、殺(や)ってしまったのだと、泣きわめいてみせたという寸法さ。これまで六年間も同棲しているのだから、いまさら酔っ払って帰ったところで、ちっともめずらしいことでもなんでもない。亭主に殺されるかも知れないなんて、そんな心配は、金輪際あるはずはないんだ。そんないいわけをいくら並べてみても、近所の連中の証言と合う見込みなんかありはしないのさ」
「お言葉のうち」と、デラ・ストリートは、冷静に、しかもテキパキと質問した。「どれだけを返事に書きこんだらよろしいでしょうか?」
「事件の依頼を断りさえすればいいのだ……おや、ここにも似たようなのがあるぞ。こいつはおどろいた。大衆にインチキ品を売りつけておいて、いざ捕まったとなると、おれに法律上、正当な営業行為だと立証させようとするんだよ」
 メイスンは書類綴をパタンと閉じると云った。
「困ったものだよ、デラ。はやく世間で、犯罪の容疑を受けた人々を擁護する弁護士と、犯罪の片棒をかつぐ弁護士とを、厳密に区別するようになってもらいたいもんだね」
「先生はどう区別なさいます?」
「犯罪は個人のしわざさ。だがその結果、証跡として残されたものは、客観的な存在だ。おれは弁護を依頼されても、被告が無罪だという確信を持つまでは事件をひき受けないことにしている。しかしだよ。いったんひき受けたからには、客観的な証拠をもとにして、警察が抽出した結論を検討して、そこに内在する矛盾を、かならず発見してみせる自信があるんだ」
 彼女は思わず、笑い出した。
「まるで先生は、弁護士より探偵みたいですわね」
「ちょっと待った。そのふたつは、ぜんぜん別個の職業なんだぜ。探偵の任務は、証拠を集めることにある。なにを、どこで、いかにして探しだすかに修練を積むんだ。弁護士はどうかというと、そうして集められた証拠を分析する。それを解決する。そうしているうちに、彼は次第に……」
 そのとき、デラの机上の電話機が、鳴りひびいた。彼女は、受話器をとり上げて話していたが、
「先生、チャールズ・セイビン氏にお会いになります? 重大な用件だそうです。報酬はいくらかかってもかまわないですって――」
「用件によりけりさ。殺人事件なら会ってもいい。財産担保の証書作成とか、そういった事務的なことならお断りする。報酬はいかほどいただいても、動く気はありませんといってくれ。……ちょっと待った。デラ、相手の名は?」
「セイビン――チャールズ・W・セイビン」
「その電話は、どこからかかってきた?」
「受付に来ていらっしゃるんです」
「その男は、フレモント・C・セイビンの親戚かどうか訊いてくれ」
 デラは、その件を受付嬢にたずねさせた。
「先生、フレモント・C・セイビン氏のご子息だそうです」
「会うと云ってくれ。お目にかかるから、十分ほどお待ち下さいと云うんだ。デラ、きみがさきに会って、どんな男か、ようすを見ておいてくれ。図書室へ案内して、すこし待たしておけばいい。そのあいだに、おれは朝刊を調べておく。すてきな事件が舞いこんできたぞ! さあ、いそがしくなった。新聞はどこにある?」
 メイスンは書翰綴を遠くのほうに押しやって、そのあとに、新聞紙をいっぱいひろげた。大いそぎで目を通すと、フレモント・C・セイビン殺害事件が、大見出しをつけて報道してあった。二面も三面も埋めつくして、さまざまな写真をつけて、その波乱に富んだ生涯と、異色ある性格が、巨細なまでの記事にして載せてあった。
 億万長者、フレモント・C・セイビンは、氏が社長として君臨していたあらゆる事業から退いて、その全権を、彼の子息、チャールズ・セイビンに譲ってから、すでに二年が経過した。そのあいだ氏は、名実ともに引退の生活を送っていた。趣味として、ときどき自動車で、ひとりだけの旅行に出るくらいのことであった。そして、その自動車旅行のキャンプの夜などで、見知らぬ旅行者たちと膝を交じえて、酒を汲みかわしながら、熱心に政治や経済を論じあうのが、氏の無上の楽しみであった。そうした夜の氏のすがた――もの静かな灰色の瞳、垢じみた仕事着に身を包んで、見るからに謙虚そのもののこの老人が、二億を超える資産の持ち主であろうとは、ひとりとして気づくものがあったであろうか。
 それにまた、氏はときどき、一週間か二週間のあいだ、まったくといってよいように、姿を消してしまうことがあった。こうしたときは、本屋を漁(あさ)ったり、図書館を訪れたりして、書痴としての生活を送っているらしいのである。おそらく図書館の職員たちは、そうした氏と顔をあわせても、停年で退職したサラリーマンぐらいにしか見なかったと思われる。
 また最近は、氏は好んで山荘をおとずれることが多くなった。源々と音を立てている渓流に沿って、切り断ったような岩山がそびえている。松林が風に鳴っていた。彼はそのポーチに、望遠鏡を手にして、いつまでも腰をおろしたままである。空翔(あまか)ける鳥を眺め、近づく縞リスと戯れ、書籍に読みふける。――こうして氏は、自分ひとりの孤独を楽しんでいたのである。
 六十になんなんとする彼は、たしかに異色ある存在であった。裸一貫から叩きあげて、比類なき成功をかち得たにもかかわらず、その莫大な資産のうち、ほんの一部を公共団体の基金としたが、そのほかの大部分をまったく自分ひとりで掌握して、慈善事業に寄附するなど、微塵も考えていないようすである。氏の処生観によれば――人生の窮極の目的は人格の啓発にある。そして、外部からの援助に依存する気持が残っているような者に、人格の発展など、とうてい期待できるものではないというのであった。
 新聞紙は、被害者の子息チャールズ・セイビンとの会見記を載せていた。メイスンは、その記事に現われている彼の父の性格を、興味をもって熟読した。フレモント・セイビンの意見によれば、人生は闘争であり、闘争は人格を形成する。勝利とは、一歩一歩ゴールへ近づくことであり、他人の勝利への道を援助することは、かえって他人に対する悪徳であると……
 事実、故セイビン氏は、百万ドルを超える金額を慈善事業に投資はしていたが、その条件として、身体障害者とか、老人とか、病人など、あらゆる点で生存競争に耐えられぬ人々だけを対象としていた。まだ努力の余地の残っている人々には、なんら提供しないことになっていた。闘争への権利こそ生存への権利である。そこには達成への道が開かれているからだ。闘争への権利を剥奪(はくだつ)することは、人生そのものに終止符を打つのにひとしいのである……
 ちょうど新聞をひと通り読みおわったところに、デラ・ストリートが戻ってきた。
「こんどの事件は、あの方にとって、ほんとうにひどい打撃だったようです。でも、あの方、しっかりしていらして、ヒステリックにもなっていませんし、悲嘆に打ちのめされたようすもなくて、とても落ち着いていらっしゃいますわ」
「いくつぐらいだい?」
「三十二、三でしょう。地味な服装で、お見かけしたところ言葉も上品だし、落ち着いた感じの方ですわよ」
「そうらしいな。どっちかというと、堅苦しいくらいの感じじゃないか?」
「そういえるかも知れませんわ。高い頬骨に、かたくひきしまった口もと。いつもなにか考えこんでいるようなタイプ――」
「わかった、わかった。もうすこし殺人事件のニュースを集めておこう」
 メイスンはもう一度、注意を新聞記事にむけていたが、突然、云った。
「デラ、この事件は、そう簡単なものではないぜ。かなりおかしな点が混じっている。おそらく、相当突っこんでみる必要があるな。セイビンはあまり、事情を打ち明けぬにちがいない」
 それからまた、ひとしきり新聞に眼を通して、殺人記事から、はっきりした事実を集めていた。

……冒頭より


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