「ペリー提督日本遠征記」

合衆国海軍省編/大羽綾子訳

ドットブック 8344KB/テキストファイル 263KB

1200円

「黒船来航」であまりにも有名な米国海軍ペリー提督の日本遠征。それは大きな世界情勢のうねりと、各国の思惑のからんだ複雑な背景のもと、確固とした信念のもとにおこなわれ、武力なしの「日本の開国」という世界史的快挙をなしとげた。本書は米国海軍省がペリーの足跡を集大成した編書から、沖縄と日本の部分を抜粋した。徳川幕府当局とペリーとの虚々実々の駆け引き、はじめての「外交」が、浦賀、久里浜、 神奈川(横浜)、下田、箱館を舞台に興味深く展開される。黒船は同時に、多くの文物というかたちで、西洋世界の文明をもたらした。それを目にした日本人はみな異常な興味をもって異世界に目をひらいた。ドットブックには原書掲載の多くの興味深い挿絵を収録した。

ペリー(1794〜1858)フルネームはマシュー・カルブレイス・ペリー。米国の海軍一家の生まれ。蒸気船海軍の父とたたえられ、海軍教育の先駆者とされる。東インド艦隊司令長官に就任後、日本開国を迫る大統領親書を携えて浦賀に来航。日米和親条約(神奈川条約)の締結に成功した。

立ち読みフロア
 

 あくる朝(七月九日)サスクェンナ号にまず近づいてきたのは、日の出頃にやってきた一隻の小舟である。その中には見たところ、画家の一団が乗っていて、舷側近くまできたが乗船しようとはせず、いそがしげに異国船のスケッチをやっていた。だがその日の重大な訪問は七時に行われた。二隻の小舟が舷側にやってきた。その一隻は艫(とも)に三本筋の入った旗じるしをつけて、六人ばかりの役人をのせていた。前にオランダ語を話した男がいっしょにのっていて、町で一番偉い人がのっていること、乗船して協議したがっていることを告げた。それからケヤモンイエザモン〔香山栄左衛門〕という浦賀奉行〔当時の浦賀奉行は戸田伊豆守と水野筑後守で、香山栄左衛門は中島三郎介と同じ支配組与力だった。先日三郎介は、奉行(ガヴァナー)は国法で来艦できぬといっておきながら、奉行が来たと言っているのはおかしい。言葉の通じぬための聞違いか日本側の小策であったか分らぬ〕で、最高の役人と称する男が来たことが直ちに提督に報告された。ところがこれは、おととい支配組与力のいった事とはまるで矛盾しているのだ。提督は、ブキャナン、アダムス大佐およびコンテー大尉に命じて閣下を迎えさせ、自分はその政策通り、帝国の顧問(老中)以外のものには絶対に面会を拒絶した。奉行はその高い位にふさわしい第三級の貴族の服装をしていた。彼は金銀で縁(ふち)をとり孔雀の羽に似た模様をぬいとりした素晴らしい絹のきものを着ていた。前にいった士官が正式に彼を迎えて会談した。だが実際は、未だに引込んでいる提督と協議したことになるわけだ。奉行は、日本の国法によって大統領の親書は浦賀では受理できない。また、たとえそれを受理してもその回答は長崎へ回送されるなど、さんざん押し問答をしたあげく、艦隊はそっちへいかねばならぬとつけ加えた。これに対する答えとして、提督はそんな取りきめには絶対に同意できない。あくまでも現在いる所で親書を奉呈するときっぱりと申し渡した。さらに、万一、日本政府が彼の持参した皇帝宛ての文書を受理すべき、適当な人物を指名する用意がないなら、提督は、それを奉呈するのが義務であるから、充分な武力をもって上陸し、どんな結果になろうと自分で親書を渡すつもりであると申し渡した。
 これに対して、奉行は町へ帰って江戸へ使いを立て、更に指令をあおぎましょうとのべ、返事がくるのに四日かかるとつけたした。蒸気船で一時間もいけば江戸の見えるところにいくのだから、提督は三日間だけ(十二日の木曜日まで)待つから、はっきりした返事をしてもらいたいと伝えさせた。
 夜明けに艦隊の船から各々一隻ずつのボートが下されて浦賀港湾の測量に出かけた。奉行はこれを見て何をしているのかと尋ねたが、測量をしているのだと教えられると、そういう調査は御法度だといった。これに対して、アメリカの国法はそれを命じている。貴殿が日本の国法に従う義務があると同様、アメリカ人はアメリカの法律に服従せねばならないという返答をあたえた。これこそ「第二の非常に重要な成功だ」と提督はいっている。この問答の間、通詞は矢立を取り出して忙(せわ)しなく覚書(ノート)を取っていた。奉行のしつこい質問にいちいちわれわれが答えていたら、その報告者は全く、ひまがなかっただろう。
 その会見のとき、ワシントンで用意してきた素晴らしい箱に納めた大統領の親書と提督の信任状とが奉行にみせられたが、彼はその高価さと精巧な細工にあきらかにびっくりしていた。そしてはじめて、水と飲食物の補給を申し出たが艦隊は何もいらないと答えた。今や奉行は、日本政府の回答の通達が来る日までは何事も問答無用だということを了解しないわけにはいかなかった。そこで彼は充分これを肝に銘じて帰っていった。
 会談中、奉行とその通詞は合衆国の大統領の事を話すとき、日本皇帝と同様な尊称を使うことを要求された。前にはこの二人を異なった言葉で呼んでいたのだが、すぐにこの要求に同意した。日本のように何でもいろんな儀式が支配している国では、言葉づかいのようなものでもやかましく作法を守る必要があるのだ。そして、どんな些細なことでも、また、一向大事なことと思えないような言行にも、ぜいぜい注意してやることが、対日政策に思うような効果をあげるに大切なことがわかった。対日政策とはちょうど平面にぴったりと合わせるためには同様になめらかな平面を必要とするように、最も洗練された礼式を非常に巧みに使うとき、はじめて達せられるのである。

……「第六章 アメリカ艦隊、日本本土にせまる」から


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