「投手殺人事件」

坂口安吾/作

ドットブック版 305KB/テキストファイル 139KB

600円

作者と読者との知恵くらべを通して謎解きゲームを楽しむことを推理小説の本領とみなした坂口安吾。この巻には「投手殺人事件」「屋根裏の犯人」「南京虫殺人事件」「選挙殺人事件」「山の神殺人」「正午の殺人」「影のない犯人」「心霊殺人事件」「能面の秘密」の9編を発表順に収めた。 代表作「不連続殺人事件」と未完に終わった「復員殺人事件」を除けば、これらが安吾の書いたミステリーのすべてである。

坂口安吾(さかぐちあんご 1906〜55) 新潟市生まれ。東洋大学印度哲学科卒。1930年、同人雑誌「言葉」を創刊、翌年に発表した「風博士」で認められたが、不遇の時代が続いた。しかし1946年、戦後の本質を鋭く洞察した「堕落論」などで人気作家になった。1955年、脳溢血により急死。享年48歳。小説の代表作に「白痴」「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」、エッセイでは「日本文化私観」「堕落論」などがある。

立ち読みフロア
 新しい年も九日になるのに、うちつづく正月酒で頭が痛い。細巻(ほそまき)宣伝部長が後頭部をさすりながら朝日撮影所の門を通ろうとすると、なれなれしく近づいた男が、
「ヤア、細巻さん。お待ちしていました。とうとう現れましたぜ、暁葉子(あかつきようこ)が。インタビューとろうとしたら拒絶されましたよ。あとで、会わして下さい。恩にきますよ」
 こう云って頭をかいてニヤニヤしたのは、専売新聞社会部記者の羅宇(らお)木介(もくすけ)であった。
「ほんとか。暁葉子が来てるって?」
「なんで、嘘つかんならんですか」
「なんだって、君はまた、暁葉子を追っかけ廻すんだ。くどすぎるぜ」
「商売ですよ。察しがついてらッしゃるくせに。会わして下さい。たのみますよ」
「ま、待ってろ。門衛(もんえい)君。この男を火鉢に当らせといてくれたまえ。勝手に撮影所の中を歩かせないようにな。たのむぜ」
 暁葉子は年末から一ヵ月ちかく社へ顔をださないのである。暮のうち、良人(おっと)の岩矢天狗(いわやてんぐ)が、葉子をだせと云って二、三度怒鳴りこんだことがあった。天狗は横浜の興行師で、バクチ打、うるさい奴だ。葉子の衣裳まで質に入れてバクチをうつという悪党で、今まで葉子が逃げださないのが、おかしいぐらいであった。
 しかし、葉子に恋人があるという噂を小耳にしたのは、ようやく三日前だ。おまけに、その恋人が、職業(プロ)野球チェスター軍の名投手大鹿(おおしか)だという。猛速球スモークボールで昨年プロ入りするや三十勝ちかく稼いだ新人王で、スモーク・ピッチャー(煙り投手)とうたわれている。
 この話が本当なら宣伝効果百パーセントというところだが、あんまり話が面白すぎる。いい加減な噂だろうと思ったが、羅宇木介が執念深く葉子を探しているのに気がつくと、ハテナと思った。専売新聞はネービーカット軍をもつ有名な野球新聞だ。
 細巻が部長室へはいると、若い部員がきて、
「暁葉子と小糸ミノリがお目にかかりたいと待ってますが」
「フン。やっぱり本当か。つれてこいよ」
 暁葉子はかけだしのニューフェイスだが、細巻がバッテキして、相当な役に二、三度つけてやった。メガネたがわず好演技を示して、これから売りだそうというところ。細巻もバッテキの甲斐があったといささか鼻を高くしていた矢先であったから、はいってきた葉子とニューフェイス仲間のミノリを睨みつけて、
「バカめ。これからという大事なところで、一ヵ月も、どこをウロついて来たんだ。返事によっては、許さんぞ」
「すみません」
 葉子は唇をかんで涙をこらえているようである。父とも思う細巻の怒りに慈愛のこもっているのが、骨身にひびくのである。
「言い訳は申しません。私、家出して、恋をしていました」
「オイ。オイ。ノッケから、いい加減にしろよ」
「ホントなんです。せめて部長に打ち開けて、と思いつづけていましたが、かえって御迷惑をおかけしては、と控えていたのです」
「ふうン。誰だ、相手は?」
 葉子はそれには答えず、必死の顔を上げて、
「私の芸に未来があるでしょうか。どんな辛い勉強もします」
「それが、どうしたというんだ」
「十年かかってスターになれるなら、そのときの出演料を三百万円貸していただきたいのです」
 葉子は蒼ざめた真剣な顔で、細巻の呆れ果てたという無言の面持(おももち)を見つめていたが、やがて泣きくずれてしまった。
 ミノリが代って物語った。
「葉子さんの愛人はチェスターの大鹿投手なんです」
「やっぱり、そうか」
「家出なさった時から、私、相談をうけて、かくまってあげたり、岩矢天狗さんと交渉したりしたのですが、天狗さんは、手切れ金、三百万円だせ、と仰有(おっしゃ)るのです。大鹿さんは、昨日、関西へ戻りました。三百万円で身売りする球団を探しに。葉子さんは反対なさったのです。一昨日は一日云い争っていらしたようです。そして、大鹿さんに選手としての名誉を汚させるぐらいならと、社へ借金にいらしたのです。葉子さんのフビンな気持も察してあげて下さい」
「ふむ。大それたことをぬかしよる」
 大声で叱りつけたが、神経が細くては出来ない撮影所勤め、太鼓腹をゆすって、案外平然たるものだ。しかし、頭に閃(ひらめ)いたことがあるから、二人を部屋に残しておいて、スカウトの煙山の部屋を訪ねた。スカウトというのは、有望選手を見つけだしたり、買収して引ッこぬいたりする役目で、ここに人材がいないとチーム強化ができない。煙山は日本名題(なだい)の名スカウトであった。
 細巻は煙山の部屋へとびこんで、
「オイ、ちょッとした話があるんだが」
「なんだい」
「実はこれこれだ」
 と、テンマツを語ってきかせる。
「フーム。ちょッとした話どころじゃないじゃないか。大鹿は灰村カントクの子飼いだから、動かないものだと、各球団で諦めていた男だ。しかし、三百万円は高いな。そんな高額は各球団に前例がないと思うが、しかし、三百万の値打はある。あいつが加入すれば、優勝疑いなしだよ。さっそく社長に話してみようじゃないか」
 敷島社長の部屋を訪れて相談したが、三百万という値はなんとしても高額すぎる。去年のトレードは五十万から八十万が最高と云われ、今年はベストテンの上位選手で百万、一人ぐらいは百五十万、二百万選手ができるかも知れないと噂されている。球団が十五に増したから、選手争奪が激しく、高値をよんでいるのである。
「いくら三振王だって、たかが新人(ルーキー)じゃないか。百万も高すぎるぜ」
 太ッ腹の敷島だが、こう云うのは、ムリがない。
「しかしですね。あれが加入すれば必ず優勝しますよ。優勝すれば、安いものです。とにかく、大鹿は三百万の金がいる。三百万必要だから動くんですよ。さもなきゃ絶対動かん選手なんだから、相場を度外視して、三百万そろえて下さい」
「じゃア、こうしよう。とにかく、三百万そろえれば、いいのだろう。大鹿に百万。暁葉子の出演料の前貸しとして二百万。これで当ってみたまえ。暁葉子の二百万も例外だが、いずれ、返る金だから、あきらめるよ」
「そうですか。じゃ、それで当ってみましょう」

……「投手殺人事件」冒頭より


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