「東方見聞録」

マルコ・ポーロ/青木富太郎訳

ドットブック版 1.73MB/テキストファイル/159KB

700円

マルコ・ポーロ(1254〜1324)はヴェネチア商人の息子。長年中国にあって商人として活躍していた父と叔父が元朝のフビライ・ハーンの使命をおびて帰国したさい、その帰途にあたって一緒に中国にむかうことになった。彼らは天山南路をたどって元の上都(ハーンの夏の宮殿がある)にたどりつき、マルコはフビライに仕えた。その後、90年に泉州を出帆してインド南部を航行、95年にようやくヴェネチアに帰国した。しかし、26年も留守にしたあとの帰国だったので、親戚の者たちも顔がわからず、彼らの持ち帰った財宝を見るまでは、ヴェネチアの人たちは彼らの話を信じなかったという。たまたまその時期はヴェネチアがジェノアと争っていたため、軍艦に乗っていたマルコはジェノアの捕虜となって、その後の講和で釈放されるまでの約1年間ジェノアの獄にあった。その獄中で知り合ったのがピサ出身のルスティケロという物語作者で、「東方見聞録」はこのルスティケロの手によって初めてまとめられた。マルコはフビライの使者として、または商売で長期間、中国各地を旅行したので、モンゴルの歴史や風習、中国や中央アジアに関して、きわめて幅広い知識をヨーロッパに初めてもたらすことになり、そのアジア観に深い影響をあたえた。

ドットブック版には、本訳書の底本となったユール・コルディエ本からの多くの興味深い挿絵を挿入した。また本サイト上に「マルコ・ポーロ行程図」を掲載して読者の便宜をはかっている。

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8 宮中の大饗宴

 宮廷で大きな催しがあって大ハーンが席につくときには、次のように行なわれる。彼のテーブルは他よりはるかに高い場所に設けられ、大広間の北端の南向きの椅子につき、第一皇后はその左にならぶ。右手には彼の王子、甥、皇族がならぶが、その席は彼らの頭がハーンの足と同じ位の高さになる。他の貴族のテーブルはもっと低い。婦人も同様にして左側、低いテーブルにつく。出席者がいくら多くても、大ハーンははしまで見渡すことができる。しかし全員がテーブルにつけるのではなく、将兵の大部分は広間の敷物の上にすわって食事をする。大広間の外側には四万人以上の人がすわる。というのは、献上品をもってきた人や、外国から珍しいものを持参した人で、そこは非常に混雑しているからだ。
 大ハーンのテーブルの近くに、すばらしい細工の箱型の器具がおいてある。各側面は約三メートルあって、動物の姿が彫刻され、金メッキがしてある。内部には百四十ガロンもはいる純金の容器がおさめられ、そのまわりに容量四分の一バレルほどの小さい容器がおかれ、大きな容器から小さい方へ葡萄酒や高価な香料入りの飲物がながれこむようになっている。箱の上には大ハーンの酒器が全部おかれているが、中には純金の盃もある。八人前から十人前の飲物がいれられるくらい大きい。これらの酒器は金のひしゃく一組とともに、二人の間に一つあて、おかれる。人々はひしゃくでこれらの黄金の盃から飲物をすくいとる。このひしゃくと盃の値段は莫大なもので、ハーンは他にも数多く金銀製の高価な器具をもっているのだ。
 とくに任命された若干の貴族が、宮廷の習慣を知らぬ外国人に、席次におうじた席をすすめたりしている。彼らはいつもあちこち動きまわり、着席しているものにほしいものを尋ね、給仕に葡萄酒、肉、乳などをすすめさせたりしている。大広間の入口には大男が二人ずつ、棒を持って立っている。彼らの任務は入場者が閾《しきい》をふまないように監視することで、ふんだものがあると、着衣をはぎとる。その人は罰金をはらって取り返さねばならない。着衣をはぎとる代わりに、棒で一定の回数だけたたくこともある。この習慣を知らなかった外国人には、貴族が案内し、規則を説明することになっている。誰かが閾をふむと、不幸がくると信じているからである。しかし出てゆくときはこの規則を固執しない。酔って足もとを注意できないものもあるからだ。
 大ハーンに給仕するものも貴族の中からえらばれ、口と鼻をマスクでおおい、口臭が飲食物の中にはいらないようにしている。皇帝がのむときには全楽器が奏楽をはじめ、彼が盃を手にすると、出席者一同はひざまずいて最敬礼をし、皇帝はそれからのむ。皇帝がのむときはこの儀式がくりかえされる。料理は非常にたくさんある。いつでも貴族や騎士はこのようなテーブルで食事をし、その妻も他の婦人たちとともにそこで食事をする。食事がおわり、テーブルが片づけられると、役者や奇術師が大勢あらわれ、さまざまの珍しい芸を披露し、観客をよろこばせる。演技がおわると、人々はそれぞれ帰途につく。

9 大ハーンの誕生日の祝い

 タタール人は誕生日に宴会をひらく。ハーンは九月二十八日に生まれたので、この日には後にのべる新年宴会をのぞいては最大の宴会が宮廷でひらかれる。
 この日、大ハーンはもっとも立派な、金糸で織った衣裳をきる。一万二千以上の貴族も、それほど高価ではないが、これと同じ衣裳をつけて、宮廷に参上する。色は同じだが、材料は金糸と絹糸なのである。その上に金の帯をしめるが、いずれも御下賜品である。衣裳のうちには真珠や宝石をちりばめたものもあるが、これ一着でビザンチン金貨一万ベザントの値打ちは十分ある。
 このような衣裳は数組ある。ハーンは年に十三回も貴族にこれらの衣裳を下賜する。それぞれの宴会には別の色が定められ、彼らはいつもハーンと同じ色の衣裳をつけなければならない。実に大変なことで、こんな習慣を維持できるのは世界で彼だけだ。
 大ハーンの誕生日には全世界のタタール人や、彼に忠誠をいたすすべての地方や政府は、能力に応じ、またきめられた量の贈物を献上する。彼から職を与えてもらうために、多くの人が贈物をもってくる。彼は十二人の貴族をえらんで、嘆願者によい返事をする任務にあたらせている。偶像崇拝教徒、イスラム教徒、キリスト教徒など、すべての宗派の人々は、この日、歌をうたい、灯をともし、香をたいて祈祷式を行ない、彼に長命と健康と幸福をあたえられんことをいのる。

10 新年の祝賀

 彼らの新年は二月で、このとき大ハーンとその臣下は次のような祭りをする。
 この祭りには、大ハーンも臣下もすべて白い衣裳をつけるので、白一色となる。この一年間が幸福であるように、との意味で、彼らは白い衣裳は幸運なものと考えている。この日、ハーンに忠誠をちかっている国や地方から、彼への贈物として金銀、宝石、真珠、立派な織物がもってこられる。人々も互いに白いものをつけた贈物をし、新年おめでとうと祝いの言葉をかわす。ハーンヘの贈物の中には立派にかざった白馬が十万頭以上もはいっている。能力があれば九の九倍の数のものを贈る習慣である。たとえは馬なら八十一頭といった工合である。
 この日にはハーン所有の五千頭以上の象が、鳥獣羽毛を刺繍した鞍褥《あんじょく》〔鞍の下に敷く敷物〕におおわれ、背にきれいな箱を二つのせて行進する。箱の中には宮廷の新年の祭りに使う高価な器具がはいっている。象につづいて立派な鞍褥をつけ、同じく祭りの器具をつんだ駱駝が行く。これらはうちそろって大ハーンの御前を行進する。
 当日の朝には、王公、貴族、騎士、占い師、儒官、医官、鷹匠、官吏など、すべてのものは大広間に参入し、大ハーンの御前にまかりでる。参賀者は前から第一に王子、甥、皇族の諸公子、第二に諸王、つづいて公、さらに他のものが官等におうじて順序よくならぶ。定めの席に全員が着席すると、高位の聖職者が立って、大声で「叩頭《こうとう》拝礼」という。全員大ハーンに向かい、頭が床につくまで最敬礼を行なう。これを四回くりかえした後、ハーンの名をかいた赤い板と美しい黄金の香炉のおかれた高い祭壇の前に行く。その前でうやうやしく香をたき、自分の席へもどる。式典がおわると贈物が献上され、続いてテーブルがならべられ、宴会となる。そのあとは前述の通りだ。
 さて大ハーンはその軍隊のうち、一万二千人をケシクテンとよんで区別しているが、この一万二千の貴族はそれぞれ十三着の衣裳を下賜されている。一つ一つ色がちがい、十三の色があることになるが、宝石、真珠などをちりばめてあって、すこぶる金のかかるものだ。衣裳のほかに一万二千の貴族全部に、すばらしく立派な金の帯と、銀糸で細工されたカムートという靴が下賜される。年に十三回行なわれる儀式には、それぞれどの衣裳をつけるか定められている。大ハーンも貴族と同じ色の衣裳を十三種もっているが、もっと立派で、装飾も多い。だから祝宴用衣裳の費用は(合計すると十五万六千着になる!)計算できぬほどの巨額になり、しかも別に帯や靴の費用もかかるのだ。
 ここで話し忘れたことをつけ加えておこう。祭りの日には大きなライオンが一頭、大ハーンの前にひきだされる。大ハーンを見ると、これが君主だと知っているかのように、その前にうずくまって尊敬の態度をしめす。ライオンは鎖につながれてないのだ。見ない人には、とても信じられない話だろう。

……第二章 「フビライ・ハーン、その宮廷と首都」より


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