「郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす」

ジェームズ・M・ケイン/田中小実昌訳

ドットブック版 112KB/テキストファイル 81KB

300円

町から町へと放浪の暮らしを送るフランクは、ほとんど金もない状態でカリフォルニアの街道筋の安レストランにたどり着く。気のいいギリシア人店主はフランクを雇いたいともちかけ、フランクはそれに同意する。だが、フランクの目は店主のセクシーな女房を見逃しはしなかった。二人はほどなく共謀して店主殺害を企てる……アメリカン・ハードボイルドの代表傑作。

ジェームズ・M・ケイン(1892〜1977)メリーランド州アナポリス生まれ。大学卒業後、新聞記者生活を送り、第一次大戦には兵卒として従軍、帰還後も「ボルチモア・サン」紙で社説に健筆をふるった。劇作のあと短編に手をそめ、34年に書き上げた本書で一躍、人気作家になった。その後は続々とベストセラーを発表、多くが映画化された。代表作「セレナーデ」「ミルドレッド・ピアース」「殺人保険」など。「ケインの描く性はノンモラルで衝動的だ、だがその頭上には時折、祈りに似た純愛が、憧憬がきらめいている」(翻訳者・蕗沢忠枝氏)

立ち読みフロア
 正午(ひる)ごろ、おれは干草をつんだトラックからほうりだされた。前の夜、国境で、おれはトラックにとびのり、キャンバス地の幌(ほろ)のなかにもぐりこむと、すぐ眠った。メキシコのティファナに三週間いたあとで、たっぷり眠る必要があったのだ。エンジンを冷やすため、トラックが道の片側によせてとまったときも、まだ、おれは眠っていた。片足がつきでているのを、トラックのやつらは見つけて、おれをほうりだしたのだ。おれはやつらをわらわせて、もっと先までのっけてもらおうとしたが、やつらはしらん顔でとりあわず、せっかくのギャグもだめだった。それでもやつらはタバコを一本くれた。おれは、なにか食べ物にありつけないか、道をテクっていった。
 そんなことをやってるときに、このツィン・オークス・タヴァーン(二本樫亭)が目についた。ただの道ばたのサンドイッチ屋だ。こんなのは、カリフォルニアじゅう、どこにでもある。食堂と、その奥が店の者がすんでる住居。よこにガソリンスタンドがあり、うしろのほうに、店の者はモーテルとよんでいる小屋みたいなのが六棟。おれはいそいで店にはいり、道路のほうを見だした。ギリシア人の店の主人がでてきたので、キャデラックにのった男がここによらなかったか、おれはたずねた。その男はここでおれをひろい、いっしょに昼食をすることになっている、と。きょうは、そんなひとはこない、とギリシア人の主人はこたえ、テーブルのひとつに、おれの席をつくってくれ、なにを食べるか、ときいた。オレンジ・ジュースにコーンフレイク、目玉焼きにベーコン、エンチラダス、フラップジャックとコーヒー、とおれは言い、間もなく、ギリシア人はオレンジ・ジュースとコーンフレイクをもってきた。
「ちょっと、待った。ひとつ、はなしとくことがある。キャデラックの男がやってこなかったら、これは、ツケにしてくれる? 昼食は、その男がおごることになってたんだ。おれは、ちょいと金がたりないんでね」
「ホーケー、腹いっぱい食べて」〔ギリシア人は、母音ではじまる言葉は、発音しにくいとかで、ギリシア訛(なまり)のオーケーはホーケーになる〕
 ギリシア人の主人はわかってるらしい。で、おれはキャデラックの男のはなしはやめた。やがて、ギリシア人のほうにもなにか魂胆があるのがわかった。
「なにをやってる? どんな仕事をしてる、え?」
「ああ、あれをやったり、これをやったり、あれをやったり、これをやったり」
「いくつ?」
「二十四」
「若いんだなあ。若い者なら、今すぐほしい。ここの仕事にね」
「いいところじゃないか」
「空気、いい。ロサンゼルスみたいな霧、ない。ぜんぜん、ない。空気、いい。きれいだ。いつも、空気、きれいでいい」
「夜なんかすてきだろうな。今からでも、夜のすてきな空気がにおうようだぜ」
「よく眠れる。あんた、車のことわかる? 故障をなおすとか」
「ああ、おれは自動車修理工に生まれついたようなもんだ」
 ギリシア人は、空気のことをくりかえし、ここを買ってからどんなにからだの調子がいいか、それなのに、やとった者がどうして長つづきしないのか、さっぱりわからない、なんてことをしゃべった。おれには、長つづきしないわけはわかったが、食べるほうを専門にした。
「どう? ここが好きになるとおもう?」
 そのときには、おれは、のこったコーヒーを腹におさめ、ギリシア人がくれた葉巻に火をつけていた。「じつはね、ほかにも二つばかり仕事の口があって、それがこまるんだな。でも、考えとくよ。ちゃんと考えとく」

 女をみたのは、そのときだ。それまでは、女は奥の調理場にいて、おれが食べた皿をとりにきたのだった。からだつきはわるくないが、すごい美人ってほどではない。ただ、ちょっぴりすねたような顔をし、くちびるをつぼめるみたいにつきだしているのが、おれのくちびるで、そいつをモミモミして、ひっこめてやりたい気にさせた。
「ワイフだよ」
 女は、おれのほうは見なかった。おれはギリシア人の亭主にむかってうなずき、葉巻をふって見せた。それだけだ。女は皿をもって奥にいき、ことギリシア人とおれとに関しては、女はその場にもいなかったってことになる。そして、おれは店をでたが、五分ほどでかえってきた。キャデラックの男にことづて(ヽヽヽヽ)をたのむためだ。仕事の話がまとまるのには三十分かかったが、三十分後には、おれはガソリンスタンドでタイヤをなおしていた。
「名前は?」
「フランク・チェンバーズ」
「おれはニック・パパダキス」
 おれたちは握手し、ギリシア人はむこうにいった。すぐに、ギリシア人が歌をうたう声がきこえた。なかなかいい声だった。ガソリンスタンドからは、調理場がよく見えた。

……冒頭より


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