「ラジオナメンティ」

ピエトロ・アレティーノ/結城豊太訳

ドットブック版 129KB/テキストファイル 136KB

500円

ナンナは十六になった娘の身の振り方を決めてやるのに迷い、友達のアントニアに相談する。「修道女にするのがいいか」「さっさと結婚させるのがいいか」「娼婦にするのがいいか」というのだ。それというのも、ナンナ自身、この三つの暮らしをすべて経験してきたからで……ルネサンス期ローマの町のけた外れの淫乱ぶりを暴露するポルノの元祖。

アレティーノ(1492?〜1556) イタリア、トスカナ地方のアレッツォ生まれの諷刺家。「ペンのゆすり屋」の異名をとるほど権力者に対して毒舌をふるい、それによって暮らしを立てた。後年はヴェネチアに暮らし、友人の画家ティツィアーノによる肖像画が残っている。彼の手になる喜劇と書簡は当時を写す貴重な資料でもある。

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第一日 修道女の生活

 アレティーノの「きまぐれなおしゃべり《ラジオナメンティ》」の第一日が始まる。ここでは、ローマのナンナが、修道女たちの暮らしぶりを、いちじくの木陰でアントニアに語って聞かせる。


 アントニア──どうしたの、ナンナ? そんな物思いに沈んだ顔をして、世界を支配している人の気に入られると思うの?
 ナンナ──世界をですって?
 アントニア──そうよ、世界をよ。考えこんだりするのはあたしに委《まか》せとけばいいのよ。あたしはね、梅毒のほかにはなんにも困るものはないのよ。あたしは貧乏で高慢だし、よくないことも言うけれど、神様の悪口は言わないつもりよ。
 ナンナ──アントニア、誰《だれ》にも困ったことがあるのね。あなたが楽しいことばっかりと思っているところにもたくさんあるわ。信じられないくらいたくさんあるわ。この世の中だっていやな世の中だわ。ほんとよ、これ、ほんとよ。
 アントニア──ほんとね、あたしにとってはいやな世の中ね。だけど、卵入り牛乳まで飲んでいるあんたにはそうじゃないわ。広場でも、ホテルでも、どこへいっても、聞こえるのは、ナンナがあそこにいる、ナンナがここにいる、という声ばかりよ。そしてあんたの家はいつも卵みたいに人でいっぱいだし、そしてローマじゅうがあんたを囲んで、大赦《たいしゃ》祭のときにハンガリア人が踊るようなマウル踊りを踊ってるじゃないの。
 ナンナ──そうなのよ。だけどあたしは嬉《うれ》しくはないのよ。なんだかあたしね、自分は食卓の真中に坐《すわ》っていて目の前にお料理がたくさん並び、おなかも空《す》いているのに、お行儀よくするために自分は食べないでいる花嫁のような気がするわ。ねえ、マ・スール、たしかに、心はあるべきところについていないのね。もうたくさんよ。
 アントニア──あんた、嘆いてるの?
 ナンナ──我慢してるのよ!
 アントニア──あんた、その理由がないのに嘆いてるのよ。気をつけないと、神様にほんとに嘆かなければならないようにされるわよ。
 ナンナ──どうしてあたしが嘆いてはいけないの? 実は、娘のピッパが十六になったので、身の振り方を決めてやらなきゃならないんだけど、ある人は、「修道女にするといい。持参金がほとんどいらなくてすむし、おまけにカレンダーに聖女を一人加えることにもなるし」と言うのよ。別の人は、「亭主を持たせるがいい。どっちみち、あんたは金持ちなんだから、それで財産がどうということもないし」と言うのよ。また別の人は、すぐにも娼婦《しょうふ》にするがいいとわたしに奨めてこう言うの。「世の中は腐敗している。たとえもっとましにしたって、娼婦にすれば、娘を一気に貴婦人に仕立てることができるよ。そして、あんたの持っているものと、娘が間もなく稼《かせ》ぐものとで、娘は女王様にだってなれるよ」こんなだから、あたしも迷ってしまうし、ピッパも困ってるのよ。
 アントニア──あんたの悩みなんて悩みのうちに入らないわ。夜、暖炉の前で靴《くつ》を脱いで、かゆいところを早くかきたいなと思っている人の悩みより、もっと呑気《のんき》なものよ。
 困るのは、小麦の値上がり。辛いのは、ぶどう酒が切れること。苦しいのは家賃。死ぬほど辛いのは、煎《せん》じ薬をしょっちゅう呑んでも膿瘍《のうよう》も腫《は》れ物も治せず、どんな病気もなくせないことよ。だもの、そんな小さなことで心配しているあんたにびっくりしてしまうわよ。
 ナンナ──どうしてびっくりするの?
 アントニア──だって、ローマで生まれ育ったのなら、ピッパのことで悩むことなんかないはずだと思うからよ。ねえ、あんたも昔は修道女だったんでしょ?
 ナンナ──そうよ。
 アントニア──亭主は持ったことないの?
 ナンナ──持ったことがあるわ。
 アントニア──娼婦はしたことないの?
 ナンナ──あるわよ。
 アントニア──じゃあ、その三つの中で、一番いいものをどれか選べる?
 ナンナ──とてもだめよ。
 アントニア──どうしてだめなの?
 ナンナ──だって、修道女も、亭主持ちの女も、娼婦も、昔とは暮らし振りがまるで違うもの。
 アントニア──はつ、はっ、はっ、はっ! 人間の暮らしはいつも同じよ。いつだって、人間は、食べ、飲み、眠り、そして年をとってゆくものよ。いつだって、歩いたり、立ち止ったりするものよ。そして、女はいつだってあの割れ目からおしっこをするものよ。そこでね、あんたのころの修道女や、女房や、娼婦たちの暮らし振りを少し話していただけたら嬉しいわね。そしたらあたしはね、今度の四旬節《しじゅんせつ》には肉断ちをし、あんたの娘を何にしたらよいかをほんの二言三言《ふたことみこと》で解決してみせる。これは七つの教会にかけて誓うわ。だけど、その前に、わけしり《ヽヽヽヽ》で、そういう人柄のくせに、娘を修道女にすることをどうしてためらうのか、それを話してくれない?
 ナンナ──いいわよ。
 アントニア──じゃ、どうぞ、話してね。どっちみち、今日はあたしたちの守護神の聖マグダラのマリアの日だもの、仕事はしないのよ。たとえ仕事をするにしても、三日分のパンとぶどう酒と塩漬《しおづ》けの肉はあるわ。
 ナンナ──ほんと?
 アントニア──ほんとよ。
 ナンナ──じゃあ、今日は修道女たちの暮らしのこと、明日は亭主持ちの女たちの暮らしのこと、あさっては娼婦たちのことを話すわ。あたしのそばへ、楽にして坐ってね。
 アントニア──ええ、楽にしてるわ。じゃあ、話を始めて。
 ナンナ──主の魂を冒涜《ぼうとく》する言葉を吐きたいわ、なんだか。でも、あたしの体からあの厄介をなくしてくれたのだもの、そんなこと言ってはいけないわね。
 アントニア──興奮しちゃだめよ。
 ナンナ──ねえ、アントニア、修道女も女房も娼婦も十字路みたいなものよ。人びとはそこへやって来ると、どの道へ足を踏み入れようかとちょっと考える。そして、悪魔に誘われて、一番陰気くさい通りに入ってしまうこともときどきあるわ。信心深い心をもった父が母の考えを無視してあたしを修道女にした日も、ちょうどそれと同じだった。あんた、あたしの母を識《し》ってたわね? そりゃ、立派な人だったわ。
 アントニア──そう、夢の中で識ったようなものね。そういえばあの人が机の陰で奇跡を行なった(あの人がそう言うのを聞いたから)のも知っているわ。それから、あんたのお父さんが巡邏《じゅんら》隊の仲間で、あんたのお母さんに惚《ほ》れて結婚したことも知ってるわ。 ……
冒頭より


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