「死の招待」―ネロ・ウルフ中編傑作

レックス・スタウト/ 大村美根子訳

ドットブック版 188KB/テキストファイル 137B

400円

◆ネロ・ウルフ傑作中編2作収録◆
【死の招待】――パーティの企画者ベス・ハドルストンが持参したのは、差出人不明の脅迫じみた内容の手紙だった。「ただの相談ですか、それとも仕事の依頼ですか?」ウルフは言った。
【ブービー・トラップ】――第二次世界大戦のさなか、ウルフは探偵仕事を犠牲にして陸軍情報部に働いている、そしてアーチーはなんと陸軍少佐に出世! 戦時下の軍事にからむ事件勃発。

レックス・スタウト(1886〜1975) 米国インディアナ州生まれ。両親はクエーカー教徒。若いころは多数の職を転々としながら、詩や小説を書く。30歳頃にあるアイデアから大金を得たが、大恐慌で破産。1934年、48歳のときに発表したミステリー「毒蛇」でたちまち人気作家に。以後この「ネロ・ウルフ」シリーズは、長編だけでも34作に達した。この探偵は、古今の探偵のなかでも、最も魅力のある人物のひとりである。

立ち読みフロア
 ベス・ハドルストンとは以前にも顔を合わせる機会があった。
 二年前のある午後、彼女はオフィスに電話を寄こし、ネロ・ウルフを呼び出すなり、すぐさまリヴァーデイルの自宅へ来てほしいとこともなげに持ちかけた。彼はもちろん、すげなく会話を打ち切った。最大の理由は、旧友か優秀な料理人のもとへ出むくのを例外として、家を離れる気がまるでないことだが、もうひとつ、そうした習慣を心得ていない人間が存在する事実に虚栄心を傷つけられたのだ。
 およそ一時間後、彼女は西三十五丁目の川近くにあるウルフの家を訪れ、オフィスに十五分間とどまって、なんともにぎやかな雰囲気をもたらした。彼があんなに怒ったのはおそらくはじめてだろう。ぼくに言わせると、まことにけっこうな仕事の口がころがりこんだものだ。彼女が某夫人のために企画を請け負っているパーティで、殺人ゲームの探偵役を務めたならば、二千ドルの報酬を払ってくれるという。ほんの四、五時間ほど腰をおろしていればいいのだし、ビールは飲み放題のうえに二千ドルの日当がつく。しかも、ぼくが同行して下働きを引き受けた場合は別口の五百ドルにありつける。それなのに、かくも怒り狂うとは! あの様子では、ナポレオンその人が子供部屋でブリキの兵隊の指揮を頼まれたとしか思えない。
 彼女が帰ってから、ぼくは彼のとった態度に遺憾の意を表明した。いわく、彼女はニューヨークの金持ち連中が催すパーティの企画者として、彼と同じくらいの名声を築きあげている。両者の才能が組み合わさったなら、必ずや特筆すべき結果が生まれたであろう。ぼくが五百ドルでいかに楽しめたかは論じるまでもない。だが、彼は仏頂面をするばかりだった。
 これは二年前の出来事である。時は現在に変わって暑い八月の正午、あるじが機械を嫌うせいでエア・コンの設備もないオフィスに彼女は電話を寄こし、ただちにリヴァーデイルの自宅へ来てほしいと切り出した。ウルフは手ぶりで厄介払いを命じ、受話器を置いた。その後まもなく、昼食に関する用件でフリッツと話し合うため、彼が台所へ行った隙を見計らい、ぼくは彼女の電話番号を調べてダイヤルをまわした。ナウハイム事件の片がついて以来、オフィスの空気は一カ月近くよどみ切っている。たとえ炭酸水をひと壜盗んだクリーニング屋の店員を尾行する仕事でも、ぼくにとってはありがたいのだ。そこで、彼女が電話口に出ると、もしも三十五丁目へお越し願えるならば、ウルフは午前九時から十一時までと午後四時から六時までは蘭にかかりきりで面会謝絶だけれど、そのほかの時間には喜んで、お目にかかるでしょう、と誘いをかけた。
 同じ日の午後三時頃、ぼくが彼女をオフィスへ案内したときの彼は、実のところ喜んでいるとは言いがたかった。立ち上がって迎えないのをあやまりもしない。もっとも、彼のかさをひと目見たなら、理性ある人間はそんな重労働を期待しないだろうが。
 彼は不機嫌な口調で呟いた。「あなたは前にここへ来て、わたしに道化役をさせようと買収を試みた女性ですな」
 彼女は赤革の椅子に腰をおろし、緑色の大きなハンドバッグからハンカチを取り出して、額とうなじと喉もとを拭った。新聞の写真と実物がかなり違うタイプだ。というのも、ほかの部分などは忘れてしまうほど眼の印象がきわめて強い。光を帯びた黒い眼で、こちらを見ているはずのないときも、なんだか見られているような気分を抱かせる。だから、年の頃は四十七、八なのに、それよりはずっと感じが若かった。
「まったくもう、こんな暑さじゃ、あなたでしたらもっと汗だくになりそうなものですわね。国防ペイジェントの件で市長と会う約束が控えてまして、口論をしてる暇はないんです。でも、買収を試みたなんて、ずいぶんふざけた言いがかりだわ。ふざけてるもいいところ! あなたが探偵になってくだされば、パーティは大成功でしたのよ。しかたなく警察官を――警視さんを呼びましたの。彼はうなるだけでした。こういった具合にね」彼女はうなってみせた。
「ご用件がまたしても――」
「いいえ。今度はパーティの話じゃありません。そうだったら幸いですけれど。誰かがわたくしを破滅させようとしてますの」
「破滅させる? 肉体的にか、経済的にか――」
「要するに破滅ですわ。わたくしの仕事はご存じでしょう。パーティの――」
「知っています」ウルフはそっけなく答えた。
「そうですか。わたくしのお客はお金持ちの重要人物ばかりです。少なくとも、ご当人は重要人物だと思ってますわ。それはさておき、わたくしにとっては大切な方々です。ですから、さぞやたいへんなことに――ともかく、あれを見ていただけば――」
 彼女はハンドバッグの口を開き、テリヤじみた仕草でなかみをかきまわした。小さな紙片が床に落ちたので、ぼくが拾い上げると、すばやく視線を投げて、「いいのよ、屑籠に捨ててちょうだい」と言った。ぼくは言いつけに従い、再び腰をおろした。
 ベス・ハドルストンはウルフに封筒をさし出した。
「ごらんくださいな。どう思われます?」
 ウルフは封筒の表と裏を改め、便箋を抜き出して文面に目を通し、ぼくに手渡した。
「内輪の話ですのよ」
「グッドウィン君は内輪の者です」ウルフは冷ややかに答えた。
 ぼくは証拠物件を吟味した。切手を貼って消印が押された封筒に、タイプで宛先が打ってある。

 ニューヨーク市
 東七十四丁目九百二番地
 ジャーヴィス・ホロックス夫人

 便箋にはやはりタイプで次の文章が記されていた。

 ブレイディ医師がお嬢さんに間違った薬を処方したのは、無知のせいか、あるいは、ほかに理由があるのか? ベス・ハドルストンにお訊きなさい。その気になれば話すでしょう。私には話してくれました。

 署名はない。ぼくは便箋と封筒をウルフに返した。ベス・ハドルストンは額と喉にまたもやハンカチをあてた。
「もう一通ありますの」
 顔はウルフのほうをむいているが、ぼくはあの眼で見られているような気がした。
「そちらは持っていませんが。それの消印は八月十二日火曜日、つまり六日前になっていますでしょう。もう一通のは一日前の十一日月曜日、ちょうど一週間前に投函されました。タイプしてある点は同じです。わたくしは手紙を見ていますわ。受け取ったのはとても裕福で有名な方なんです。文面は――そっくり繰り返しますわね。
『奥さんはどこで誰と午後を過ごしておいでですか? おわかりになれば、びっくりされるでしょう。私に教えてくれたのはベス・ハドルストンです。彼女にお訊きなさい』
 その殿方が見せてくださいましたの。奥さまはわたくしのごく親しい――」
「どうか」ウルフは彼女にむかって指を振り動かした。「ただの相談ですか? それとも仕事の依頼ですか?」
「仕事の依頼です。手紙の差出人を突きとめてください」
「いやな仕事ですな。たいていの場合は不可能に近い。物欲以外に引き受ける動機は考えられません」
「わかっておりますとも」ベス・ハドルストンはじれったそうにうなずいた。「お金のとりかたなら、わたくしも充分に心得ていますしね。たんまり巻き上げられるのは覚悟のうえですわ。だって、こんなことをすぐにやめさせなかったら、わたくしは一体どうなるでしょう?」
「けっこう。アーチー、ノートを頼む」

……「死の招待」巻頭より


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