「法廷のウルフ」―ネロ・ウルフ中編傑作

レックス・スタウト/ 大村美根子訳

ドットブック版 152KB/テキストファイル 94KB

400円

◆ネロ・ウルフ傑作中編2作収録◆
【死 を招く窓】――肺炎で死んだ患者の胸には「からっぽの湯たんぽ」が 置かれていた。誰が、なんのためにそんなことをしたのか…はたしてそれは「殺人」にかかわりがあるのか。
【 法廷のウルフ】――殺人事件の検察側証人として、蘭の温室から法廷に駆り出されたウルフは、なぜか証言の直前に姿を消し、現場に向かった――大団円での弁舌の冴えにはペリー・メイスン も顔色なし!

レックス・スタウト(1886〜1975) 米国インディアナ州生まれ。両親はクエーカー教徒。若いころは多数の職を転々としながら、詩や小説を書く。30歳頃にあるアイデアから大金を得たが、大恐慌で破産。1934年、48歳のときに発表したミステリー「毒蛇」でたちまち人気作家に。以後この「ネロ・ウルフ」シリーズは、長編だけでも34作に達した。この探偵は、古今の探偵のなかでも、最も魅力のある人物のひとりである。

立ち読みフロア
 ネロ・ウルフは机にむかって腰をおろし、赤革の椅子におさまった訪問客を睨みつけていた。ぼくは椅子を回転させて自分の机に背をむけ、ノートの用意をしていたが、睨みつけてなどはいなかった。
 睨むのはウルフの十八番だが、この場合はデイヴィッド・R・ファイフェがあらかじめ電話をよこさなかったのがおもしろくないのだ。そんなことはどうだっていいと思う人もいるだろうが。
 ところは西三十五丁目、古びた褐色砂岩の家の一階にあるオフィス。ウルフはお気に入りの椅子に陣取り、いつも引出しにしまってある使い古しの油砥石(あぶらといし)でペンナイフを研いでいる。ぼく、アーチー・グッドウィンは、彼がどんな気まぐれを起こしてもちゃんとかなえてやって、それ相応の給料を稼ぎ出そうというところ。台所で昼食のしたくをしているフリッツ・ブレナーは、ブザーが短く一回、長く一回鳴ったら、ビールを運ぼうと待機中。シオドー・ホーストマンは屋上の温室で蘭にかかりっきりだ。
 そして、眼の前の赤革の椅子には、探偵を雇うつもりでもなければこんなところに顔を出すはずのない男が座っている。こういう人たちがいなければ、フリッツもシオドーもぼくもよそへ職探しに行くはめになるわけだし、ウルフなどどんなはめになるかは神にしかわからない。それなのに、ウルフは客を睨みつけている。電話で予約しなかったのがけしからんというのだ。
 男は赤革の椅子の背に触れもしないほど浅くかけ、幅の狭い肩を落とし、憔悴しきった青白い顔をしている。五十がらみと思えたが、やむを得ず私立探偵のもとへ駆けこんだ人はたいてい年より老けて見えるものだ。くたびれた慎重そうな声で名前と住所と職業――ブロンクスにあるオーデュボン・ハイスクールの英語科主任――を告げてから話を切り出した。
「弟のバートラムのことで――弟の死亡した件なんです。土曜の晩に肺炎で亡くなりましてね。思うに――きちんとお話ししなくてはなりませんが」
 ファイフェはきちんと話をし、ぼくはその内容を書きとめた。彼の弟のバートラムは二十年間消息を絶っていたが、一カ月前、前ぶれもなくニューヨークに姿をあらわし、チャーチル・タワーズに部屋をとってから、家族――語り手である兄のデイヴィッド、弟のポール、今はヴィンセント・タトルの妻となった姉のルイーズ――に連絡してきた。彼らはみな、義兄のタトルも含めて、久々の再会を喜び、バートラムが一山あてた――デイヴィッドに言わせると思いがけぬ幸運をつかんだ――こと、つまり、カナダのブラック・エルボウとかいう場所の近くで四マイルものウラン鉱脈を捜しあて、自分のものにした話をきくと、そのこともうれしく思った。
 彼らはバートラム――バートと、カナダからついて来てチャーチル・タワーズで寝起きをともにしているジョニー・アロウという青年をあたたかく迎えた。バートは兄弟愛にあつく、昔の思い出や知り合いに関心を示した。バートは家族の一員に返り咲いたのだ。
 十日前、六日の土曜日に食事をともにし、その後ショウを観に行こうという招待を寄こしたが、木曜になると肺炎で寝こんでしまった。入院はいやだと言い、予定どおりチャーチルで食事をしてショウの切符をむだにしないでくれとゆずらないので、彼らは土曜日の夕方バートの部屋に集まり、スケジュールをこなし、ショウがはねたあとシャンペンを一杯やりに部屋へ戻った。
 出かけたのは四人――バートの姉ルイーズ、その夫、カナダから来たジョニー・アロウ、そしてデイヴィッドだった。末のポールはバートを看護婦と二人きりにしておくわけにはいかないと言って、部屋に残った。
 四人が劇場から帰ってみると、椿事が持ち上がっていた。ポールの姿はなく、看護婦は制服をひき裂かれ、首すじとほおと手首にあざができているという状態だった。すでに医者に電話して別の看護婦をさしむけてくれと頼んであり、代わりが来しだい出て行くという。彼女が使った言葉にルイーズが腹を立て、今すぐ立ち去れと命じて追い出した。
 ルイーズは医者に電話をかけ、別の看護婦が来るまで自分がつきそっていると話した。
 ジョニー・アロウは姿を消し、その場にはデイヴィッド、ルイーズ、彼女の夫ヴィンセント・タトルの三人が残った。デイヴィッドがバートの様子を見に行くと、看護婦が医者の指示で与えたモルヒネがきいてよく眠っているので、彼は家に帰った。
 ルイーズとタトルはベッドにはいったが、まだ眠りにつかないうちにブザーがなり、タトルが部屋のドアを開けると、ポールが立っていた。ポールは下の紳士用バーでジョニー・アロウに暴力をふるわれたと言い、あちこちにできた打撲傷を見せた。アロウは警官二人に連行されて行った。二人がかりで居間のソファに寝かせると、ポールはたちまちいびきをかき始め、ルイーズとタトルはバートの様子をドアのところからのぞいたのちベッドに戻った。
 朝の六時頃、二人はポールに起こされた。ソファからころげ落ちて眼がさめ、バートを見に行くと死んでいたのだ。医者は死因を肺炎と断定した。マウント・キスコから駆けつけた一家の主治医ドクター・ブールが死亡証明書にサインし、バートは昨日の月曜日に埋葬された。不審な点は何もなかった。
「じゃあ、一体わたしに何をしてくれっていうんです?」ウルフは不満そうな様子を見せた。
「それはこれからお話しします」ファイフェは咳払いし、一段と慎重そうな声で話を続けた。
「昨日の葬式のあとで、例のアロウという男が、今朝十一時にホテルの部屋で遺言状が発表されるから来てくれと言いますんで、勿論出かけて行きました。結論を言うと、バートは全財産をポールとルイーズとわたしに遺し、例のアロウを執行人に指定したわけです。財産の評価額は記してありませんでしたが、生前のバートの言葉から、ウラン所有高は五百万ドル以上、もしかしたらその倍とわたしは踏んでいました」
 ウルフの不満そうな様子は消え失せた。
「そのあとで」ファイフェは話を続けた。「弁護士は別の書類をブリーフ・ケースから取り出しました。一年前にバートラム・ファイフェとジョニー・アロウが取り交わした契約書のコピーだということです。彼はそれを読み上げました。その要点は、二人のうちどちらかが死んだ場合、ブラック・エルボウのウラン鉱脈はすべて生き残ったほうのものになる。それには、故人がウラン採掘権からあがる収入を活用して得たあらゆる資産を含む、というものです。
 わたしたちは弁護士に二、三質問をしてからひきとり、レストランで昼食をとりました。ポールがひどく腹を立てていました。弟はかっとなりやすいたちでしてね。警察に行って、バートは不審な状況で死んだから調べてくれと頼もうと言うんです。彼が言うには、バートが家族と和解しようとしているのを知って、アロウは相当のものがわたしたちに贈られるんじゃないか、もしかしたら鉱山採掘権までわかち与えるかもしれないと不安になった。そんなことをされたら、バートが死んでもあの契約書を盾に取って自分の権利を主張できなくなる。だから今すぐ死んでもらおうと決心した、とこうなんです。
 みんなしてそんなことはあり得ないと言ってきかせたんですが、ポールはあとにひきません。わたしたちが知らないことを知ってるなどとほのめかしましたが、少しばかり思わせぶりなところがありますんでね。警察に行こうとしつこく言い張るもんで、口論になり、しまいにわたしが妥協案を出しました。ネロ・ウルフに調査を頼んで、警察に届けるだけのもっともな理由があるかどうか決めてもらおうと言ったんです。ポールも承知し、あなたの決断を受け入れそうなんで、そのことをお願いにあがったわけです」
 ウルフはうなった。「解剖はしなかったんですか?」
「とんでもない。考えもしませんでした」
「それが第一歩ですが、警察の手を借りないことにはもう無理ですな。死体発掘にはその筋の許可がいりますから」
 ウルフは相手の顔をじっと見て宣言した。
「あらかじめ申し上げておきますが、殺人の疑いがあるとして、その根拠が発見されたなら、秘密にしておく約束はできませんからね。あなた御自身が犯罪をおかしたという論理の通った仮説がたてられたとしても」
「当然のことです」ファイフェはほほえもうとして何とかやってのけた。「わたしが犯罪などおかしていないことは自分でよく知っていますし、誰にもそんな事実はないと思いますね。弟のポールはいささか頭に血がのぼりやすいんです。勿論、直接会われる必要があるでしょうし、弟のほうもお目にかかりたがると思いますが」
「皆さんに会う必要がありますね」ウルフの口調は不機嫌しごくだった。身過ぎ世過ぎ。分(ぶ)が悪い話でもすがりつかねばならない。「それはともかく、さしあたって信義のしるしに依頼料を頂きましょう。千ドルの小切手ではどうです?」
 ファイフェは二度ほど生唾をのみこんだが、意外なことに値切りもせず、小切手をさし出した。「いささか法外な値段ですな」不平というわけではなく、単に事実を述べている口調だった。「まあ、しようがない。こうでもしなけりゃ、ポールは納得しないんですから。弟にはいつ会われます?」
 ウルフは壁の時計をちらりと見た。二十分で四時になる――温室で午後の会合を始める時刻だ。
「まず、ドクター・ブールと話さなくちゃなりません。六時に来てもらうようにできますか?」
 デイヴィッドはどっちつかずの顔つきをした。「やってはみますが。マウント・キスコから出て来るわけですし、忙しい人ですからね。彼は省いてもらえませんか? 死亡証明書を出していますし、名の通った医者ですから」
「省くことは不可能ですな。ほかの皆さんと会う前に話し合う必要があります。六時に――いや、長びくかも知れんな。夕食は七時半だから――そうですね、ドクター・ブールを九時に、ほかの方々は九時半ということにしましょう。弟さんと妹さん、ミスター・タトル、ミスター・アロウを集めてください」
 ファイフェは眼を剥(む)いた。「アロウはだめです! あの男に頼む気はありません」
 ウルフは肩をすくめた。「じゃあ、わたしが頼みましょう。ミスター・ファイフェ、いくつか詳しくおききしたいことがあるにはありますが――たとえば、弟さんのバートラムと家族との和解のことなど――今は約束がひかえてますし、今晩、充分に検討できるでしょうからね。さしあたっては、関係者全員の住所と電話番号をグッドウィン君に教えておいてください」
 彼は巨体を乗り出してペンナイフを取り上げ、おもむろに油砥石をこすり始めた。やりかけたことは断固やり終える気なのだ。彼はナイフのはじに注意深く親指をあてた。
「和解がどうのこうのというのは何の意味です?」ファイフェは鋭い口調でたずねた。
「あなたがその言葉を使ったからですよ」ウルフはまたナイフを研ぎ始めた。「何を和解しなけりゃならんのですか? 筋違いかもしれませんが。まあ今晩までお預けにしときましょう」

……「死を招く窓」巻頭より


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